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【16】ヘアドネーションできた日

告知を受けた日、私は動揺したまま病院を出た。数日後に抗がん剤治療がはじまるなんて・・回らない頭で美容室に電話した。抗がん剤が身体に入る前に髪をドネーションしなくちゃ!やっと寄付できるくらいまで伸ばしたんだもの。

コロナ禍の2021年1月、切った髪は受け入れ再開まで美容室か個人で保管とされ、管理に手がかかる為に近隣のどの美容室も新規のドネーションは受付していないという返事だった。

コロナのバカ~!!

抗がん剤なんてヤダよう~

車の中、独り声を上げて泣いた。


告知当初からいろんな状況を鑑み、方々にコンタクトして打合せしていたらしき夫は「もしウイッグが必要になったら自分の髪でも作れるよ」と伝えてきた。抗がん剤拒否を貫くことにした私は「ウイッグが必要な治療は受けないって言ってるでしょ!ドネーションしたいだけなの」と不機嫌になった。



病院に行かず告知より2か月が過ぎ、夫のエスコートで県境を越え2拠点生活のもう一方に移動するとヘアドネーションの瞬間を迎えた。

2年以上かけた想いが叶う


少量づつ束ねた髪に、夫もハサミをいれる。がんサバイバーの美容師さんが自身の体験談と共に私の髪をショートカットに仕上げてくれた。頭が軽い。嬉しい。体温があがり、喜びのエネルギーで免疫力も上がる。

別次元の私は、抗がん剤治療を選んだかも知れない。どこかの誰かや別次元の私のような人の為にこの髪はウイッグになる。小さな束になった髪は予想より長く重かった。大事に育ててきた私の髪よ、さよなら。今まで一緒に時を過ごしてくれてありがとう。

こんなふうに今は自分の一部である異常細胞ともお別れしていくんだ、と思ったら更に心は軽くなる。鏡や窓を横切る自分の姿にビックリして、立ち止まって眺めるてはニヤニヤ。根に持っていた夫の「ウイッグが必要になったら」発言はケロリと忘れてしまった。

夫の主たる拠点で過ごす間は、毎朝緑の多い場所へ車でエスコートしてもらって並んで散歩。軽い足取り、朝陽の清々しさ、緑の匂いを吸い込んで喜びの一歩を踏みしめる。「ちょっとトイレ行ってくるね、待ってて。」しょちゅう寄る公衆トイレ。相変わらず私のお腹にウンチは詰まっている。個室の水面に時折落ちる血の赤さも、小さな痛みも、シアワセいっぱいの私には、ほんの些細なことだった。

夫は黙って私の隣にいた。
おそらく、いろんな想いと言葉を飲み込んで。

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