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理不尽なる蛮行

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私自身に限らず、周囲の方々のパワハラ相談を受けて、理不尽なる蛮行が罷り通る世の中が、とても情けないと思います。人を虐めたり恫喝したりして、何も産むことはない。被害者が加害者のよう…
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#いじめ

誹謗中傷、揶揄、嫌がらせが常態化すると、企業は根っこから腐ってくる。

 島国根性かどうか判らないが、企業によっては、立ち話ばかりでサボタージュしている社員も多い。仕事もせずに給金を貰おうなんて、厚顔無恥な話である。  立ち話は、ほとんどが人の噂。目の前では言わず、陰でこそこそと密談しながら、第三者の誹謗中傷や揶揄をこの上なく愛するボンクラ輩。暇で暇で堪らんのであろう。  自分自身の歪んだ思考回路や言動に対して自覚もなく、暇さえあれば、上司や同僚の噂話に花が咲く。どうでも良い話だが、これがルーチンワークとなっているのだから、おめでたい。  

痛みを自ら経験しなければ理解できない

 虐めや煽り運転といった蛮行に至る人々は、他者の苦痛を全く理解できていない。彼らが自身で威嚇や暴行を受ける立場に逆転すると、痛みの実態が初めて理解できるのだろうと。  痛みの経験は、虐めや煽り運転の危険性を認識させるために、経験者が同様の恐怖を味わうことが必要である。しかし、残念ながら、一部の人々は恐怖から逃れた後でも、他者を再びターゲットにすることがある。  この行動は学習能力にも関連している。多くの子供たちは一度の痛い経験から学び取り修正するが、一部の大人は同じ過ちを

弱者を虐める人間ほど、弱虫はいない。

 自分よりも力のない人間を見つけると、その弱みにつけ込んで虐めに走る人がいる。このような行動は、自己の内面の弱さ、特に他者に対する共感の欠如や、自己の不安を他者への支配で誤魔化そうとする心理状態の表れである。  例えば、社内でのパワーハラスメントは、このような行動の一例である。上司が部下を不当に扱い、その行動を正当化する様子は、自身が職場での地位や権力を利用して、自己の不安や劣等感を隠蔽しようとする行動の典型である。  実際に、パワハラの一場面として、上司が部下に対して無

ゴミ箱に捨てられたノートパソコン

 以下、新聞社時代の回想である。「Well Done Cross-media」の打ち合わせの中で、若き頃の嫌な出来事が脳裏をよぎったのである。  ある日、早朝にオフィスに到着すると、自分のデスクに置いていたはずのノートパソコンが消えていた。オフィス内を一生懸命探したが、どこにも見当たらなかった。  その時、ドアのノック音が聞こえ、清掃委託業者のスタッフ(女性)が入ってきた。そこで筆者のノートパソコンについて尋ねると。彼女は驚いている様子だったが、質問に丁寧に答えてくれた。

モラルなき人間が教壇に立つ恐ろしさ・・・

 債務不履行で逃げたり、他者に虚偽情報を流し偽計業務妨害をしたりと、悪行三昧に手を染める人間が、専門学校の講師をしているという。  教壇に立つ人間が、自らの違法行為を隠して、のうのうと生徒たちに教える姿を想像するだけでも気持ち悪く、空恐ろしくなってしまう。  モラルも遵法精神も欠落しており、他者に虚偽情報を流すという卑劣な人間が、どうして、純朴無垢なる生徒たちを指導できるのであろうか。  報道では、教壇に立つ教職によるセクハラや強盗殺人、詐欺などの事件が発覚しているが、

ミスター・おにぎりマン(第2話)

 おにぎりマンが、或る女性社員を自慢げに語る。「あの子は最初会った時に立ち姿もお辞儀も一番美しかった。非常に見込みがある!」と豪語する。  それから数ヶ月後に、「あの子が体調を壊したようなので、無理のない部署へ異動させようと思っているが・・・。」と、おにぎりマンは悲しげだ。  更に数ヶ月後に、「私は19、20歳の生娘に裏切られた。彼女は突然会社を辞めてしまった。辞職後に或る宴会で彼女に遭遇し、気が狂いそうに腹が立った。」と。  「薄給の人間が付けるようなアクセサリーじゃ

ミスター・おにぎりマン(第1話)

 悪名高きパワハラ&セクハラ男、ミスター・おにぎりマン。某企業の代表者であった。  口癖は、「そうなんですねえ!?そう考えますか!?」と正解を与えず、じわじわと部下の首を真綿で絞めるような言葉を投げ掛け威圧する。  お気に入りの若き女性には、従業員通路で写メを撮ってあげたり、楽な部署へと異動させるなど、とにかく可愛がる。  憎き部下へは背後から盗撮を繰り返し、証拠写真として「これが、仕事ですか!?へえ、これが仕事なんですねえ!」と、デスクワーク中の部下の後ろに長時間居座

追い詰める元凶を炙り出し、形勢逆転を!

