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漫画「進撃の巨人 最終話(139話) あの丘の木に向かって」感想 ※4/9時点の感想なので、6月以降にまた考えが変わる可能性は高いです。

「進撃の巨人」、遂に完結しましたね。まずは、先生に11年半連載お疲れ様でしたと伝えたいです。物語の構成力が半端なくて、残酷だけどダレずに読み進めたくなる魅力がありました。1週間経ちましたが、多くの感情が渦巻いて、それらを文章に纏めるのが大変でしたので、以下3点に分けて説明します。※かなりの長文なので、ご注意ください。また、作品解釈は読者の数だけあると思いますので、多少の解釈違いはご了承ください。ただ、作中の描写で誤解がありましたら、コメント欄で教えてくださると嬉しいです。そして、先生の次回作、全く想像がつかないです。

・良かった描写

 まずは、ユミルの民の巨人化能力が消失し、知性巨人と、138話で無知性巨人化した人々が人間に戻ったことです。これによって、継承後の寿命の13年の呪いが無くなり、継承の犠牲が延々と続くことはなくなりました。そして何より、エレンの目標の「巨人を1匹残らず駆逐する」ことは叶いました。当初の目的をきちんとブラさず、ここまで描いたことは凄いです。
 続いて、ヒストリアの赤ちゃん、無事に生まれてよかったです。ジークが説明していた「巨人化能力者が、次の継承者に継がせず寿命を迎えた場合は、ユミルの民にランダムに赤子継承される」ことにはなってないようですね。ある意味、「お前は自由だ」に当てはまるのかもしれない。イラストでは性別はわかりませんが、単行本やファンブックで判明するかもしれないですね。

 そして、兵長の涙には此方も泣かされました。彼は満身創痍で、もう前線で戦うことは難しいでしょう。本当に、彼が抱えたものは大きすぎました。上司や同期がいなくなって、本当は泣きたかったかもしれない、でも泣けなかった。大事な決断をするときは、それに亡くなった人々の心臓を捧げる価値があるのか自問自答し、自分の行動に「悔いなき選択」を求める人でした。兵長、ファルコやガビ、オニャンコポン、Final以前なら考えられなかった立場の人達は、それぞれの行動によって奇妙な縁で結ばれた。ファル・ガビは大きくなって嬉しい、「人を殺さなくてはやっていけない」ところからは解放されたと思います。何気にガビがフリーダやハウルの若ソフィーに見えます。ファルコもコルトそっくりになってきました。また、オニャンコポンのスーツ姿がカッコいいです。

・辛かった描写

 やはりエレンは亡くなりましたね、覚悟はしていましたが、ミカサの首エレンを見たら、一人の人間が逝ってしまった悲しみがジワジワ来ました。ラストのミカサは退役したようですね。エレンのお墓はひっそりと作ったのですね。確かに、イェーガー派が墓参りに殺到したり、モニュメントを創られたりしたら、それが崇拝の対象となっては良くないです。でも、エレンが鳥になって会いに来てくれたのは泣きました。ミカサが現世で寿命を全うしたら、家や護衛関係なく、一緒にいられる日が来ることを願ってなりません。

 また、地ならしで全地球上の人口の約8割が亡くなったのは、本当に恐ろしい。一見すると天災ですが、一方では人災とも言えます。世界中の殆どの人は、地ならしがエレンの指示で起きたとは見当もつかないでしょう。人間の命は不平等だけど平等でもある、前者は人種や身分で護られるかもしれませんが、それらがあるからといって死は免れない、正に二律背反の定義でした。

・もっと知りたかった&疑問に思った描写

 ユミルの求めていた「愛」と、春樹については、もっと掘り下げて説明して欲しかったです。また、なぜ巨大樹らしき森に春樹が生息していたのか?氷瀑石とは何か?巨人化能力が消失しているので、恐らく始祖ユミルは成仏したのでしょうが、この辺はもっと知りたかったですね。

 地ならしを起こした3層の壁巨人たちは、地ならし行進中にパラディ島の人々を踏み潰していないのか?ストップ後には人間に戻ったのか、それとも砂になって消えたのか?ここは知りたかったです。最も、前者では人間に戻っても浦島太郎状態で現世のことはわからないだろうし、他国の人々からすれば、いきなり巨人が人間に戻った訳ですから、そこで争いが起きないと考えるのは難しい。スラトア要塞ではお互いが和解できましたが、果たしてそれ以外の場所ではどうだったのでしょうか?また、後者の砂になって消えたのなら、煙で巨人化したジャンやコニー、ガビが人間に戻れて、壁巨人が人間に戻れずに砂になった理由がわからないです。

 139話は極めてアンバランスな構造です。一見すると「ハッピーエンド」、でも「実は下り坂に向かって緩やかに転がっている」ようにも見えます。※勿論、そうならないで欲しい。これこそ、「立場が変われば正義が変わる」ことの比喩だと思います。139話は、ミカサやアルミン、ライナーらエレンストッパーズと、ヒストリアらパラディ島側の人間の視点のみで語られており、地ならし被害者の視点が描かれていない。これは「意図的」にそうしているように感じます。地ならしされた国では、皆逃げ惑うのに必死で、それを伝える資料が残っていないのか?それでは、一方の視点しかなく、歴史が「誤って」伝わるリスクを大いに孕んでいます。まるで、グリシャがジークに見せた歴史書のように。

