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ファン


十代の頃から20ごろにかけて
わたしはとある人の大ファンだったのだと思う
ということを 時にふれ思い出す


解離性障害かもと思いながら
記憶を辿っていたら
わたしは、そのバンドに?かれに?
ずいぶん救われていたのだと思う

だからつらくなるとそこへ戻るのかもしれない

今思うとイジメられてたこと自体の記憶も怪しくて
あたしが解離性障害のせいで
友人とか、同級生が混乱して結果孤立した
それだけのことかもしれない

でもあたし自身の記憶はこれまで
中学生ではいじめにあった
と思っていたのだと思う

時には中学生時代そのものが
なかったことになってることもある

ちなみにそのバンドの最後に出したビデオを
まだ見ていない


記憶を整理するのに手帳を見ていたら
のべ 3〜4年くらいはずっとファンだったようだ
追っかけをしたり事務所でお手伝いをしたり
思いの外自分の中で時間的な
ウエイトが大きかったようだ

中学の同級生にもそんな話をしていたと思う

ずっと長いこと、自分には
中学時代と高校時代はある一部以外
なかったことになっているけれど

今思い出す記憶によると
むしろ今までの自分の記憶以外の方が
ずっと大きい時間を占めている

ライブはテープで保存されていて
非常に几帳面に整理されている
あの几帳面なあたしは、どこへいったのだろう

ある頃を境に消えた
と妹は時にいうのだけれど

あのテープを見ると確かにそうだなと思う


たまにパニックで
何もかも捨てることがあるようで
それでも捨てられなかったのが
びっくりするくらい几帳面に整理されたテープだ

その中で
一番気に入っているテープがなぜかない
逆に言うといまある ほかの全部のテープより

その一本が大切 というくらいに
思い入れがあったテープな筈なのだ


それが手元にないのには
何か理由があったように思うけれど
でも、確かにあったはずなのだ

消えた
というのがふさわしいくらい
一番大事なものがない

記憶に穴があることはなんだかわかるのだ

もちろん、これも解離性障害である可能性を
否定しないとそう思える


そう思ってなかったころは
そういう事実を?と思いながらも
またふっと忘れてしまったのだと思う


理由もわからないのに
大切にとっているものがある
ある日その理由を思い出してみると
それは非常に現実味がない話なのだ

そんなことを きっと
中学生の頃から繰り返していて
なんだかとてもおかしいから

思い出しかけた資料を捨てる

多分主にノート


ついでに言うとテープを何度聞いても
どうでもいい記憶ばかりが思い浮かぶ

大切なはずの記憶が
ごっそり消えているのだ

例えば、本人と会ったり、話したりした記憶は
ごっそりない

話しかけた記憶までは
なんとかあるのに
声が聞こえない

人との記憶はいつもそうだ
相手の声がシールドが張られたように
聞こえない
それはその人に対して限ったことでもないけれど

なのにライブに行くのに
1人で乗った電車の色だとか駅のホームだとか
ライブ会場の入り口の雰囲気だとか
そんなどうでもいいわずかなことばかりが残っている

ファンなら一度くらい一緒に写真でも
とって貰えば良かったと思う

記憶を辿ろうとすると
わたしは人生で誰とも会っていないし
全て妄想のように思えるのだ

なにもなさすぎて思い出せないのかと思うが
そうでもないのだと思う

例えば中学の卒業式
桜の木の下の記憶がある
思い出すたびに記憶がまったくかわる

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