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蒼海10号すきな句


蒼海10号は2020年12月発行。掲載句はおもに夏です。

コロナの収束が見えない、2021年のはじまり。

蒼海10号を読んでいると、俳句にはこころを癒す作用があると感じます。


砂一つ四つ八つ落つ蟻地獄  堀本裕樹

蟻地獄はうすばかげろうの幼虫。砂のすり鉢状の穴を巣として、その穴の奥に潜み、巣に落ちてきた蟻の体液を吸います。掲句は蟻地獄の巣に蟻が捕まって吸い込まれてゆく様子を、まわりの砂粒に焦点を当てて描写しています。一→四→八という落ちる砂粒の増え方にリアリティーがあり、かつ「落つ」まで韻を踏んでいる点が巧みです。「肉深くふかく潜るや蛆の飢ゑ」「雨や虫ひとすぢの音の高まりぬ」など虫を詠んだ秀句がとても勉強になります。


10句寄稿は津川絵理子さん!(ファンです!)最新句集『夜の水平線』もすばらしい句集です。

秋の蝶子のひらかなは彫るごとし  津川絵理子

連作10句「猫残る」のなかで個人的に一番好きな句です。子どもの筆圧の強さを「彫るごとし」と表現するうまさにしびれます。実際に紙がベコンと凹んでいる様子も目に浮かびます。可憐な秋の蝶との取り合わせに味わいがあります。

かたはらの鞄のにほふ秋ついり  津川絵理子

ベンチなどの隣の席に置いた鞄でしょうか。外套や洋服のにおいについて詠むことはあっても鞄のにおいについて詠むことは珍しいと思いました。「匂い」ではなく「臭い」の方を想像しました。季語「秋ついり」の憂鬱感と響き合います。


空箱へ蛾を歩ませて踏みにけり  本野櫻𩵋

家のなかに入ってきた蛾に空箱を近づけて、蛾が空箱のなかに入ってゆくのを見守っている作者。「歩ませて」の措辞から、蛾の動きがゆっくりとしていることがよくわかります。てっきりそれを外に持っていって蛾を逃してあげるのかと思いきや、「踏みにけり」。切れ字の「けり」から強い力が連想されて一層どきっとします。同じ作者の「火夫は火に餌やる如く蟻を投ぐ」「血に潤ぶ漁師の四肢や鳥渡る」といった句も本格志向が魅力的です。

まつくらな湖をかこみし祭かな  山岸清太郎

大きな景色をさらりと描いたシンプルな一句でありながら、実に様々な想像を駆り立てられます。主宰の評にもありますが、わたしも、村人しか知らない、生贄が登場してしまうような、いにしえの妖しい祭を想像しました。同じく大きな景色を切り取りつつも作者らしいユーモアのある「空港に旅客機這ひまはり炎暑」にも惹かれました。

くちづけて噴水はたと止まりけり  坂本厚子

噴水の前でくちづけをしているなんてフランス人のようだと思いましたが、そこで噴水がはたと止まってしまうのは、なんとも日本的な景色です。(もしもアメリカなら、くちづけのあと噴水が勢いを増しそう。)「はたと」の措辞がしっとりとしていて好きです。

茄子を焼く軒打つ雨に耳馴れて  犬星星人

「馴れて」という漢字には、動物が人間を警戒しなくなるといった意味があります。軒を打つ激しい雨音への警戒心が次第に薄れて、雨音を心地よく感じるようになっている作者の気持ちの変化が感じられます。その間にも茄子には静かに火が通っていき、くったりとしていきます。この茄子はぜひ焼き網で焼いてほしいです。

祭の子他人の傘を伝い過ぐ  武田遼太郎

雨のお祭り、出店と出店の間の狭い道は傘で埋め尽くされていて、その中を、傘をささない子どもがすばしっこく駆けていく景色が見事に17音で表現されています。どことなく昭和の雰囲気のある句です。もし自分が同じ景色を目にして俳句にしたいと思っても、うまく17音にまとめきれずに諦めてしまうのではないか。同じ作者の「夜濯の頬もて裾を捲りけり」の実にさりげない日常詠も、17音にまとめる技術に脱帽しました。

梅和への水茄子のよき厚さかな  三師ねりり

水茄子の梅和えの美味しさのポイントは茄子の厚さだと言い切るところに、作者の慧眼を感じました。俳句の食べ物の一物仕立てはとても難しいです。この句のようなさらりとした清潔な句を作りたいと思いました。

忘らるる葉裏の胡瓜ぶうらりと  田中杏奈

家庭菜園のあるあるを巧みに句にされています。人間に採られても採られなくてもどっちでもいいよという胡瓜の気持ちが「ぶうらりと」に表れているように感じます。心が癒やされる一句です。

さみだれや一字づつ追ふ現代詩  西木理永

ひらがなを覚えたての子どものように、指で一字ずつ追いながら、声に出して読んでいる景色を思い浮かべました。難解な現代詩を懸命に読み解こうとするひたむきさがありありと感じられます。季語の斡旋が巧みで、さみだれの雨粒ひとつひとつが現代詩の一字ずつにも見えてきます。

山女焼く男と三度眼の合ひぬ  福嶋すず菜

ひとりキャンプ同士で、隣の男が山女を焼いていたのか。はたまた客が自分しかいない山の茶屋で、主の男が山女(1匹700円)を焼いているのか。「三度眼の合ひぬ」という措辞から気まずいシチュエーションが思い浮かんできます。「女」と「男」という字が隠れていて、男女のお話が始まりそうな気配すら漂います。

アイスティーところで来月の家賃  郡司和斗

友達と喫茶店にいてアイスティーを飲みながら、「来月の家賃どうしよう」という話をしているのか、大家さんにアイスティーをごちそうになっていて「ところで来月の家賃はちゃんと払ってくれるの?」と言われているのか。「ところで」という俳句ではあまり見ない言葉が面白いです。

