【HSP】 自分の気持ちに鈍くなるのは進化か、退化か
アルフォートは水色しか食べたくなかった。
蕎麦は薬味を全部よけて、汁の味だけでひたひたにして食べたかった。
それが25歳になった今、青いアルフォートも美味しく感じるようになり、蕎麦には進んでネギを入れるようになった。
大人の方が子供より食べられる料理が多いのは、年齢とともに味覚が鈍くなるからだと聞いたことがある。
子供の頃は苦味を毒だと感じるためピーマンが苦手だったのに、大人になってからは苦味への不快感が減るのは、舌の味蕾というセンサーが鈍くなるからだそうだ。
感覚が鈍くなるということは、何も味覚に限った話ではない。
人は大人になるにつれ、自分の気持ちの動きに対しても、感覚が鈍くなるように思う。
この鈍化を自覚し、意識的に自分の本当の気持ちに耳を傾ける必要があるのではないか。
なぜなら、本当の気持ちに耳を塞ぐということは、ある種の防衛反応であっても、自分をしあわせにする方向へは導いてくれないからだ。
今回は自分の本心にいかに向き合うかについて、子供時代〜現在までを振り返りながら、考えていきたいと思う。
「心の声を無視する」を覚えていく子供時代
小学生くらいまでは、欲しいものがあれば両親にねだり、ないものはひたすら自作することで、何かが欲しいという気持ちを満たすことができた。
創作意欲がムンムンだった小学生のわたしは、キャラクターのお絵描きにとどまらず、漫画や小説まで描いて楽しんでいた。
(伝説ポケモンのカイオーガがなぜか大好きで、毎日無心でカイオーガを書き続けた。)
NARUTOにハマっては、忍者の漫画を描いて、面白いものを自分でも作ってみたいという欲も満たしていた。
特に中忍試験編が大好きだった。
大掃除でほとんど捨ててしまったけど、実家では小学生時代の作品たちがたんまり眠っていた。
事件が起きたのは小3のときだった。
パパが勝手に私の忍者の漫画を読み、それがツボに入ったようだった。
小学生が見様見真似で学習ノートに描いた、色々すっ飛ばした超展開な低学年クオリティの漫画を、ことあるごとにバカにしてきた。
このいじりは、私が大学生になるまで続いた。
(現在、そんな父は音信不通。)
クナイや手裏剣のような武器がかっこよくて、ただNARUTOみたいなシーンを描いてみたかった小3のわたしが描いた漫画が、大人が読んで楽しいわけがない。
今になれば、父の心境は理解できないこともない。
しかし、当時の自分は、時間をかけて自分の好きを全面に出したアウトプットが真っ向から否定されるという初めての経験に、すっかり萎縮してしまった。
それ以来、漫画の類は一切描かなくなった。
文書を書くのも好きだった。
中学入学前の宿題だった、「どんな中学生活を送りたいか」というテーマの作文をノリノリでエッセイ風味に書いた。
中学生になるのは楽しみしかなかったので、ウキウキであらゆる野望をポエミーに書いた。
小学校来の親友とそのお母さんは絶賛してくれたが、実の母にはめちゃめちゃディスられた。
「理想を語りすぎ」
「お前がどう感じるかなんてどうでもいい」
「もっと無難に普通でいいのに」
…
そんなことを言われながら渋々全文を書き直し、その宿題は「無難」なものに生まれ変わった。
事象の羅列だけの作文はもはや私のものではなく、書いている時間は「早く終われ」としか思えない、空っぽで虚しい時間だった。
そうしてわたしは文章を書くことも辞めてしまった。
中高時代も楽しかったけど、自分の気持ちに蓋をする癖はどんどん染みついていった。
「勉強が楽しい」というとギョッとされたので、そこそこ上位に残れるくらいでいいや、と勉強にもブレーキをかけた。
幸い中学受験で地力ができており、4教科の成績はそこまでひどくなかったが、中3になる頃には英語が本当にひどい成績になっていた。
好きなことをすればいい…はず
高2から地獄の英語漬けの日々が始まり、なんとか得意教科にまで持っていくことができた。
小さい頃に英語をちょっと勉強させてもらっていたこともあり、実は言語学習は好きだったということを思い出せた。
また、浪人時代に哲学や語学の話をたくさんしてくれる英語の恩師に出会ったおかげで、新しいことを学び考えるという、勉強自体の楽しさも思い出すことができた。
(受験勉強自体は本当に好きになれなかった。)
そのおかげで、大学生になったら自分の好きな勉強をたくさんしようと思うことができた。
そんなセンサーを貼りながら履修を組むと、英語、中国語、専攻だったマーケティング、地味に好きだったいろんな般教(政治学、哲学、心理学等)に出会うことができた。
仕事で英語も使えるようになったのは、大学時代に留学生と一緒に授業を受けたり、短期留学に行ったりとやりたいことをできたおかげだ。
友人にもとても恵まれていたと思う。
読書にどっぷりはまったのも大学時代で、読書ノートをためていくのが楽しかった。
浪人〜大学時代は、「好き」に囲まれていて本当にしあわせだった。
社会人になってからは取り戻したはずの、「好きに囲まれている自分」を段々と失っていった。
最終的に身体をこわし、自分のこれからを見つめ直すのが2021年の目標の一つとなった。
コーチングで気づいた自分の中のエネルギー
自分の気持ちを吐き出す場として、高校生の頃からジャーナリングを利用していた。
心がざわざわしたときにその出来事を客観視したり、
忘れたくない人への感謝の気持ちをつづったり、
自分のやりたいことを洗い出したりしている。
これで自分の気持ちはなんとなく理解できた。
両学長という方のYouTubeで紹介されていた、人生のやりたいことをいつ実現するかまで考える「タイムバケット」というコンセプトが素敵すぎて、若いうちに色々やりたい!と人生を俯瞰した。
さらに働き方や生き方に関する本も読み漁った。
だから自分の気持ちは分かっているつもりだった。
しかし、CTIジャパンのひろコーチの素晴らしいコーチングを受ける機会があり、 自分の中には「止まらず走り出したい自分」がいることに気づいた。
社会人になってからのわたしは、仕事に精いっぱいになり、この「走り出したい自分」を無視して、停滞していたことに気づかされた。
何かあったらこの「走り出したい自分(=コーチングの中で「楽しいロケット」と名付けた)」を思い出すようにしよう、とのネクストステップを決め、コーチングセッションは閉じた。
本心では、何か動きたがってる自分がいて、その声に従って動けることから動いてみることが、しあわせへの第一歩だと感じた。
今は治療第一で無理はできないが、ヨガや瞑想、読書等、HSPの行動リストの中から、本当の気持ちに気づきやすくなる行動を日常に取り入れている。
また、次のようなことは今後どんどんやりたいと思い、ワクワクしている自分を感じる。
TOEFLの勉強→留学、クラシックバレエを習う、もっと文章を書く(アウトプット)
まとめ
本当の気持ちに鈍くなることは、何かショックなことや希望通りにいかないことが起こった時の、対処療法的な防衛反応のようだ。
でもそれは、シェルターとしての役割はあっても、しあわせにする方向へは自分を導いてくれないように思う。
大人になった今だからこそ、耳をすまして心の声を聴き、しあわせで心が豊かになる方向へ自分を導いていくことを、意識的に行っていきたい。
その他の参考文献
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