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複合姓を名乗るのだ

しばらくnoteを書いていなかった。SNSがこわかった。それはコミュニティがこわいというよりも、SNSで文章を書く時、自分が嘘をついているように思えてこわかったから。長いこと、エッセイや小説を内向きに書き続けて、限られた教室のコミュニティや公募だけで公開していた。

でもついこの前、noteに素敵なコメントをもらった。noteで読む私の文章が好きだと言ってくれた。率直にとても嬉しかった。コメントが、美しく輝いていた。

それで、単純なことに気が付いた。SNSで書く文章が嘘だと決めていたのは私だったのだ。SNSでもありのまま、真っ直ぐに書けばいい。自分がここに書く文章を本当だと思って、そこから大切な何かを受け取ってくれる人が一人いてくれれば、それでいいのだと、初心に返る気持ちがした。原稿用紙でもSNSでも、素直な自分の気持ちを書くことに責任を持つのは、自分自身だ。今日からはまた、ゆっくり素直な気持ちをnoteに書いてみようと思えた。

そんな気づきをもらった時に、ふいに幸地、落合、と毎回違う苗字を使い分けている自分に気が付いた。こっちの仕事では幸地、こっちの仕事では落合。それも自分の分離なのかも、と思った。簡単な理由は結婚して苗字が変わったからだけど、なんとなく、私はどちらかの姓に固定することができなかった。根っからの優柔不断なとこもある。そして、仕事や色々な現場でそれぞれ使い分けるようになって、どちらでも自分を偽っているような気がした。どちらでもより有利に自分が好かれるように、なんとなく選択して、なんとなく演じているような気がする。新しい人に出会って、どちらかの姓で過ごした一日の最後には、分厚い皮が自分からはげ落ちていく気のすることもあった。

だからいっそのこと、複合姓を名乗ることにしよう。名刺は元々そうしているけれど(カッコ付きで落合を付けている)、どこの自己紹介でもそうしたほうが心地よいのかもしれない。自分の家族も好きで、新しく出会った夫の家族にも誇りを持っている。今の私を作っているのは、両方の苗字である気がしてならないから、とりあえずしばらく、複合姓を使ってみたい。飽きたり問題が起きたりしたら、またどちらかに固定するか、使い分けるかするかもしれないけれど……

文章も姓も、自分が自分らしくあれると思えば、それが一番いいのだ。裸一貫、自分をどかーんと曝け出してみたい気分に、最近ようやくなれた気がする。Hさん、本当にありがとう。

読んだ方が、自分らしく生きる勇気を得られるよう、文章を書き続けます。 サポートいただければ、とても嬉しいです。 いただきましたサポートは、執筆活動、子どもたちへの芸術文化の機会提供、文化・環境保全の支援等に使わせていただきます。