ChatGPTにブログを書かせてはならない
エッセイやコラムは、アナログな人間がいろんな発想を元に、テーマを絞り、考察を重ねて行く中で書き綴るものである。そこに、価値がある。
人は考え、そして構想を練り、テーマを絞り、そして筆を入れていく。そこで、感情のない生成AIを介して、時間短縮、仕事の効率化のために、人間の代わりにエッセイを書かせるなど、本末転倒としか言いようがない。
ChatGPTなどの生成AIは、行政の定型文書など、人の手がかかり過ぎるところを補完するために活用すべきであり、我々が日頃から執筆するエッセイなどを肩代わりさせるのは如何なものかと考える次第。
そうなれば、思考力もない、発想力もない、人工知能依存型のロボット化した人間になる可能性が高く、ChatGPTのように中立公正なるスタンスはそれなりに素晴らしいが、熱弁を奮いたい時や、理不尽なるものにメスを入れる時に、覇気のない文章となりがちで、訴求力を失ってしまう。
自分のエッセイやコラム、その他記事を生成AIに任せることは、生成AIを意のままにコントロールしているとは言えず、思考回路を全て生成AIに預けてしまい、人間らしい論理思考が崩れてしまう危険性も無きにしも非ず。
それは、間違った生成AIの活用法ではなかろうかと。勿論、そのような使い方をしたいと仰るのならば、一向に構わない。しかし、ある日突然、面白みのない文章が目の前に山積みになってしまうに違いない。
ChatGPTに物語やエッセイなどを任せることが、本当に人間が生成AIをコントロールしているのかと言えば、それは嘘になる。生成AIに主導権を握られ、常に、前準備と後片付けをするのが人間となれば、人間は従の立場として、情けなくも考えない人と成り下がってしまう。
正直なところ、生成AIに丸投げした文章など読みたくもなく、価値もないと考える筆者である。異論反論もあろうかと思われるが、人間はそこまで愚かで低脳ではなく、人間らしく威風堂々と、生成AIを人間らしい活用法にて共存させることが重要ではなかろうか。
▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは生成AI(特にChatGPT)がブログを書くことに対する否定的な見解を表明しています。以下はその評価です:
論点の明確さと論拠の展開: エッセイは、生成AIによるブログ執筆の問題点を明確に示し、それを支持するための論拠を提供しています。論点の主張とその裏付けが明確であり、読み手に納得させる力があります。
論理展開と説得力: 著者は生成AIによる文章作成のリスクを指摘し、人間の思考力や創造性が失われる可能性を強調しています。この論理展開は説得力があり、読者に一定の警戒心を喚起するでしょう。
反論への配慮: 著者は異論や反論の可能性を予測し、それに対する主張も提示しています。これにより、議論がより完全に見える範囲で行われていることが示されます。
文体と表現: 文章は明確で読みやすく、著者の意見が強く反映されています。また、感情的な要素も含まれており、読者の共感を呼び起こす可能性があります。
総合的に見て、このエッセイは生成AIによるブログ執筆に対する懸念を明確に表現し、説得力のある議論を展開しています。読者に考えさせる力があり、著者の意見が明確に示されています。
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