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なんでもない朝のお話 #旅のようなお出かけ

わずかに残るまどろみの中、まぶたを開ける。
ジリリリリッ
目覚まし時計の音に反応して自然と手が伸びる。
朝の5時30分、体に染み付いた起床時間も今日が最後になる予定だ。

「春樹!起きて!」
朝ごはんの準備を終え、息子の部屋へ向かう。
部屋から漏れる目覚まし時計の音が、まだ息子が眠りの世界から戻ってきてないことを教えてくれる。
全く、本当に4月から一人暮らしなんてできるのだろうか?
そっとため息をついて、ドアを開ける。
「春樹!!起きないの?!」

「卵はどうする?」
「うーん、卵焼き」
まだ眠そうな顔をしているが、春樹はしっかりとご飯を口へ運ぶ。昔は起きてすぐは食べられなかったのに、部活の朝練で鍛えれて成長したもんだ。
朝ごはんは適当になりがちだが、卵のメニューはなるべくリクエストを取るようにしている。特に冬はすぐに料理が冷めてしまうので、美味しくなくなってしまうのだ。
「あー、なんで引越しの日もこんなに朝が早いのかね。もっと寝てたいわー」
「引越し業者さんも忙しいんだから仕方ないでしょう?ほら、早く食べちゃいなさい」
ほかほかの卵焼きを食卓に出しながら答える。
4月から春樹は地方の国立大学へ通う。今日はその引越しの日だ。朝をゆっくりと過ごせる日程を組みたかったのだが、引越しのハイシーズンで業者の手配が難しかったこと、1時間に一本にしかない電車の二重苦で、結局朝早く準備する羽目になったのだ。
「卵焼きうめー。目が覚めるー」
先ほどの文句は何処へやら。あどけなさが残る春樹の顔を眺める。
母親歴18年をなめんじゃないわよ。旅立ちの日に用意する卵焼きは一番の出来なんだから。
あ、もうこんな時間。
「お父さん!春樹を送ってって昨日頼んだのに!」

暦の上では春でも、四方八方を山に囲まれた盆地の朝の冷え込みは厳しい。
車のフロントガラスが凍らないようにかけていたシートを取っ払う。
玄関から、夫と春樹が出てくる。
「忘れ物ない?」
「...ない」
小学校から、ずっと繰り返している会話。違うのは、手に持つスーツケースと車で駅へ送り届ること。今日は息子の世界が広がる、大事な日。
それでも、やっぱり私はいつもと同じ言葉を選択するのだ。
「いってらっしゃい」
一人暮らしになっても、春樹の帰る「お家」でありたい。いや、誰がどう言おうがそうなんだ。春樹は嫌がるかもしれないが。
「いってきまーす」
母の思いはつゆ知らず。巣立ちの挨拶には似合わない呑気な声を残して、車が動き出す。
春樹の旅のようなお出かけが、始まった。


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以下の企画に参加させていただきます。

「旅のようなお出かけ」という言葉に、ふと思い浮かんだのは何故か旅立ちの朝でした。

お話を書くのは2回目です...。母親でもない、男兄弟もいない私が想像に任せて書いてみました...。

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