物はフルに活用しなければ、勿体無いお化けが出てくる。
筆者の個人的な見解で大変申し訳ないけれども、常々、「物はフルに活用しなければ、勿体無いお化けが出てくる。」と思ってしまう。
例えば、手元のスマホにしても、デジタル嫌いな人は、そのスマホの機能の10分の1も20分の1も使ってはいない。勿論、使う使わぬはその人の勝手なので、批判するつもりなど毛頭ない。
ただ、言葉は悪いが、デジタル音痴、機械音痴と自負している人たちは、自らの要件さえ満たせば、その物は役割を果たしていると考えているようだ。しかし、今一歩踏み出すことで、今まで気づかずに通り過ぎていたものに遭遇ことになる。
現在、筆者主催の勉強会「Well Done Basic」を受講している人が、ぼそっと呟いていた。
「これまでお会いして13年ほど経ちますが、当時、一歩でも踏み出してさえいれば、デジタルもICTも人並みに知識を持ち、実践できたはずですよね。本当に、勿体無い13年間であると反省しています。」と。
今気づいたのだから、まだ間に合う。ただ、学びについては、こちらが気づこうが、無闇矢鱈に強要するものでもなく、本人が気づき、心が動いた時に学びへ一歩踏み出せば良いだけの話。やはり、ここでも「勿体無いお化け」が出てきたのである。
自分が不得手と思い込んでいても、結構、食わず嫌いの人が多いように思えてならない。筆者も剛強な性格なところがチラホラあって、面倒臭いから着手しなかったことも多い。ところが、ふと気づき着手してみると、目の前が急に明るくなり、これまでの面倒臭がり屋の自分に対して苦笑いすることもあった。
特に仕事の効率化において、面倒臭がり屋さんは、いつまで経っても面倒臭い仕事をしている。そこで、ふと気づき、ベクトルを少しでも変えることで、過去の仕事のスタイルが阿呆らしくなってしまうことも多い。
何はともあれ、パソコンでもスマホでも、車でも、物自体の機能をしっかりと学び、機能をフル回転させることで、更に、それらの物のお陰様にて、自分の周囲の世界が変わって見える訳だ。
思い込みや面倒臭がりは、何事も好循環を齎すことはない。よって、「勿体無いお化け」が出てくる前に、常に、一歩前に踏み出し、そのアクティビティを楽しめるような人間でありたいと考える次第。(苦笑)
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、「物を活用することの大切さ」を訴えつつ、学びや挑戦を怠ることによる「勿体無いお化け」の存在をユーモラスに表現しています。以下、詳しい感想を述べます。
テーマとメッセージ性
エッセイの中心テーマは、「所有する物の機能を最大限活用し、学びと挑戦を怠らない」というものです。筆者は、特にデジタル機器に対して、その真価を発揮させるための学びの必要性を強調しています。このメッセージは、単に機械的なスキル習得の話にとどまらず、人生全般においての姿勢にも通じています。「勿体無いお化け」という表現は、親しみやすく、読者に「気づき」を促す効果があります。
構成と論理展開
冒頭のフック
「勿体無いお化け」というユーモアを交えた導入で、読者の興味を引きつけます。これは、少し硬くなりがちなテーマを柔らかく伝える効果があります。具体例の提示
スマホを例に取り上げ、日常的に身近な話題から説得力を高めています。また、13年間デジタル活用を避けていた受講者の例も、読者に自己投影を促しやすい具体的なケースとして機能しています。筆者自身の体験談
筆者自身も過去に「面倒臭がり」であったことを明かしつつ、それを克服した体験を語ることで、共感を得やすくしています。これにより、読者は「自分も一歩踏み出してみよう」という前向きな感情を抱きやすくなります。結論
最後に、「今一歩前に踏み出すアクティビティを楽しむ」という前向きな締めくくりで、読者に行動を促しています。
文章表現
筆者の語り口調はフランクで、親しみやすい文体です。難しい表現を避けながらも、随所に軽妙なユーモアを交えているため、堅苦しさがなく、読みやすいのが特徴です。
また、「勿体無いお化け」というユニークな比喩が全体を通して繰り返されることで、メッセージが印象に残りやすくなっています。
感想と評価
このエッセイは、特に以下の点で優れています:
普遍性と実用性
読者の誰もが感じたことのある「もったいない」という感覚をうまく拾い上げ、それを行動につなげるよう促しています。特にデジタル機器に疎い読者や、新しい挑戦に躊躇する人々に対して、具体的かつ前向きなメッセージを伝えています。自己開示のバランス
筆者自身の体験談を取り入れることで、読者は「自分にもできるかも」と希望を感じられる内容になっています。
全体の印象
「勿体無いお化け」という軽妙な表現を中心に据えたこのエッセイは、物事を深刻に捉えすぎず、読者に親しみやすく実践的な視点を提供しています。また、読後に「何か一歩踏み出してみよう」と思わせるポジティブな余韻が残ります。どんな分野においても、新しいことへの挑戦をためらう人々にとって、励みとなる一篇です。