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素晴らしき人々

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真剣な眼差しのイキイキとした人の姿を写すのが、一番。勿論、満面の笑みの人って、とても癒されるし、こちらまで嬉しくなってきます。また、盗撮ではありませんが、知人友人で全く気づかれず… もっと読む
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時計宝飾業界の重鎮、髙栁隆一氏の逝去を悼む

 昨日、株式会社ソフィタカヤナギの現代表取締役社長である髙栁隆大氏から、同社の前代表取締役会長である髙栁隆一氏(隆大氏の父)の訃報が届いた。令和6年4月24日に、髙栁隆一氏(享年83歳)急逝の知らせに、筆者を含め多くの人々に深い悲しみをもたらした。  筆者が最後に同氏にお会いしたのは、昨年3月18日、ソフィタカヤナギ社「髙栁時計宝飾店」の店内であった。その日、同氏は珍しい宝石のコレクションについて熱心に語っており、その瞳には若き日の情熱が宿っていた。同氏の顔には、常に温かな

気づけば、フォロワーさんが千人超え。

 拙いエッセイやらコラムやらを執筆する筆者のフォロワーさんが、千人を超えてしまった。  フォロー、フォロワーについては以前の記事で書いた通りであるが、筆者から積極的にフォローをすることはない。  その理由は、フォロワーさんを増やすためにnoteを活用するのではなく、筆者の拙いエッセイであっても、興味を持っていただく方がフォローをしてくれるのであり、数の問題ではないと考えているからだ。  ただ、毎日のように立ち寄って読まれているnoterさんもいらっしゃるので、それは、そ

辣腕ジャーナリストと久しぶりの会話・・・

 筆者が新聞社を経て起業した1990年10月1日以降、九州でもレアなる3D CG制作やインターネット事業などを具に取材をしてくれたジャーナリストが二人存在していた。  勿論、前職の新聞社とは敵対関係?の全国紙の記者たちだが、その一人とは今でも連絡を取り合っている。  筆者より一回り年配の方々ばかりであり、昨日電話で会話を交わした方は、足を向けて眠れないほど、すこぶるお世話になった。  筆者が熊本県内では最先端の事業展開をしていると、急に連絡が入り、すぐに飛んできては、質

「note」のアクセス増に感謝!!!

 「note」を利用させて頂くようになり、登録して2年、記事やエッセイを掲載するようになって1年11ヶ月となる。  主に、社会風刺的な記事、日常のランチや夜食、ホテル文化と食文化、ICT&AI、Macオタク的な活用法、お散歩カメラなどを中心に掲載している。  ひさしぶりに、現在の「note」のアクセス状況がどの程度かをチェックしたところ、1週間で8,828件、1ヵ月で34,316件と、多くの読者の方々がお立ち寄りいただき、とても勇気づけられているのである。  唐突に、ア

筆者の得意技・・・人物を取材して、如何にネット上に露出させるか!!

 これまで多くの人物取材を行ってきたが、筆者が取材をして写真を撮影し、記事を書けば、速攻でGoogleにフィードバックされ、短期間で上位へどんどんと昇って行くのである。  勿論、Googleのアルゴリズムなど非公開であり、知る由もない。ただ、1995年8月22日以来、長年の間、ネット事業を展開し、ブログニュースを毎日絶えず掲載しているのが要因なのかと、勝手ながら思っている。  これは冗談ではなく、筆者本人も驚くほどに、Googleへのフィードバックは極超音速ミサイル並みだ

髙栁時計宝飾店の『World Watch Fair 2022』が、10月8日〜10日に開催!

 明治26年(1983)創業の髙栁時計宝飾店(旧店名:ソフィ・タカヤナギ)。熊本県内では最古参の時計、宝飾専門店として名が通っている。  同店の細やかな対応が見え隠れするのは、腕時計の電池交換であると言える。殆ど、収益にはならないと推察するが、いろんなお客のいろんな時計のメンテや修理にも可能な限り対応するのが、同店ならではのスタンス。  写真上は、修理の依頼を受けた腕時計の状態を具にチェックしている4代目 髙栁隆大(たかやなぎたかひろ)社長。職人気質で、祖父の代から受け継

『洋菓子匠 維新之蔵』が、こんなに可愛い菓子を作っていた!

