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連載の途中ですが…とある別れの記録(1)

2021年4月15日

その日は晴天の淡路島。
海の見えるホテルの部屋でWeb会議を終わらせたら
西海岸へ車を走らせて海に沈む夕日を観よう、
と、Mさんと言っていたのに
会議が思いの外長引いてしまった。
急ぎ車を走らせたけれど、
残念ながら日没時刻には間に合わなかった。

それでも瀬戸内の日没後の茜色の空が、薄墨色の水面に雲の光が映って美しい。
昼と夜の間、海と空の間、まじりあう景色が瞼に沁みこんできた。

その夜は淡路に移住している食のお仕事の先輩Fさんの紹介で、淡路で随一というお寿司屋さんに行く事になっていた。
7時に予約を入れていただいていたので暮れゆく海の景色を背に、来た道を急ぎ戻る。

予約時間ちょうどにお店にたどり着く。

モダンな建物の2Fで、
明石海峡大橋を足元から見上げるような立地。
カウンターの向こうの大きな窓からライトアップされた白い橋脚が見える。
カウンター内でてきぱきと動くすし職人さんの姿から、
美味しい時間を過ごせる確信を得て席につく。

そして、
ふとスマホに目を移すと、
着信アリのマーク。

少し嫌な予感がする。

実は、お昼ごろに母から電話がかかってきていた。
「今日はちょっとおとうちゃま具合悪い感じなのよ」と心配そうだった。
「わかった。明日はフリーの予定だから早く帰れるように調整するね」といって電話を切った。

その時には「また体調の波が下に振れたかな」という程度の認識だった。

・・・

時間を巻き戻して4日前の日曜日。

在宅医療体制で養生をしていた父を見舞いに(むしろ母をねぎらいに)実家に赴いた。

2週間前に病院から自宅に戻ってきた父は、一食わずか二口くらいしか食べず、かつての食いしん坊の姿はどこにもない。
それでも、母がいろいろ工夫してつくる味に「まずい」とかいいつつも
(まずいわけがない)
少しづつ食べられるようになってきた。
それに伴って機嫌も良く顔つきも覇気が戻ったようだった。

その日、父の部屋のテレビはずっとラグビートップリーグの試合を映し出していた。
父はそれは飽きもせず観ている。
眠ることもなくずーっと観ている。
やっぱり好きなんだなー、と思いながら試合について話しかけたり一緒に観たり。

かつてラグビー場では、父と私たち家族は離れた席で試合を見ていた。
父は関係者席で、静かに戦況を観ながら、ぽつりぽつりと隣の人と話ながら見るタイプだった。

私はと言うと、「イケー!」「んなんだよ!」と言いながら騒がしい。
この部屋でもそんな雰囲気で、私ばかりが「うわー!」「すごいな」と感想を口にして
父が「あんなところでミスしたらいかん」とぽつっとつぶやく感じ。
なんだか懐かしい。

お茶を飲んでもらったり、苺を小さく切ったのを食べてもらったり、
お世話しつつ、テレビを観つつ、親子の時間を楽しんだ。

父は年頭に大腿骨を骨折して入院することになった。
病院の食事が合わないらしく食が細り、入院生活ですっかりベッドの上の人になってしまった。

家で好きなものを食べさせたい、という
半ば強引な母の思いに周りが動いて
3月末に家での在宅医療、介護体制となった。

そしてまずは車椅子に移乗して
食卓で食事ができるところまで回復してもらう、
というのが家族全員の当面の目標であった。

そのためには手足にちょっと刺激を与えたほうがいいかなと思いつき、
その日はハンドクリームを持参してハンドマッサージとフットマッサージをすると決めていた。

観ていた試合が終わった頃を見計らって
「今日はハンドマッサージをするよ~」といって父の手を取った。

「そんなんええよ。」と遠慮されたけどお構いなしで

「だいぶ手も腕も乾燥しているからハンドクリーム塗るだけでもやらせてね」と
半ば強引にことを進める。

ハンドマッサージもフットマッサージも、
自分がエステサロンなどでやってもらっている時の見様見真似。
そのわりには意外とうまいことできるな、と自分に感心しながら父の指一本一本を丁寧にマッサージした。

その手は骨と皮になっているのだけれど、やはり大きく感じる。父の手だ。

ずっとこのままマッサージしていたいなー、と思うけれど、
ハンドクリームが肌に吸い込まれて滑りが鈍くなる感触を合図に、
左右の手を終えて、フットマッサージも最後の左足の裏をぐーで揉んでいるところで

「もうそのへんでええよ」

という声によって、つかの間の触れ合いは終わった。

帰りしなに、「また来るねー」と声をかけると

「(マッサージを)スケジュールに入れといてな。」

と、入れ歯のないフガフガした口調で冗談のように言ってくれたことが嬉しかった。

次はオイルを持ってきて、もっとゆっくりマッサージできるようにしよう。

そして、抗がん剤治療の副作用の脱毛から若い芝生のように生えてきた髪を金髪に脱色カラーリングした私を見て、何度も「誰かと思ったら万夏か」と言って驚いていたけれど、帰り支度を済ました私を見て

「あんたその髪型似合うなぁ」

と、目を見開いてほめてくれた。私は気をよくして

「ふふふ、フランス人みたいでしょw」

というと、ニカっと笑いかえしてくれた。

・・・


淡路島のすし屋の外で折り返しの電話をかける私の手は少し緊張している。

夫の電話にかけなおしたはずなのに姉の声。
もう何を聞かされるのかわかってしまった。

「おとうちゃま、待っててくれなかったよ。」

予測していたけれど「えっ?」と聞き直してしまった。
姉の声が涙に震えていた。
ごめん、二度も言いたくないよね、こんな悲しいこと。

ただ不思議と私はあっさりとその事実を受け入れている感覚があった。


そして、早くお寿司のカウンターに戻らなくちゃ、と思っていたのである。

「美味しいもの、一緒に食べよう」


つづく。

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