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解離性障害を認めることへの不安 認めないことでの不安1

これについては色んな事を考える
大学病院で相談したことがおおよそすべてで
<金銭的な問題>それが多くを占めている

あの大学病院に行くと決めて
相談内容をまとめていくために
自問自答に何年も費やしてわかったこと

全く自分を機能させられなくなった時
生活の面倒を見る人が自分しかいないから
慎重にならざるを得ない
ましてや大事な猫もいる

少なくとも今の私には
ほぼ間違いなく解離性同一性障害といわれただけで
その病気を確定をされた記憶はない

そのバイアスで自分を分析しすぎると
さらに深みにはまりかねないこと
意識しすぎるとよくないと本に書いてあったこと

結局は覚えていないトラウマを思い出せないから
今の自分では解離になるなんていうのは
大げさな気がして躊躇するものの

解離性障害が絶対にない
とも言えないことも前提に今を生きている


もし認めたら
ずっと感じてる真ん中の空洞
自分に欠如しているアイデンティティ
を取り戻すことができるかもしれない

その治療なり、自分なりの人格の統合なり
不自然な記憶の統合をする方向に進める
ただしそれには
一時的に精神が崩壊しても問題ないくらいの
生活のゆとりがあるべきだし

下記を受け入れる覚悟で臨むこと

解離性同一性障害の人の約80~90%が性的虐待
約70%が身体的虐待を受けていたという報告があります
ということだ

どんな自分の望まない過去も
望まない自分自身の姿も
受け入れなければいけないということ

もしそれに自信がなく お金もないならば
解離の自分を認めないことも
方法のひとつかもしれない

もし本格的に人格が崩壊したら
戻ったら仕事に復帰できるのか
そもそも就職できるのか


ただ思うのだ
この空っぽの中は何だったんだろうと

これは私に限ってだけれど
いいことも同じくらい忘れていると思うから
そしてきっとそのいいことのせいで
解離は加速していって
複雑化しているのだということ


なんとなくだけれど
好きな人に関わることなのだと思っている

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