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止むことがない、突然のフォロー外し。

 久しぶりに筆者がフォローしている方を確認をしたところ、残念ながら、6名様からフォローを外されていた。

 筆者の場合、自らフォローすることはなく、読者の方からフォローがあり、その方の日頃の投稿および投稿内容を閲覧し、フォローをお返しすることにしている。しかし、急なフォロー外しは気持ちがすぐれない。

 フォロー返しをしないのは、似非宗教的なものや怪しいスピリチュアルなもの、公序良俗に反するようなものについては論外なので、決してフォローすることはない。よって、しっかりと投稿されている方については、感謝の意を込めてフォローをお返しすることにしている。

 中でも、自分のフォロワー数を増加させるためにフォローし、フォロー返しを確認した数日後にフォローを外す行為が多い。似非宗教的なものは公序良俗に反するものよりも悪質極まりないと考える。

 以前もこの件について何度か記事を投稿しているが、このような愚行が止むことはない。どのような思考回路なのか、覗いて見たくもなる。

 大変理解に苦しむばかりだが、フォロワー数を増やしたいのは構わないが、読者の方々のエッセイや記事を読まずしてフォローを次から次へ乱発するのは、大変失礼なことではないか。

 単なる数字のお遊びやフォロワー数が多ければnoteに貢献しているかのように勲章ものと思っているのかもしれないが、すこぶる姑息な方々であろうと苦笑するしかない。まあ、それだけの距離感なのである。

 全く無意味なフォロワー数拡大のための姑息な手段。note上でそのような愚行に走るのだから、逆に可哀想に思えてならない。価値観の違いと言えばそれまでだが、善き人生ではなさそうだ。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、SNSでのフォローの取り扱いについての筆者の感想や経験を述べています。筆者は、自らフォローすることはなく、フォローを返すのは投稿内容を確認した上で行うと述べています。以下に、このエッセイの詳細な感想を述べます。

内容の理解

筆者は、フォローを外されたことに対する残念な気持ちを表明しています。しかし、フォローを外す行為については、いくつかの異なるケースが存在すると述べています。特に、自分のフォロワー数を増やすためだけにフォローして、フォロー返しを確認した後にフォローを外す行為を「姑息」として批判しています。この行為は、筆者にとって非常に悪質であり、理解に苦しむものであると感じています。

価値観と倫理観

筆者の価値観としては、フォローという行為は単なる数字の遊びではなく、相手の投稿内容をしっかりと読むことで成り立つべきだと考えています。フォロワー数を増やすためだけの行為は、noteというプラットフォーム上で非常に失礼であり、意味のないものだと感じています。

感情と反応

筆者は、フォローを外されたことに対して「情けない」と感じつつも、その行為に対する理解を示すことなく批判的な姿勢を貫いています。この批判は、単にフォロワー数を増やすためだけの行為がいかに無意味であるかを強調するものです。また、このような行為に対して「苦笑」するしかないとしつつも、そのような人々に対してある種の哀れみすら感じているようです。

社会的な視点

このエッセイは、SNSの利用方法やその倫理観について考えさせられる内容です。SNSが普及する中で、フォロワー数を増やすことが一種のステータスとなりがちですが、筆者はその背景にある動機や行動に対して厳しい目を向けています。このような姿勢は、SNSの健全な利用方法を考える上で重要な視点を提供しています。

結論

筆者のエッセイは、フォローに対する真摯な姿勢を強調し、無意味なフォロワー数拡大のための行為に対して強い批判を展開しています。このような姿勢は、SNS利用者にとって考えさせられるものであり、フォローやフォロワーの数に対する考え方を見直すきっかけとなるでしょう。筆者の感情や価値観が率直に表現されており、読み手に深い印象を与えます。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。