ゆとり独居-01【あれから6年】

19歳で家を出た。

母の事は大好きだったけれど、衝突することばかりだった。

高校を二度も中退した。

二度目の高校生の時に死ぬほど好きになってしまったバイト先の店長と毎日会いたいがために、実家を出た。そのためだけに出たわけではないが、他の要因については端折る。若かったし、冒頭の母とのこともあったのだろう。

店長は、恋する私の心をもてあそんで、利用した。

ある日店長は私に社員にならないかと持ちかけた。毎日朝7時から夜の10時頃まで私を拘束し、働かせ、休みは週に1度ほど。給料は総支給額で16万円だった。時間計算してみてもいいが、笑えて来るからやめる。

ADHDのグレーゾーン的な部分もあることから、お金の使い方もわからず把握もしきれない、部屋の片付けも苦手、という中で、毎月の家賃や税金の支払いも全て自分でやらなければならない。もちろん支払いが滞ることも多々あった。単純にお金が足りなくなることと、期限日を忘れてしまい遅れてしまうということが多かった。

拘束時間が長いので気持ちの余裕もなくなっていった私。10月から一人暮らしを始めたが、夏ごろには疲弊しきっており、部屋の中はぐちゃぐちゃのゴミだらけ。その酷い時期と重なり店長は私の恋心に大打撃を与えてしまう。

私が好きなことを知っていながら、自宅に上げてムーディーでエロチックな光の中、ギターを弾いて聞かせたりしたし、仕事終わりで近くのバーに連れておシャンティなカクテルを飲ませたりしたりした。※未成年でしたが若気の至りとしてどうかお許しください。

そのじれったさも寂しさも含めて、全てにはまりこんでいた。

自分の部下でありながら、当時今の私よりふたつかみっつの上の歳くらいだった店長はひどかった。一応自分の立ち上げた会社の従業員だしなによりまだ未成年であったし、遠くで親の目も光っていたのもあって手は出してこなかったけれど。(今思い返せばなんてやつなんだ!w)

結局、店長はそんな風に私の事をもてあそんでおきながら、耐えかねて思い切って好きだと告白をした私に対して、「ネガティブな子とは一緒に居たくないなぁ。もっと魅力的な大人になったときにまだ俺が結婚してなかったらもらってやるよ。」的なことを言って、ひどく傷つけた。まあ本人は傷つけたなんて思ってなんかないだろうが。笑


そんなこんなアナコンダ色々あって、夏の終わりには絶望的に酷い状態になっていた。告白して無惨にも振られて傷ついた心を引きずり、胃腸の調子がすこぶる悪くなっていたし、心も限界だった。あまり意識はしていなかったが、ある日突然、会社に行けなくなった自分がいた。

いわゆる無断欠勤である。

毎日店長に会いたくて通っていた道が、働いていた会社が、突然怖くなった。

私の家に店長と副店長がたずねてきて、インターホンを鳴らしまくり私の名前を呼びまくっていた。そのすべてを無視して、恐怖と吐き気と胃痛でうずくまって泣いた。


結局私は自然消滅的に辞めることになった。

後日店長とは会って、話して、書類にサインと押印をした。

毎朝空けていた店のシャッターの鍵は、何も言わずいなくなった私が泥棒する可能性もしくはその鍵を拾った誰かが泥棒する可能性が0ではないと、交換費として5万円の請求をされた。

そんなやりとりをしたのが、10月。

私は20歳になっていた。


店長はもう未成年でない事、まだ自分の事を好きであることをいいことに、2回だけ私を抱いた。一度目は店長の部屋で、二度目はホテルに連れていかれた。

処女ではなかったし、色々あって複雑な気持ちもあったが、好きな人に抱かれたいという気持ちに変わりはなく、やり捨てられるとしたって、これきりで終わるとしたって関係なかった。

これに関しては、後悔はしていない。

むしろ、してくれてうれしかった。

もう少し抱いてくれても良かったんじゃないかと思ったが、ズルズルとへんてこな関係を続けるのもどうかと思ったんだろう。

母もそのことに関してはすごく怒っていたし、未だにあいつはろくでもねぇ野郎だと、何かの拍子で話題が出ると怒りだすから、やっぱり正しい事ではなかったんだろうな。私がやったことも含めて。親の言う事はたいてい間違ってないんだよ。

とにかくそうやって仕事を辞めたこと、特に診断も受けてないが、明らかに心を病んでいたこと、ADHD的気質に拍車をかけたこと、それによって私は実家に帰ることを余儀なくされた。

