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西田親生の自由気まま書

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十数年前に或る学校長から勧められて、我流で始めた『書』である。よって、正確には『自由気まま書』と言った方が良かろうと。大したものではないが、当時、4ヶ月間に8000枚ほどの半紙に… もっと読む
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2022年9月の記事一覧

西田親生の自由気まま書・・・『落日』

 この頃の九州は、中国から偏西風で舞い散るPM2.5やら黄砂やらで、昔のように空気が澄み渡った、アーティスティックな空を見れる機会が激減している。  今回のお題は、『落日』。夕陽は何となく寂しさもあり、1日の終わりを告げるものである。赤みを帯びた空と雲々、黒ずんだ雲など、同じものは一つもない。撮影する側としては、それが、堪らない。  筆者が住む地域は、西に金峰山。その背後に長崎県の普賢岳、東に阿蘇外輪山があり、広大な盆地状になっている。残念ながら、水平線に沈み行く太陽をカ

西田親生の自由気まま書・・・『淡』

 淡墨で描いた『淡』。何となく、プラナリアみたいな。  筆がとても独特なもので、有名な書家の『紫舟』さんの筆と同様ものを入手して、実験的に描いてみた。  車に例えると高級車ジャガーのロングのようなイメージ。コーナーを曲がるときに、ヘッドは曲がるが、お尻が後から遅れてくる感じだ。  筆の種類も無数にあり、何を描くのかにより、どの筆を使うのかに迷ってしまう。一度、茶筅のような筆を入手した時は、「なんじゃ、これ!?」だった。 

西田親生の自由気まま書・・・『山河』

 本日のお題は、上のタイトル横にある『山河』。以前、熊本ホテルキャッスルの前社長 斉藤隆士氏が絶賛してくれた作品である。同氏が褒めるとは予測していなかったが、別れ際に、再び振り返り、「それ、いいですね〜!!」とにこやかに去って行った。  描いた本人は、『国破れて山河あり』という言葉は意識せず、険しく聳え立つ岩山と、滔々と流れる大河のイメージで筆を走らせた。勿論、一発勝負である。  『山』については、郷里にある『不動岩(熊本県山鹿市)』をイメージし、『河』については、武田信

西田親生の自由気まま書・・・『旬』

 古代文字『旬』という文字を描いてみた。  『旬』は、もともと『十』と『日』を縦に繋げたもの。よって、昔から伝わる『旬』は、約10日間ということになる訳だ。  下の文字の中央部がぐるぐると巻いているが、それは、龍の尻尾らしい。何とも不思議な文字である。 ▼ちょいと悪ふざけで描いてみた。

西田親生の自由気まま書・・・『天地』

 本来ならば、『天地人』と描くべきだろうが、これは『天地』とした。  『天地』と元気に描いた時を思い起こすと、多分、寝不足のために、寝落ち寸前の一気描きだったように思える。  ゴロデザインを引き受けて、先ずは、依頼者の思い描くイメージや願いなどを具に噛み砕き、全体デザインなりイメージを再構築する。  それから、どの筆と墨を使うのかを考える。気分が乗っている時は、一発で決まるが、惑いがある時は、半紙が何十枚も無駄になってしまう。  15年前だったか、4ヶ月間で8000枚

西田親生の自由気まま書・・・『生』

 『竹』で描いた、漢字一文字『生』である。土から力強く突き出た『竹』が、ニョキニョキと『生』となる。  『竹』と言えば、幼い頃に随分世話になった某市の市長さんがいた。5期連続の長期政権を握った大物市長だったので、当時、全国市長会会長などを歴任し県議となったが、暫くして病に伏して、政界を去ったと記憶している。  今でも理由は判らないが、市長さんのご自宅に泊まることになった。当日の午前中に、市長さんより『筍』を掘って来いとの指示があり、独りで釜を担いでご自宅の裏山に足を踏み入

西田親生の自由気まま書・・・『卜(ぼく)』

 再び、『竹』を用いた漢字一文字『卜』を描いてみた。  『卜』は、(1)亀の甲を焼いたヒビ割れを見て吉凶を占う、(2)占って物事を選ぶ、判断する、居所を決めるなどの意味がある。  別に占いに興味はないが、描いた『卜』は、大相撲の行司が勝ち名乗りをしている姿になったようだ。

