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『人の評価』を行う時に、絶対に遣ってはならぬこと、怠ってはならなぬこと。

 お気に入りの人を第三者に紹介する時、その気持ちが第三者に伝わらないことが多いのではないか。また、営業などで、自分自身を売り込む時も同様に、相手に全く伝わらぬことが多々あるのではないか。

 これは、自分以外の人を評価をする場合に、低民度の人は、先ずは自分が上座に鎮座して相手を見下しているからである。よって、名刺交換した相手を、初手から舐めて掛かり、後々赤恥をかくことになる。

 特に、自分では門外漢であり、関心もない業種となれば、全くその人の履歴なり実績なりを、深く知ろうともせず、非常に失礼な態度にて、「はい、はい、初めまして!」程度で終わってしまう。田舎爺によくあるパターンだ。

 従って、筆者の知り合いの中で、素晴らしい実績を持った知人友人については、そのような低民度の人には、絶対に紹介しないようにしている。

 地方に行けば、初対面で名刺交換する時に、上述のことが経験できる。「俺は地元の名士であり、他所からきた人間に、何故頭を下げんといかんのか!?」と言い放つ、無礼無知なる者である。

 先般、山手の旅館でのご挨拶にしても、こちらは平身低頭にて、紹介して頂いた方に失礼にならぬよう、十分に相手のことを調べ、丁重に接した訳だが、残念ながら(想定内)、相手の人間は非礼極まりない態度の連続であった。

 勿論、こちらを特別待遇せよと横柄な気持ちなど全くない。しかし、その無礼無知なる人間は、既述の通り、門外漢な事象については脳が働くこともなく、時間も守らず、自ら「私は馬鹿なので!」とまで言い放った。紹介された方のことなど、頭にないのであろうと。

 社内でも同じこと。一つの業務だけでスタッフを評価してしまうと、評価に誤りが生じてしまう可能性が高くなる。そのスタッフの趣味や優れた能力を具に観察し、そのスタッフを客観的に評価し、適材適所にて人事を司るのが辣腕経営者である。

 田舎の会社を見ると、『イエスマン』をこよなく愛し、依怙贔屓する経営者は多い。呑みの誘いに、さっさとついてくるスタッフを優遇するばかり。既に、スタッフ評価の入り口のところで、評価基準を誤っているので、企業が育たないのは頷ける。

 『人の評価』はすこぶる難しい。勿論、その評価は上から目線で行うべきものではない。筆者は、初対面の場合、特に人様のご紹介の場合は、お会いする前に、その方の履歴なり実績なりをしっかりと前調べして、特に分からぬ分野であれば、その分野の総論的なものは全てインプットするようにしている。

 一般的な『人の評価』の基準は、『その人なりの知識と価値観』で行われるので、正確な評価ができないばかりか、相手の立場を汚してしまうことも無きにしも非ず。それは、無礼無知なる者の、『恥ずかしさの境界線』を逸脱した愚行と言うものだ。

 よって、仕事相手として選ぶには、『相手』の人格と『引き出し』の多さで決める方が無難である。もし、相手の『引き出し』が極端に少ないと、こちらの提案なり企画なりが全く伝わらず、不協和音ばかりが漂ってしまうことになり、空中分解するが関の山。

 平たく言えば、『おバカは相手にしない』が鉄則と言える。『おバカ』に一所懸命説明したとしても、100分の1も伝わらぬのだから、時間の無駄、労力の無駄ばかりとなり、折角の新たなプロジェクトが台無しとなる。

 話は前後するが、初対面の方の履歴が膨大で、実績が凄まじいものでればあるほど、慎重に対応すべきが常識。情報量が多ければ多いほど、その人のスキルやレベルは相当高い位置にあるのだから、粗野に扱ってしまえば、最終的には、評価を誤る自分自身のレベルの低さを露呈するのみとなる。

 近場にいる人ほど、凄い人がいる。しかし、親しくなっていると、馴れ合いとなり、近場の『人の評価』を怠ってしまい、原石を磨けば宝石になるような、将来性あるスタッフを見抜けぬ『ボンクラ上司』も多い。

 畢竟、『人の評価』は『自分スタンダード』ではなく、相手の業種業態や履歴、実績、趣味などへ『知る努力』を怠ることなく、正確な評価を行うスタンスを備えておくのが、一端の大人と言える。

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