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『感性』の大事さと、自分で死守しないと、ダレも守ってくれないについて。組織でもね。

普段、仕事の中でもよく見る場面は「いやその考え方は間違っている」など、『人の感性レベル』を、上の人が上から否定する場面です。

自分はファシリテーターとして『それは、その人が感じた感性なので、否定しないでください、そういう風に感じる人が1人いるというフィードバックです』と伝えます。

理由は、例えば「青が好き、赤が好き」という2人が、いや赤の方が絶対にいい、青が暗いイメージがあるから、ダメだと言っていると同じレベルだからです。

『感性』は脳や体が自然に、ポジティブ(心地良い)と、ネガティブ(ストレス)を分けるフィルタの役割をしています。

それが社内など、立場の関係で感性レベルの「正しい間違い」が決まってしまうのは、本当に危険な事だからです。

そして、その延長線上にあるのが、例えば新卒の人が、会社の違和感や、自分の感性を話すと「それがうちの会社だからと新卒が言う事じゃない」など否定されて続けると、自分で何も感じなくなっていきます。

それにより、脳や体に中では混乱が起こります「なぜ今まで抑えてきたストレスが、大量に流れ込んでくるのか?」

最悪は、自分の『感性=フィルター』が動かなくなる事で、自分が違和感=ストレスに感じる事を、そのまま脳や体に受け止めてしまい、ストレスのキャパオーバーで、脳や体がこれ以上のストレスは受け入れられないと、外部の情報をシャットダウン=うつ(何も感じない状態)になってしまう事です。

この感性のフィルターは、個人レベルでもそうですが、『コミュニティ』に同じ働きをします。仕事や人も『企業の感性』がある事で、組織に『ネガティブ(ストレス)』になるような事が、組織に入ってこないからです。

伝えたい事は、『感性』は目に見えないから、軽視されますが、自分個人や組織でも『死守』しないと、存在そのものに関わる概念です。

最後に、自分が好きな、茨木のり子の『自分の感受性くらい』の詩です。
時代を超えた普遍的なアイデンティティを持っています。

自分の感受性くらい  茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

自分が何が好きか、嫌いなのかの『感性』は、死守してほしいです。

普段から、自分が何が好き=心地よい、何が嫌い=ストレスに感じるかは、意識することです。

そのために美術館でも、映画でも、本でも良いです。 多くの物事で触れること、自分自身で感じること、発信する事で『感性』は鍛えれます。

自分の感性を守れるのは、自分だけです

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