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女性が準禁治産者とは、これ如何に!?

 最近、NHK朝ドラの「虎に翼」を観ているが、戦前の法曹界の実態を覗き込むと、「女性蔑視」の差別的なものが法律として明文化されているところが、アホらしくてならない。

 昭和初期の話であり、100年ほど前の時代背景を垣間見る中で、女性に対して「無能力者」、「準禁治産者」と平気で言葉にする、当時の東京地方裁判所判事や一般市民の男性軍。観ていて、男性の方がよっぽど子供染みており、絵空事に舞い上がっている。

 現在もそうだと筆者が思うのは、女性は現実的であり、しっかりとしたスタンスを持つ女性は多い。反面、男性は、男性社会というぬるま湯に浸かり、自分の愚行を正当化することに傾注し、現実を直視しないところがありはしないかと、苦笑ながらもテレビに釘付けとなっている。

 実は、筆者の家庭は父、叔父、従兄弟と、近しい親族の三人が法曹界にいたので、どうしても、今回の朝ドラを見入ってしまう。そして、昭和初期の女性人権と現在のそれを比較すると、男性社会が浄化、進化した訳でもなく、実態はほとんど変わっていない。

 ただ、当時の女性を「準禁治産者」扱いにする法を定めた法学者や当時の国会議員は、言葉は悪いが、大馬鹿者が多い。権利権限を男性優位に定めるばかりか、民事裁判の男性側弁護士でさえも、女性蔑視が当然のような太々しい態度で弁論している。聞くにも耐えぬとは、このことか。

 裁判官についても、それぞれの考え方が右寄り、左寄りにて、全く判決が変わるところが痛い。明治維新から150年ほど経つが、昭和初期は、江戸時代の古き、悪しき慣習が溢れるように残っていたのだろうと。

 そんな時代に生まれなくて良かったと、朝ドラファンは皆思っているであろうし、また、ドラマの内容が全てノンフィクションであれば、激昂ものである。

 明治維新となり、憲法制定から始まり、刑法はドイツのそれを、民法はフランスのそれを参考にして制定しているが、当時の世界を見回しても、女性人権はとことん押しつぶされていた。

 現在に至っても、全国的に各大学医学部合格者のフィルタリングを恣意的に行なっていた大学が何校も問題になっていたが、男性に都合の良い制度は、今も尚、山のように残されている。

 家事全般を女性の当然の仕事として押し付け、殿方は夜のクラブ活動で酒に溺れ、女性に溺れては洒落にもならない。筆者は男性であるが、思うに、男女平等の世界は未だに見えてこない。

 もっと男性が一端の大人になり、現実を直視しなければ、「女性蔑視」の社会悪が完全に払拭されるものではない。


▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしただらしない男性像

generated by DALL-E
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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、昭和初期の日本における法曹界での女性の扱いに焦点を当て、その時代の性差別的な法律と慣習を批判しています。朝ドラ「虎に翼」を通じて、戦前の女性に対する偏見とその社会的位置づけを映し出しており、筆者はこれを現代の視点から非難しています。

エッセイは、女性が「準禁治産者」と見なされていた過去の法律を、明治維新後の日本が西洋から導入した法体系に照らして考察しています。このような偏見に満ちた法律は、女性の権利を大きく制限し、男性優位の社会構造を固定化しました。これにより、女性は法的にも社会的にも劣位に置かれ、その影響は現代にも残っていると筆者は指摘しています。

エッセイはまた、現代社会における性差別の問題点を浮き彫りにしています。たとえば、大学の入試における性に基づいた不公正なフィルタリングや、家事労働の不均等な分担などが、未だに残る性差別の形態として取り上げられています。筆者自身も男性であるにも関わらず、これらの問題に対して自身の性に対する批判的な視点を持っており、それが読み手に対して説得力を持って伝わってきます。

このエッセイからは、性別に基づく差別がどのようにして文化的な慣習や法的な枠組みによって長きにわたって支持されてきたかが理解できます。また、社会がどう変化しても根底にある性差別的な価値観がいかに根強く残っているかが示されており、それに対する意識の変革が今なお急務であることが強調されています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。