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『琥珀色の珈琲』に人生を掛ける、八井巌さん。

 熊本で名物老舗珈琲店となれば、『珈琲アロー』(店主 八井巌さん)。それを知らぬ人は珈琲通とは言えない。八井さんとの出逢いは、筆者が新聞社時代に遡る。同店は1964年創業で、熊本県内では珈琲専門店の魁(さきがけ)であった。


 「あらー、お久しぶり!」とカウンター奥から、にこやかに挨拶をしてくれる珈琲アロー店主の八井巌さん。「よう来なはったですね。本当にお久しぶり。元気だったですか?」と満面の笑みである。

 八井さんとの出逢いは、新聞社時代に某役員から連れて行かれたのが最初だった。既に、三十数年が経った。実は、前日に熊本市内中心部を走行中に、その役員だった方を見掛けたのである。新聞社一のダンディズムの塊と言われた、そのお方。当時、マンションの部屋も隣同士だったので、一緒に酒を呑み歩いて午前様になっても、奥様は嫌な顔ひとつもせず、とても良くして頂いた。(もしかすると、背後で中指を立てられていたかも知れない)

 何と奇遇なことだろうと。大先輩の元気な姿を確認できたが、残念ながら、車内から声を掛けることはできなかった。本日、珈琲アローへ足を向けたのは、大先輩の元気な姿があまりにも嬉しく、無意識に八井さんに繋がってしまったのだろうと。八井さんにその話をすると、「最近来られんので、○○さんと西田さんのことばかり心配しとったっですよ!」と言ってくれたが、○○さんが元気であると聞いて、安堵してくれた。

 同店は、1964年に開催された東京オリンピックの年に開業した。そこには典型的な「肥後もっこす」である店主の拘り抜いた「珈琲哲学」が存在する。「本物の珈琲は琥珀色である!」、「砂糖やミルクが店内にあるはずがない!」、「世の中にアメリカン珈琲は存在しない!」、「真っ黒なものは珈琲と言えず、体に良いはずがない!」の厳しい言葉が飛び交う。

 八井さんは、若かりし頃、熊本市内の人気店バーテンダーから、パティシエに転じ、いつの日か、珈琲の虜となり、研究に研究を重ねた結果が、珈琲アローの『琥珀色の珈琲』である。珈琲カップも同店と同じく、そろそろ58歳。天草の水の平焼の分厚いカップが特徴。そのカップは58年前のオリジナル作品のために、もちろん、現在は入手不可能だが、同店の歴史と伝統を注ぎ続けてきた器は、実に重々しくドッシリとしている。

 目の前に『琥珀色の珈琲』が注がれてきた。八井さんの話によると、昭和43年(1968年)に、珈琲嫌いだった三島由紀夫(ノーベル文学賞受賞者の川端康成も認めた文豪)が訪ねて来たと言う。それは、三島割腹自殺2年前の話。その三島が「旨い!」と言って飲んでくれたことを、八井さんはニコニコと自慢げに話してくれた。

 常連客の飲み方にも特徴がある。1杯五百円の珈琲。1杯目を青ナマコ(水の平焼)でゆったりと、そして無言の内に2杯目を注文し飲み干す。2杯目は赤ナマコ(水の平焼)の器が出される。特に、酒を飲み過ぎた方には、酔い覚ましには凄く効き目があるようで、酔っ払っていても4杯ほど琥珀色の珈琲を飲むと、シャンとする(熊本弁)。

 店内の壁を見ると、有名人やミュージシャンなどが足を運び入れていることが分かる。ジャズ歌手の阿川泰子さんの写真もチラリと見え隠れ・・・人気芸能人にも同店の名前は結構知れ渡っているようだ。それらの写真を指差しながら、元新聞社で直木賞作家でもある故光岡明さんも良く足を運んでくれていたと、懐かしげに語ってくれた。

 何はともあれ、八井さんの元気な姿を見て、一安心。土産にシュークリームを持って行ったのだが、「娘も喜ぶ・・・いや、全部自分で食べるかも知れんですばい!」と冗談を言いながら、冷蔵庫に菓子箱を仕舞っていた姿が、お茶目で笑えた。帰り際に、カウンター越しにずっと笑顔で見送ってくれる八井さん。今ではご高齢になったけれども、現在、午前11時から午後6頃まで、一人で営業していると言う。・・・大したパワーである。

珈琲アロー 店主 八井巌さん
青ナマコのカップに『琥珀色の珈琲』
赤ナマコのカップに『琥珀色の珈琲』
58年前から使っているコーヒーカップ(水の平焼)

▼台湾から同店を訪ねてきた観光客

▼琥珀色の珈琲 八井巌(やついいわお)PDFファイル
by Chikao Nishida

https://www.dandl.co.jp/club/coffee-arrow.pdf

▼珈琲アロー公式サイト

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