 熊本県天草市にある『洋菓子匠 維新之蔵』(店主 岡部國光さん)。  元々は業務用洋菓子専門で動いていたが、今は、誕生日ケーキやその他店頭販売用のロールケーキ、ニューヨークタイプのチーズケーキなど、多種多様な商品を開発している。  その中で、数年前に頂いた可愛い洋菓子たち。店主の写真を見るだけで、人間性が滲み出ている。誰に見せても、「いい笑顔してますね!」と絶賛される。  店主の性格は至ってのんびり屋のように見えるが、いやいや、筋の通らぬことが嫌いな人間である。ただ、お

『琥珀色の珈琲』に人生を掛ける、八井巌さん。

 熊本で名物老舗珈琲店となれば、『珈琲アロー』(店主 八井巌さん)。それを知らぬ人は珈琲通とは言えない。八井さんとの出逢いは、筆者が新聞社時代に遡る。同店は1964年創業で、熊本県内では珈琲専門店の魁(さきがけ)であった。  「あらー、お久しぶり!」とカウンター奥から、にこやかに挨拶をしてくれる珈琲アロー店主の八井巌さん。「よう来なはったですね。本当にお久しぶり。元気だったですか?」と満面の笑みである。  八井さんとの出逢いは、新聞社時代に某役員から連れて行かれたのが最初

和食の『器』その2・・・語れば尽きない、『器』の話。

 昨日に続いて写真を整理していると、筆者のお気に入りの料理人『脇宮盛久料理長』(熊本ホテルキャッスル 細川)の 会席料理やランチで出された料理の中から、『器』を選んでみた。  どれもこれも、写真を見ると、『器』と『料理』がシンクロしており、香りが飛び出してくる。記憶に刻まれてた想い出の料理たち。先程、夜食にて『チャーハン』を作ってみたが、雲泥の差に愕然とするばかり。(しかし、我ながら旨いと叫んでしまった。)  冗談はさておき、下の茶碗蒸しなど、松茸とウニが添えられて、そこ

幻の蕎麦屋『木阿彌』・・・数年前に、ご自宅を訪ね食した、最後の十割蕎麦。

 蕎麦屋『木阿彌』の中原夫妻(中原邦雄さん、千枝子さん)と出逢ったのは、2016年5月20日。熊本県玉名郡和水町にある『肥後民家村』の入り口に、店を構えていた。  ご夫婦で全国行脚して、本物の『蕎麦』を食べ歩き、修行した後に、出店を決意したと聞いている。それから数年後、或る日突然、同町担当者や町長から、『カレー街道』の構想を優先するために営業継続阻止されたのである。よって、2017年6月25日で営業終了となった。  新聞でも取り上げられ、今でも理不尽なる継続阻止について疑

料理写真は、全て記憶に残る。・・・瞬間的に香りや食感、味、そして笑顔を思い出す。

 時折、取材した料理写真の整理をしながら、気に入った写真を適当に選び、『極上グルメ百選』にまとめることがある。  左上から右へと進むと、1)ザ・リッツ・カールトン東京 『日本料理ひのきざか』の鉄板焼の野菜、2)同じく蝦夷鮑、3)同じく蝦夷鮑の料理、4)熊本ホテルキャッスル 四川料理 桃花源の乾燥アワビのステーキなどと、何処の誰が使った食材で、どのような料理だったかを直ぐに思い出す。  人間の記憶とは、その時の『美味』の刺激の度合いによって左右されるのかと勝手に思っているが

新人だった、坂本君。今や、料理長やセカンドを支える立場に・・・

 厨房内(熊本ホテルキャッスル ダイニングキッチン九曜杏)から、いつも、ひょこりニッコリご挨拶。それが、坂本君だ。  写真は、同ホテル入社当時のもの。左利きなので、彼独自に左利き用の包丁を持参していた。結構、『イジられキャラ』のようだが、とても料理を熱心に学ぶタイプの人間だ。  数年前、サンドイッチを頼んだ時に、若手料理人の中で、坂本君の包丁の刃が突出して立っていた。「お、ちゃんとここまで遣っている!」と、マネージャーに称賛の辞を伝えるよう頼んだことを思い出す。  昨日

女心をくすぐる、鉄板焼シェフ『上野雅人』の世界。・・・

 2009年4月13日にお会いした、上野雅人シェフ(当時:東急キャピトルレストラン鉄板焼「源氏」)。  兎に角、優しい笑顔が素敵なシェフだった。それからお会いすることはなかったが、時には電話したり、ネット上で転勤先を見つけてはと、とても気になる、想い出に残るシェフの一人である。  当時のメインディッシュでは、黒毛和牛のサーロインステーキ、フィレステーキや黒鮑をたらふく食したのだった。  2泊3日の東京滞在で、三カ所の高級鉄板焼レストランを取材することになっていたので、同