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人生双六の無い、これからの私たち

最近各所で講演に呼ばれるたびに、しつこくこの図を使って話しているのですが、この生態系図がやたらと好評で、色々感想をいただいています。

この生態系図は、クリエイターと一言で言っても、多様な人がいるし、循環することに意味があるという図。
支払える賃料も異なるし、必要とする場も異なるので、これから層・食えてる層・売れてる層として分類した。特筆すべきは、売れてる層・食えてる層・これから層のどの層も、街において大事な資源だということ。みんながこの街で育ち、自分らしく活躍することが、街の未来にとって大事なことだ。

せっかく京都で学んで京都で活動したくても、場所がなかったら離れてしまう。場所があったら、未だここで頑張ってみるかという気にさせる。不動産にはそういう力があると思っている。

これまで、京都では、それぞれに必要とされる場を10年ほど作り続けてきた。
グラデーションに合わせた場を網羅できていると、これから層だった人が軌道に乗り、食えてる層に行く時にも手助けできる。例えば、売れてる層からこれから層へ、雇用が生まれたり、業種を超えた同層での協業といった循環もあるかもしれない。
そんな意味を込めて作った生態系図であった。

で、本題はここから。
その図を作っていた時には失念していた視点だが、どんどんこの図の上に昇っていこうというのが、もはや昭和的価値観だった。
「不動産を借りて(若しくは買って)店を構える」が最終のゴールのように思われがちだけど、皆が皆、店を持つことを求めているわけではない。実力があっても、店を持たなくてもいい。先日、友人の屋台イベントでトークに呼ばれて、自分でそう話していて、自分の言葉に納得した。
そういえば、何年待ちのパン屋さん、ヒヨリブロートの塚本さんは、最初から店を持たず通販のみを前提としていると、本で読んだ

高度成長期に作られた住宅双六のように、一軒家を建てることが、今や最終ゴールではなくなったのと同様に、だ。先日会った同業の友人は、不動産をたぶん10戸は持っているけど、最終的にはキャンピングカーで暮らしたいと言っていた。

これは、場所を設える側において、非常に大切な観点だと思う。それぞれの人生のタイミングで、必要な場は多様化している。寄り添うことが大切で、勝手に決めつけていると、市場の価値観とずれてしまう。
また、若き不動産所有者が40才にもなると周りにも増えてきて、不動産を所有することの意味も変わり始めている。俺は買えるんだ!から、やりたい事を試してみたいツールに。自分もそんな感じでビルを買ったから、これはよく理解できる。

人生双六のない我々の道は荒野だが、だからこそバリエーション豊かな寄り添い方が必要なのだと思う。


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