借金をして、売春をして、精神病になって、心と世間体をずたずたに引き裂きながらでも一人暮らしを続ける事を選ぶこともできた。だが親がそれを許さなかった。

こんなしようもない娘を、引き戻してまた健康的な思考と体調に戻してくれた。お金だって、いくら払わせたかわからない。誰かを死ぬほど好きになってしまったばかりに、ひどく親不孝な娘だったと思う。ありがとうとごめんなさいしかない。

本来私は、自分で言うのもあれだが感受性が強く思いやりに長けているはずだ。それでも、思春期の闇は、恋の盲目的情熱は、私をだめにした。



御年26歳。お肌の曲がり角を通り越し、アラサーの仲間入りを果たした私の数少ない恋愛事情の中で、最も恋焦がれた相手だった店長は元気にやっているだろうか。

忙しすぎて病気がちだったから死んでないかずっと心配だったが、最近何処かのサイトのインタビューで色んな事業にチャレンジして会社を大きくしている店長の姿を見た。すげぇ、なんか、おっさんになってた。もうアラフォーのおじさんだ。

こんなブスだったっけ?!ってびっくりして笑えて面白かった。

今でもたまに夢を見るけど、やっぱり恋は盲目っていうか。。かなり美化されてたんだなぁとつくづく思った。


そして時の流れには逆らえないのだなぁと。


店長がそうやって、自分以外の誰かに任せて会社を回していくことに専念できるようになったことは大きな成長だけど、

私だって負けじとだいぶ落ち着いてきている←

それでも店長が私をもてあそんだ年齢よりも年下だし、まだまだ若気の至りを発揮することもあるだろうが、すぐに転々としていた仕事も少しずつ長い時間続けられるようになってきたし、精神面もかなり穏やかになってきた。


と、ここらで私はもう一度、6年前に失敗した一人暮らしに再挑戦しようと、今月の2日から新しい部屋に住むことにした。


とはいえゆとり世代。更にポンコツときているのでお察しだろうが

この6年は散々実家に、親に、家族みんなに依存してきた。3年前にやってきた野良猫のみこちゃんは、家猫となり私を癒してくれたし、金銭的にも精神的にもかなり依存して暮らしてきた。


だから、また上手くいかなくて舞い戻ってくるよ、というのが家族の見解であるのだが、私はそうは思わない。

いつも見切り発車で、こうと決めたらこう!という性格の私をだれも止めることはできない。

だがその性格のおかげで、ようやっと26歳にして腰を据えて働けそうな仕事に就けた。その仕事をしばらく続けてみるためにも、将来自分がどうあるかを真剣に考え、自分自身と真っ向から向き合うためにも、たった一人で考えて暮らす時間が必要だとずっと思っていた。


まだゆとりの私は、家具家電がそろっていないしガスも開通していないので、年内は実家で生活するつもりでいる。年越しも実家でするつもりだ。今年のガキ使のテーマ知らない。けど絶対録画もするし放送も見る。

※昔はなかったみたいなんだけど、プロパンガスの契約に、保証金として1万円払ってくださいっていう風にしてるとこ多いらしい。給料入ってから開通をお願いしたけど、平日は仕事終わって帰ってくるの20時ごろだから作業してもらえないので、29日土曜の朝に予定してる。


ここでは、こんな、ゆとりの独居のぼやきを書いていこうと思う。

情緒に波ができやすく、自信のない劣等感の塊人間だが、向上心はある。

世の中にはキラキラした人間ばかりじゃない。それでも幸せになりたいと願い、そこに向かって生きていこうともがくことで、人生に意味と彩りを添えたい。よりよい未来のために。


もうあの時の、無知で世間知らずで向こう見ずなだけの若者ではない。

※だけのってことは、今でもその要素、あるんやで✨←


どなたかの目に留まってくれて、たまに更新した時に見に来てくれたらうれしいなぁ。まあ見に来てくれなくてもてきとーに更新するけどね。


あ、今は新居の無料インターネットを利用して更新してるんだけど、今日は木造で2階角部屋の寒さ対策をしにやってきたのに、うどんまで茹でて食べてダラダラ長文書いてたら23時だよwもう寝たいよww

いや、寝てしまおうか。

睡眠は大事。


どうせ実家に戻ったって風呂は朝入るんだから問題ない。

その代わり、すぐめに寝て早く起きなくちゃ。

帰って猫ちゃんに会ってじゃれあいたいし世話もしてあげたいから。




それじゃあ今日はこの辺にしておこうと思う。

文章力のかけらもないが、書くのが好きだしアウトプット大事なので、

ぼちぼち続けます。では。

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