 それにしても、イェレナが最終話に登場しなかったのは謎ですね。彼女はジークの信望者だったので、彼が望んだ世界は実現しなかったから、その比喩として作中から消えたのでしょうか?最後に見たのはキヨミさんと救助ボートに乗って、ファル・ガビ・アニを見送ったシーンでしょうか?インパクトの強いキャラだったのに、退場の場面すら無かったのは今でも疑問です。

 ゾッとしたのは、最初の壁ドンで、ダイナがベルトルトを「無視」した理由です。まさか、ダイナにカルラを食わし、ベルトルトを生存させたのはエレンの意志だったんですね。いくら、「島の皆」を守るためとはいえ、流石に怖すぎました。今まで作中で起きた惨劇は、まさか「エレンによる意志」だったとは。両親もマルコも旧リヴァイ班も、元団長もエレンによって「運命操作」されていたのか?だから、あらゆる場面に「鳥」が登場したのですね。でも、これでは、王政編の「一人一人の決断が未来を変える」こととは矛盾するように感じます。いや、一人一人の意志はあっても、それが向かう先はあらかじめコントロールされていたのか?もうわかりません。

 過去エレン、現在エレン、未来エレン、エレンは一体何人いるんだ?あらゆる事象の矢印が全てエレンから出てエレンに帰ってくる、ある意味メビウスの輪みたいです。つくづくイェーガー兄弟はヤバすぎて、理解の範疇を超えています。ジークの投球やワイン巨人化は現実的な犯罪としての恐ろしさですが、エレンの行動は「やりたかったからやる」衝動で動いていて、ナチュラルボーンキラーの思考で、概念的な恐ろしさを感じます。

 さらに、ライナーの「キャラ変」には驚きました。手紙をスーハーしているところをヒストリア本人やベルトルト、104ユミルに見られたらドン引きですね。まぁそれだけ皆に心を開けるようになったのか…?私はライベルのファンではないのですが、2人の処遇を嘆く方のお気持ちもわかりました。勿論、ベルトルトはもう自分を「加害者」として責めることからは解放されたのかなと思います。進撃の場合、必ずしも「生き残る」ことが「幸せ」とは限らない場面が多いので。※勿論、「死」を肯定している訳ではないです。

 よく考えると、兵長、ファルコやガビ、オニャンコポンの旅行シーンも謎です。あそこは地ならしを免れた地域なのか?3年であそこまで復興できるのか?パラディ島もマーレも他国も困窮状態なのに、あんなに綺麗な服装なのはなぜ?※勿論、大使のメンバーの服装も同様に謎です。

 現イェーガー派、真ん中のメガネの男性はスルマでしょうか?もしそうなら、キース教官の言葉の「イェーガー派に背くな、いつか立ち上がるべき日が来る、それまで決して自分を見失うな」を胸に刻んでいるのかと感じました。ただキース教官の言葉は、「イェーガー派に屈しないというのは、盲信的に彼らに追従するのではなく、時にはその「掲げる正義」を疑い、自分たちの道を作れ」ということではないかと思いますが、それをスルマ達はどこまで理解できているのか謎です。彼は、訓練兵時代の純真な目が印象的でしたが、思想まで「純真」に染まってないと良いのですが。

 兵団は、地ならし被害国からの報復に備えて富国強兵に努めていますが、結局「パラディ島の外は敵だらけ」なのは1話から変わっておらず、敵が巨人が人間になっただけですね。正に、ピクシス司令官やキヨミさんの言葉通り、「人がいる限り争いは続く」ことになったのは、皮肉にパンチが効いていますね。この作品のテーマである「美しき残酷な世界、戦わなければ勝てない、森(壁)を抜けたと思ったら、更なる大きな森(壁)があった」もブレていません。

 フレーゲルやピュレら多くの民衆は軍事政権発足に酔いしれていますが、ブラウス家の皆さんが悲しい表情を浮かべていたのが対照的でした。前者はエレンやイェーガー派を崇めて「自由を勝ち取るための正義」に突き進んでいますが、それに憧れた若者達が兵団に入団し、新たな悲劇を起こす可能性は高いでしょう。後者はサシャやファルコ・ガビの存在によって「罪は次世代に残さない」ことをニコロや子供達に教えていたので、簡単には軍国主義思想には染まらないと思います。前者はケニーの言葉の「人は何かに酔っ払わなければやっていけない生き物だ」、でも、後者はブラウス家の教えの「いつ何時、人は『森に迷い込む』かわからない」からこそ、各々が真実を知る努力は大切だとわかりました。

 全体を通した話としてはとても良かったと思います。結構煮え切らない場面や未回収の伏線もありましたが、それを含めて「考えさせられる」作品だったと思います。次のアニメも楽しみにしています。