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人の苦労は哀しいのです

一週間ぶりくらいにKさんに会ったので、義父のことのその後とかをつらつら話していたら、初めて聞くことをきいた。

前に同じ職場にいたSちゃんのお母さんが、亡くなったそうだ。

Sちゃんは私よりひとまわり下の、ゲーム好きでオタク気質のあるとても楽しい子だ。「オタクに恋は難しい」を地で行く結婚をして、今はゲームで知り合った旦那さんと別県でくらしている。

そのSちゃん、末っ子だったんだけど、お母さんの事情が特殊で、ぎりぎりまでご両親と同居していた。
Sちゃんのお母さんはお父さんよりも年上で、家が近かったのでたまに会ったことがある。まだコロナ騒ぎの前で、私がマクドナルドで作業しているときに、数回。ハンバーガーやポテトが大好きで、病院帰りによく寄っていたそうだ。にこにこして、一見とても穏やかだった。Sちゃんはまるで母親のようにお母さんのお世話をしていた。
認知症がすすんで、Sちゃんのことを近所のおばさんくらいに思っていたようで、でもSちゃんはお母さんのことをとても大事にしていた。今の旦那さんと籍を入れても、しばらくはいわゆる通い婚で、週末に旦那さんに会いにいって一緒に過ごしていた。

それが、コロナ騒ぎで、安易な県またぎができなくなり。
基礎疾患持ちのSちゃんは、さすがにこのままでどちらかに何事かが起きたときのことを考え始めた。ケアマネさんとコンタクトを取り、Sちゃんに任せきりであまり介護に手を出してこなかったお姉さん達を巻き込み、泣く泣くお母さんの施設入居を決めて、Sちゃんは退職し晴れて旦那さんとの同居生活に入った。

私もラインでつながっていたけど、Sちゃんはあまりというか、離職してからは連絡してこなかった。状況は、Sちゃんのオンラインゲーム仲間の同僚か、たまに連絡を取っているKさんから聞けた。元気そうなので放っておいた。

その、Sちゃんの母さんが亡くなった話。

認知症の症状が進んで入居していたSちゃん母は、亡くなる一週間くらい前から、ものを食べなくなったそうだ。
認知症が進行して、食べ方を忘れたのか、食欲が無くなって食べなくなったのかまでは判らない。死に目には立ち会えたそうだ。
葬儀は身内だけで済ませたという。

元職場である私たちの所に顔をだしたかったけど、旦那さんの都合で来られなかったそうだ。

認知症がある程度進んで、sちゃんはペットカメラで仕事中も時々家の様子を見るようになった。家には犬が二匹いて、その片方をSちゃん母は人間の子供のように扱って、ご飯もこっそり食べさせる。
文句をいつつも、母親の姿が一定時間見えなくなるとオロオロし始め、人数に余裕があるときは早く帰ることも度々あった。私がいたときのは、ほぼほぼ取り越し苦労なんだけど、そこで反対して、本当に何事かあったときに責任もてないし、好きにさせていた。

Sちゃんが引っ越し、Sちゃん母が施設に入り、犬の一匹はSちゃんが連れていき、もう一匹は家にいる父親が面倒見ていた。一度散歩に行く後ろ姿をみたことがある。

自分を責めることはない、よくやったよ、と、Kさんは伝えたそうだ。
症状が進行して、知らない近所の叔母さん扱いされて、時に暴言を吐かれても、ぶつかりあいながらも、Sちゃんが母親を大事にしてきたのはみんな知っている。

親もそうだけど、人との関係は、もしもの積み重ねだ。その時は最善の選択をしたつもりでも、結局選択しなかったもうひとつの分岐で、人は「もしも」を思い描く。もしも、Sちゃんが母親を施設に入れなければ。ずっと一緒にいてあげれば。
考えても仕方のないもしもを、優しい人はずっと抱えて生きていく。

私は。
タブレットを操作する私を見て、興味ありげにしていた実家の母を思い出す。「でも、今更」と一人で勝手に可能性を閉ざす母の姿を思い出す。
私がずっとそばにいられれば、妹たちを煩わせずに教えてあげることが出来れば、母にもっと広い世界を見せられたかも知れないと。

でも、出来なかったことは仕方無いのだ。そのときの精一杯のことしか、ひとはできないのだから。

ひとは、ちょっと後悔して生きていくくらいが、ちょうどいい。

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