西田親生の自由気まま書・・・『雪地蔵』

 ある日、雪だるまになりたくなった地蔵さんを思い浮かべてみた。しんしんと冷え込む夜中に、庭に降り積もった純白の雪。  地蔵さんの頭にも肩にも足元にも、綿雪が層を成して降り積もっている。そこで、地蔵さんが、雪だるまになって、庭中を遊んでみようと思ったのである。  先ず、軒下にあったバケツを頭に被る地蔵さん。子供のおもちゃのバケツで、不恰好。でも、それなりに雪だるまに見えるような。  枯れ枝を集めて、手や足を付けてみた。手袋や長靴がないが、まあ、この程度の偽装工作。日頃は寂

西田親生の自由気まま書・・・『命』

 鼻息荒いほどに、元気一杯の『命』となった。  紆余曲折、波瀾万丈なる人生を歩みながらも、何度も心が折れようが、辛い思いをしようが、耐えに耐えて、その負のスパイラルを粉砕するほどの、元気一杯の『命』である。  『命』には尺がある。自分自身がどれだけ生き延びるのか、誰も知る由もないが、『命』の蝋燭の長さは最初から決まっていると、物の本で読んだような気がしてならない。まあ、生きているのなら、元気一杯が何より。  最近、恥ずかしながらイラッとすることが多い。それは、外的要因が

西田親生の自由気まま書・・・『女(をみな)』

 ややエロティシズムの『自由気まま書』となった。  女性の色気が伝わるようなイメージで描いたつもりだが、『淡墨』で描いたので、線が細くなった。多分に、筆者の女性に対するイメージなのだろうと。  『多様化の時代』なので、筆者なりの『女性観』を詳しく語ろうとは思わないが、このイメージが人それぞれに、どのように伝わるのかは、定かではない。しかし、これが筆者なりの『女性観』である。

西田親生の自由気まま書・・・『連』

 今回の自由気まま書は、『連』。  何気に、さらっと書いたものだが、筆運びは滅茶苦茶だが、流れは自分なりに気に入っている。  『連』は、『つらなる・つらねる・続いている・手を繋ぐ・協力する・従える・仲間・つれ・連盟・連合』など、多くの意味を含む。  『連』の生い立ちや意味合いを調べてみると、『馬車』を表す『車』と『進む』という意味の『辶』が組み合わされものであることが分かる。  『馬車』は、馬や人が引っ張り動いていることから、『つらなる』+『進む』から、『連』が生まれ

西田親生の自由気まま書・・・『水面』

 写真撮影は日々楽しみだが、台風14号が近づくにつれ、窓から空を見渡すと、分厚い雲の奇妙な動きが、少々心配になってくる。  住んでいるところは、標高80mほどの丘の中腹にある住宅地である。洪水も崖崩れも全く心配することはない。岩盤が強いところで地震にも耐え、且つ、台風の突風を直接受けぬところなので、1992年に甚大な被害を齎した台風19号の時も、瓦1枚も飛ばなかったことは記憶にある。  ただ、温暖化の影響にて『自然災害』が世界的に急増しているのは否めない。そんなこんなを考

『竹』で描いた、『川』・・・何気に、歩き出した。

 先日、『竹』で描いた、『竹』を掲載した。今度は、節を一つずつ減らして、『竹』を一本増やし、『川』にしてみた。  指にも見え、足にも見え、何気に動き出した。『川』は上流から下流、そして海に向けて流れるが、これは、歩く『川』。  意味のないお遊びをしてしまった。(苦笑)

『竹』で描いた『馬』・・・遊び過ぎだが、時には半紙が真っ黒なのもいい。

 先日掲載した『竹』で描いた漢字『竹』と同じ手法で、『馬』を描いてみた。何となく重い感じの『馬』。  競馬で疾走するサラブレッドと違い、北海道の『ばんえい競争』に出場する、足元も胴体もがっしりとした『馬』になった。  これは作品とは言えないので、額もなく、半紙の裏打ちをしたままの状態で、箱に保管している。