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「note」を用いて散らかった思考を整理し、さらに「ChatGPT」との連携により自らをグレードアップするのが、ルーチンワークとなっている。 死語となった「ニューメディア」や「インタラクティブ・マルチメディア」の時代から現代に至るまで、メディアの黎明期からその進化を見届けてきた。その経験から、これから先の生成AI世界がどのように変化し、進化していくかが透けて見えるのである。 ビジネスライクに言えば、企業のデスクワークは数十年にわたり大きく変わらず、主な変化は作業が紙と
生成AIのChatGPTやMidjourneyについては、書き上げたエッセイの評価を行い、写真がない場合に、そのエッセイを生成AIに読ませて、AIがイメージする画像をタイトル画像として使用することにしている。 ところが、本日も読者の方から誤字の指摘があったように、最近、誤字脱字が増えつつあることに気付かされた。 要因はよく分かっている。 まず、視力低下が大きな障害となる。職業柄、デスクワークでパソコン画面を見る時間が長く、乱視がひどく、凝視していると小さな文字が
妖怪漫画の大家と言えば、今は亡き、水木しげる。皆さんご存知の「ゲゲゲの鬼太郎」の作家である。 それをChatGPT DALL-Eへ告げて生成させても、筆者が求める画像とは全く異なる画像を生成してくるのであった。 モノクロームで生成させたので、迫力もあり、不気味な空気感が何とも言えないが、どうしてもアジア一括りのような、生成AIのディープラーニングを疑ってしまう。 しかし、鉛筆画でここまで描けと言われれば、簡単には描けないので、文句を言ってはいけないのだろうけれど
ある日突然、全く人格が変わったような顔つきとなり、豹変する人がいる。本人は朝から見る顔はいつも通り変わらぬと感じるだろうが、実は、別人のような風貌になっている。 喋り方も、リアクションも、以前とは全く別人である。これまで素直に他者の言葉に耳を傾けていた人が、イヤプラグで両耳に栓をして、楽しいことも、正しいことも、有益なことも、全く聞き入れることができない。 歳を重ねて、目つきが悪い仏頂面の人もいる。長年積もり積もった笑顔なき状態が、能面師がノミを使い般若の面(メン)
ChatGPT 4.0「顔隠しジェネレーター」の実験を行った。画像サンプルは、全てDALL-Eで生成したものである。 顔隠しの方法は、スマイルマークとモザイク、ぼかしの3種類。使い方は、顔隠しの方法から1つを選び、その後に原画をアップしてジェネレートするのを待つだけとなる。 今回、一度に4枚の原画をアップしたが、何と、大仏だけは顔認識ができなかったようで、同じ画像が生成された。 この「顔隠しジェネレーター」については、モザイク処理は、画面いっぱいの顔となればバレ
パソコンと言えば、筆者にとってはMac以外何もない。敢えて、Mac以外に必要な機材を挙げれば、インターネットサーバー(DNS、WEB、MAIL)であろうか。MacはMac OSで走り、サーバーはLINUX OSで走る。 新聞社当時を振り返ると、全てのスタッフはDOS系のパソコンを使用していたが、筆者のみMacintosh(Mac)を使用していた。 モニター画面ガチガチのキャラクタ表示のDOS系に対して、自由自在に表示できるビットマップディスプレイを目の前に、既に、ト
熱心な「note」の読者の方の中で、何度もネガティブなコメントを記入される方がいらっしゃる。それも、頻繁にチャット感覚でコメントが入り、挙げ句の果てにはネガティブな相談事のようになっている。 筆者はICTやホテル文化&食文化などの企業戦略コンサルタントを本業としており、コメント欄は相談箱ではないと考えている。あまりに突っ込んだ、それもネガティブな個人的な相談事となると、どうしても一歩、二歩引いてしまう。 加えて、個人的な恨み辛みなどが混入され、憎しみに満ち溢れたコメ
仕事上で業務報告は指示されずとも、文字化して伝えるのが常識である。それを、電話やSNS電話にて口頭で伝えても、価値もなく、意味もない。 何故なら、後々、新たなプロジェクトを立ち上げる場合に、時系列で経緯を検証することで、正確に把握ができ、修正も容易となる。 また、口頭で伝えるだけで文字化しない人間は、行き当たりばったりの「虚偽報告」となりがちなので、あらゆるところに支障が出てくる可能がある。 「虚偽」は遅かれ早かれ炙り出されるのであるが、「虚偽」で逃げる人間の常
わずか6日間で、「スキ」が1,000件も増えている。 筆者の思いつきエッセイで大変申し訳ないが、閃けば書かずにいられない性格なので、多い時は、1日あたり10本以上のエッセイやコラムを書いていた。 あまりに多すぎても、読者の方には煩わしさしか伝わらないのではないかとの心配もあり、現在は多くても5本程度に抑えている。 ネタは尽きることはないが、もっと、読者の方々が唸るような、首を縦に何度も振って頂くようなエッセイを書ければと思うばかり。 現在「note」専用に使
これはあくまでも、筆者個人の若き頃(新聞社時代)を思い起こしての話であり、26歳から28歳の頃が我が人生において、最高にアグレッシブに動いた時期である。 企画担当であり、約1年間を、過去10年分の先輩諸氏が残した企画書を紐解き、全て読み切った。クラシック音楽業界、歌舞伎などの伝統芸能、ハイテク業界など、カルチャー色に埋まってしまった感がある。 地方紙といえども、県内部数では朝刊40万部、夕刊15万部と、県内新聞の六十数%のシェアを誇り、全国地方紙でもベスト3に入って
自分自身を深く理解することは、時に痛みを伴うが、これが成長につながることも事実である。 人はしばしば、自己肯定的なスタンスをとりがちだ。これは一見ポジティブであり、好ましいように思われるかも知れないが、その反面、自分の欠点や課題に目を向けることを怠ることになる。 親や友人との意見の違いから生じる議論も、自己の理解を深める機会となり得る。しかし、議論が論理的かつ整合性が共わなければ、持論は容易に論破されてしまう。 素直な人は、自らの誤りを認め、考え方や受け止め方を
世の中に、百点満点の人はいない。人は己をよく見せようとしながらも、常に、自分自身を欲目で見てしまいがちである。それが、己スタンダードである。 しかし、盧舎那仏開眼ではないが、眼を開いて、視野を広げると、己スタンダードの窮屈さに気づかざるを得なくなってしまう。 そこで、自己改革が必要となってくるが、己スタンダードの一部を否定することに躊躇し、折角のタイミングを逸して、変化、進化に至らぬケースが多いように思えてならない。 多様化の時代となれば、どれが正しい、どれが間
先般、「ゴミのポイ捨て」について書き綴ったけれども、そのような愚行に及ぶのは、全て、理屈が理解できていない人であるからだ。 理屈が理解できないとは、具体的には因果関係へのシミュレート能力に欠け、更に、周囲への配慮に欠けることが大きな要因である。つまり、理屈が理解できていないのである。 日本の幹線道路やその他公的施設の周囲のゴミはほとんど無い。それは、日本人の気質が影響を及ぼしているのだが、その美しい環境づくりが当たり前となっているので、美しいのに慣れきっている。
久しぶりに、変顔シリーズとして、大仏の表情をDALL-Eに生成させてみた。各画像下の簡単な説明にて、ご確認いただければと。