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評価について思うこと(芸術文化活動の社会的価値を中心に)

子ども・教育分野と芸術文化分野の活動に取り組み、またそうした活動をする方々の伴走をしています。
この7年ほど、いくつかの劇場、舞台芸術関連組織と共に、事業・組織の評価、伴走支援を行ってきました。
そうした経験をとおした気づきについてお話させていただく機会がありました。世界劇場国際フォーラム in 可児 、inさいたまという場所です。
「文化芸術の社会的価値を伝える評価の役割~つながりの場としての評価」という題目でお話し、その内容について簡単に書いたものを提出しましたので、こちらに転記したいと思います。
登壇者の方々、参加者の方々との共有の中で、また深い気づきがありました。フォーラムが終わった今、既に加筆修正したい気持ちでいっぱいですが……一旦アーカイブとしてこちらに載せています。
このメモに付け加える言葉があるとすれば、それは「われわれとしての自己(self-as-we)」と、「発見」です。また再考したものも、書こうと思います。

本文

「文化芸術の社会的価値を伝える評価の役割」という題で、「つながりの場を作る」ことについてお話したいと思います。

私は2015年より芸術文化活動、特に子どもたちや地域コミュニティ向けの芸術文化活動の支援に携わってきました。そこではケアの文脈と芸術文化が入れ子のように互いに価値を高め合うことを目撃してきました。そうした現場への多様な支援を行う中で、alaの活動を含む、十を超える芸術文化活動の社会的価値の評価(以降、社会的価値の評価を単に「評価」と表記させていただきます)に携わってきました。社会的処方箋としての芸術文化活動、あるいは劇場法に書かれるような地域コミュニティの創造と再生、地域の発展を支える機能といった観点から、その評価を実施し説明が求められる傾向は強くなっていると言えるでしょう。

一方現場では、評価について批判的な声が上がることもあります。「言葉にできないから芸術活動をしているのになぜ数値や言葉にする必要があるのか」。「芸術活動は成果を目指すものではない(目指してはいけない)」。私自身、現代舞踊や現代音楽のファンであり、「なまもの」としての芸術を紙面に文章や数値で時に論理的に表現してはその価値が伝わらないという想いもわかります。また、社会的処方箋としての芸術文化活動の社会的価値を強調することで、結果的に社会的処方的な活動が目的化され、そうした目的のない芸術活動に資金が流入しづらくなるのではないか、という怖れを耳にすることもあります。

ここで私たちが再度問うべきは、なぜ評価を行うのか、だと考えます。誰が誰に何を伝えたいのか。主体は劇場か、自治体か、芸術団体か。伝えたい相手は子どもたちか、資金の提供者か。目的は活動の改善か、資金調達か、外部への説明か。それらを問えばそもそも評価をする必要があるかや、取るべき手法が見えてくるでしょう。例えば職員同士で共有するには価値の言語化を丁寧にするのが重要かもしれません。財務省向けには数値で示した方が伝わりやすいこともあり、幼い子どもたちに伝えるには絵や平易な文章で伝えるでしょう。

目的を確認したうえで、特に社会的処方箋としての芸術文化活動に関して評価がなせる役割は大まかに二つあると考えます。一つは社会的価値を明示し、より多様な場にその価値を届けることです。医療分野で考えれば有効かどうかわからない薬剤は承認されません。医薬品と同等ではないにせよ、その活動のあり方によって、ある程度のエビデンスを持って社会的価値を示すことが必要な場合もあるでしょう。RISTEXの事例に見られるように他分野との融和が起こってゆくことで、(どう分野を切り取るかは横に置いておいて)芸術文化に関わる活動のこうした評価が進んでゆくのだと思います。

もう一つ、私が強調したいのは「つながりの場」としての機能です。私は今まで関わった案件において、評価の実施過程やその結果が人々をつなげる役割を果たすと実感してきました。意図するにせよしないにせよ、実施過程で職員間の解きほぐしができた、結果共有で新たな組織との連携につながったなど、評価を通じ人と人、組織同士のつながりが変化していきます。本日は中でも二つのケース、(定量)結果により資金提供側とのコミュニケーションが生まれたケースと、評価実施過程で対象者と新しい関係性が生まれたケースを紹介させていただきます。

評価というと定量的で芸術文化活動とは相容れないもの、あるいは結果的に成果を目的とする活動を誘引してしまうもの、といったイメージが語られることがあります。しかし数値で示すこと、高いエビデンスレベルを有すること、成果を目的とすることと、つながりの場が生まれることは何ら相反することではありません。評価は新自由主義的に成果目的の新たな競争社会を加速させるものではなく、むしろその取り組みがあるからこそ、あらゆる境界が融解し、つながりの場、相互共存の場が生まれ、それぞれが幸福にある社会の実現に一歩近づくのだと考えます。「評価」という言葉一つをとっても分断が生まれがちな社会ですが、評価はあくまで価値を伝えるものであり、囚われるものではないのです。主体は評価でも成果でもなく私たちであり、その私たちの「つながりの場」を生み出す役割を持つものと意識をしておけば、社会的処方箋としての芸術文化活動の可能性をさらに広げる可能性があると私は考えています。

読んだ方が、自分らしく生きる勇気を得られるよう、文章を書き続けます。 サポートいただければ、とても嬉しいです。 いただきましたサポートは、執筆活動、子どもたちへの芸術文化の機会提供、文化・環境保全の支援等に使わせていただきます。