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<4>予想はしていても動揺はする。

2020年2月中旬

一週間後といわれていたけれど、検体を送った検査機関の休みと私のスケジュールとかみ合わず、あれから2週間たってしまった。

朝一番のクリニックはまだ人が少ない。
やさしさと柔らかいセンスに包まれた待合室で
少し緊張して待つ。

ほどなく女性の先生から呼ばれて診察室へ。


 “やっぱりね、癌細胞がみつかりました。多分ここなのだけど……”


先生がペンを使って指し示す画面を見る。

どこのことを言っているのかはペンの先を凝視してもよくわからない。

 “出血の元はここだと思うのだけど、筋肉組織まで行っているかどうかはこれでは分からないからCTとMRIとちゃんと大きな病院で検査をしたほうがいいですね”


 “どこの病院がいいのでしょう?”


私がすんなりと検査結果を受け入れたような声色だったので先生もホッとした表情をしながら


 “どこでもいいと思うけど…なじみのある病院があればそこに紹介状書きますよ”


…そうか、自分で決めないといけないのか。
先生からおすすめの病院とかアドバイスがあるのかと思った。


 “あまり調べていなくて、先生のご関係で良いところがあれば教えていただければと思ったのですけど…”


 “うーん、まぁ後で「ココがいい」って言うのが見つかったらこの紹介状をそこに出してもいいから、まずはご自身のなじみのところで紹介状を書きますよ”


と、なんとなくはぐらかされてしまった。
自分のおススメを紹介しない不文律でもあるのだろうか…


 “であれば、母が子宮がんになった時にお世話になった日赤病院に紹介状を書いてください”


日赤病院は母も良い先生にあたって今も元気に過ごしているし、自分も診察券を持っている。技術的にも問題ないだろうから日赤にお世話になるのが自分としても安心。

このやりとりをしながらのほんの15秒くらいで「日赤病院」と決めたのだけれど、

今思えば、この先生にこの後の治療についてどんな方法があるのか、どんな選択肢があるのか、もっとしつこく聞けばよかったと思っている。

 「あなたはガンです」

というセリフを聞くと、いくら自分で「落ち着いている」と感じていても冷静な判断はできない。

そして、この段階で、私は「病院選び」という点で「まだまだ甘い」という事には気が付いていない。


この頃、毎日のようにTV画面に踊る大黒ふ頭に接岸した「ダイヤモンド・プリンセス号」のロックダウンの様子や、中国武漢だけでなく欧州にもCOVID-19が広がりつつあるニュースが増える。

店頭からはマスクが消えた。

えも言えぬ不安感が社会全体を覆い始めた。



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これを読む人、
特に40代から50代にかけての女性、
そして関わる周りの人に
私のこの出来事にまつわる話を伝えることで
何か役に立つこともあるかもしれない、
そんな思いでしたためることにした。

大学病院の病理検査でクラスⅣと診断され、ステージはⅠとⅡの間、癌とは言え早期に処置できる段階で見つかった子宮体癌。

「全く命に別状はない」ところでの癌治療。

ところが意外と手間暇かかり、こんなことも起こるのか!ということもあり、しかもCOVID-19真っ最中の出来事で社会的にも特殊な時期でもあり、記録に残そうと思った。

仕事、手術、治療、自分の気持ち、そのままに書こうと思っている。

しばしお付き合いいただきたい。



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