 人は片方の意見を聞いて、安直に頷き、鵜呑みするものではない。対峙の関係に置かれた人の意見を聞けば、片方の異論に信憑性がないことが良くある。  悪意ある人は自分の都合ばかりを優先し、身勝手な挙動に出がちである。そこで、どちらかに軍配を挙げざるを得ない場合は、互いの言い分に慎重に耳を傾け、真偽の程を見極める必要がある。  追い詰められるのは、圧倒的に弱者が多い。逆に、追い詰める方は、職位など優位に立っているからこそ、強引に異論を展開し追い詰める。よって、無辜なる人が犯人扱い

灯台下暗し・・・社内の「いじめ」や「恫喝」、「嫌がらせ」は、壁の裏側で行われている。

 社会人になると、職位を悪用した大人気ない「いじめ」や「恫喝」、「嫌がらせ」に遭遇することがある。それも、経営側の目と鼻の先、水面下で日々「蛮行」が繰り広げられている。(某ホテルは経営側の蛮行だった)  底意地悪い人物による「いじめ」や「恫喝」、「嫌がらせ」は、その人物の下らぬ目的達成のために、手を替え品を替え、経営側が察知できぬほどの「漣」(さざなみ)から始まり、徐々に時間を掛けて「津波」にまで増幅して行く。  例えば、自分が主役で他の同僚が気に食わぬという人物がいると

小狡い輩の『愚策』は、必ず暴かれる。・・・他人の『信頼関係破壊工作』における大失態。

 他社の話だが、数年前のこと、『恫喝』をこよなく愛する社長がいた(いる)。その輩は、部下をターゲットに、メールで直接間接攻撃、口頭では皮肉三昧の毎日を送っていた(いる)。  相談を受けた筆者が、その輩に詰問し、その輩の『蛮行』を粉砕するように動いたのだった。それから、2ヶ月ほどは大人しくなったようだが、心が歪みきった輩が、そう簡単に完治、改善するはずがない。  そこで輩が採った『愚策』が、ターゲットとなっていた部下へ筆者に対する『誹謗中傷』のメールであった。  狙いは、

他人事で遣っているから、捌けない。・・・仕事は、全て自分の為に遣る!!!これ、大事。

 筆者の前職はサラリーマンであった。当時の先輩後輩を含む同僚たちは、低く見積もっても六割は日々真剣に仕事をしていたと記憶する。特に、中間管理職以下の社員に絞れば、九割は下克上の競争で倒れぬよう、歯を食いしばって自分の仕事に傾注していた。  上の六割は少ないように思えるが、安定したマスコミでもあり、当時の経営は安定しており、社員の不安は皆無に等しかった時代である。そこで、周囲の他の企業との共通点に苦笑いしたことがあった。それは、各社全てにおいて、ある程度偉くなればなるほど、経

『馴れ』は、実に怖い。理不尽なる事も、危険極まりない事も忘れてしまう。だから、『悪事』が罷り通る。

 過去において相談を受けた人たちの様子を伺うと、危機迫る当時のそれぞれの表情と比較すれば、緊張感が伝わることなく、穏やかになっている。  穏やかになるのは良いが、諸問題が全て解決された訳ではなく、相談を受けた当時と全く変わらぬどころか、徐々に酷くなっているのが実状だ。  危機迫る当時は、精神的に病んだ人たちが、血尿やら鬱やらヘルペスやらに苛まれるなど、心無い悪代官の『パワハラ絶頂期』であった。  しかし、当時の被害者となっていた人たちは、時間と共に『馴れ』てしまっている

蛮行を繰り返す『ミスター恫喝』。風上に置けぬ、本物の『阿呆』が一人。

 筆者が、史上最低の経営者として焼印を押したい人物が一人いる。『パワハラ』、『セクハラ』など盛り沢山で、その被害者が日々急増していると白い目で見られている、さもしい雇われ社長である。  県外から来ているらしいが、己の出身地と比較しては、この地を見下げ、財界の重鎮たちを小馬鹿にする罵詈雑言の数々。よって、部下に対する言葉は、嫌味ばかりで、正解を与えず、精神的に圧を掛けるという、稚拙なる『蛮行』を繰り返している。  『ミスタードーナツ』ならぬ、『ミスター恫喝』とニックネームを

肝っ玉小さく、姑息な輩ほど、重箱の隅を突つく。それが上司となれば、部下は不幸のどん底ど真ん中。

 企業には、いろんな人種が生息している。それは、アジア系やヨーロッパ系とかという人種ではなく、大きく分けて、善人と悪人、それに、グレーゾーンの彌次郎兵衛(ヤジロベエ)などの人種を言う。  ここで、部下と上司について検証してみると、会社には必ずと言って良いほど、重箱の隅を突つくような姑息な悪得上司が生息している。よって、その部下たちは、日々、輩からの嫌がらせなり、恫喝なりに遭遇し、仕事以外でエネルギーを消耗している。  ところが、姑息な悪徳上司は、職位を盾に、難癖をつけたり