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好き嫌いは入り交ざったもの

好きと嫌いについて、最近思うことがある。

それは全部が好き、全部が嫌い、ということはないということだ。

夫も好きなところと嫌いなところがある。子どもだって好きと思うところと嫌いと思うところがある。それでいて、二人とも好きだと言える自分がいる。

夏だってそうだ。山の瑞々しさやすっかり青く抜けた海は好きだけれど、カンカン照りのコンクリートは嫌いである。

音楽家や演奏家についても同じ。「この演奏家が好き」というのは憚られる。私は総じてユジャ・ワンは好きだけれども、前に生で聴いた演奏は残念。がっかりした。この時の演奏は”内輪”の喜びが主で、観客との対話、音楽との対話が感じられなかった。正直彼らの一方的な演奏という印象だった。ユジャ・ワンの、音楽に入り込んで、ムズムズしながら穴をあけて飛び出してくるような。極小の粒からダイナミックに弾け飛んでいくライブ感を期待していたから、この時の演奏は嫌いだった。(2019/3/20(水) サントリーホール 大ホール。J.アダムズ:Must the Devil Have All the Good Tunes?(日本初演))

自分自身にもそうだ。自分を好きになろう、と言うけれど、好きなところもあれば嫌いなところもある。

誰かのことを好きだとか嫌いだとか言うけれど、好きな部分もあれば嫌いな部分もある。

それだけのことだと思う。それでよいのだと思う。

嫌いだからだめだ。好きだから良い。ということではなくて、好きも嫌いもあるから、存在するんだと思う。

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