フルートの息継ぎ荒き西日かな  曲風彦

フルートは可憐なイメージのある楽器ですが、それを演奏する人間の生々しさを詠んだところが掲句の魅力です。いましかないというタイミングでの素早く荒い息継ぎとは裏腹に、フルートの音色はフラットに澄んでいる。強い西日に照らされて輝くフルートの映像も絵になります。

冷ましつつ白湯の香を知る秋の朝  矢崎二酔

白湯に香りがあるとすればきっと甘やかな香りなのだろうと思いました。「冷ましつつ」にゆったりとした時間の流れを感じます。過ごしやすくなった秋の朝の充実した時間。「さ」の音の繰り返しが清らかです。

海ほゝづき嫁ぎし姉の部屋に寝る  霜田あゆ美

「海ほほづき」は巻貝の卵嚢のこと。これを色染めしたものがかつて夜店などで売られていたそうで、鬼灯と同じように口に含んで鳴らして遊ぶそうです。かつての姉の部屋で、姉のベッドの上に寝転がって海ほほづきを鳴らしている。ノスタルジーに胸が締め付けられる一句です。

さくらんぼ言葉失ひゆく口に  土屋幸代

読むひとによって想像する景色は異なりそうですが、わたしは、認知症を患った老母(もしくは老父)に子が一粒ずつさくらんぼを食べさせてあげていると想像しました。あるいは落ち込んでいるひとの口に、その友達が「これでも食べて」とさくらんぼを押し込んでいるのかもしれません。徹底的に即物的に詠んでいるところがかっこいいです。

舐めてみてやつぱり塩や川床涼み  中島潤也

切り取られた場面がいいなと思いました。まず想像したのは親に川床涼みに連れてこられた子どもたち。「この小壺の中はなんだろう」「塩?」「舐めてみて」「しょっぱい!」みたいなやりとり。なんだか幸せな気持ちになります。もちろん大人がこっそりと小指にとって舐めているとしても良いです。

和菓子屋にきちと巻かれてある日傘  種田果歩

日傘の巻き方にはその人の性格が表れると思います。掲句では日傘が「きちと」巻かれている。外はうだるような暑さでも、和菓子屋の中は涼しい。日傘の持ち主もきちんとした服装をして、実に涼しげなのでしょう。作者が京都の方というのも込みで鑑賞したい一句です。

もうええわで終る漫才ところてん  国代鶏侍

声に出して読みたくなるリズムの良さが魅力です。テレビで漫才を見ながらところてんを啜っているのでしょう。軽く流して見ているけれど、好きな漫才師が出ると音量を上げたりする。そんな日常の景色に庶民的で粋なところてんがよく合います。

裂けひらくカサブランカに獣の香  芦原茶女

わたしは百合が苦手です。あの匂い、存在感のある蕊、花粉を撒き散らすところ。考えてみると、「獣」のような感じがあるのです。「裂けひらく」という荒々しい描写も「獣」の一字とよく響き合います。「カサブランカ」という存在感のある品種名もまた「獣」のように感じられます。

老猫の次の呼吸や終戦日  正山小種

先がそう長くはない愛猫を見守っているのでしょうか。「次の呼吸」の措辞に、飼い主の優しいまなざしが感じられます。季語「終戦日」は戦争を経験していない世代にとっては難しい季語で、堀本主宰もなかなか採れないとおっしゃっていました。掲句ではその難しい季語が作者の生活にうまく溶け込んでいると思いました。

忍ばせし離職届や信長忌  牛尾冬吾

季語「信長忌」の斡旋に凄みを感じます。本当に離職届を内ポケットに忍ばせている人は少ないものの、「いつでもこっちから辞めてやるからな」と思いつつ仕事をしているひとは多いのではないでしょうか。ちなみに織田信長が本能寺の変で亡くなったのは6月21日です。

網戸より夜の塊り匂ひけり  内田創太

夏の夜のなまあたたかい空気には、たしかに匂いがあるような気がします。物騒なこと、楽しいこと、さまざまなことが起こりうる都会の夏の夜と、自分の部屋とを隔てているのは網戸一枚だけ。それが心細くもあり、開放的なようでもあります。「夜の塊り」という表現に夏の夜の妖しさを感じました。

凭れたる肩へ香水移しけり  佐復桂

移りけりではなく、移しけりとしたところに、作中主体の意図を感じました。切れ字の「けり」が効いていてかっこいいです。積極的な女性と香水との取り合わせが最高です。

空蟬の踏まれて土へ還りたる  杉澤さやか

空蟬を踏んだときの乾いた音と、一瞬で粉々になる映像が目に浮かびます。「土へ還る」というおおらかな把握がいいと思いました。同じ作者の「尺蠖の伸びては透くる青さかな」もお手本にしたい虫の一物仕立ての句です。

箱庭に裸体の吾を寝かせたる  弦石マキ

箱庭に寝かせるのだから「裸体の吾」は人形でしょう。裸の人形とはリカちゃん人形の下着まで取ってしまったようなものでしょうか。現実では到底できない行為を、箱庭のなかだけでもやってみたい。ひそかな願望を覗いてみてしまった気がしてどきどきします。

病床の髪洗ふ湯の二リットル  サトウイリコ

季語「髪洗ふ」に、「病床」を合わせたところが独特で、とても実感のある句です。寝たきりの方などの髪をベッドの上で洗うやり方を検索したら、紙オムツを頭に敷く方法が紹介されていました。500mLのペットボトル3〜4本分のお湯を用いるそうです。病床で髪を洗う様子を読者に想像させる上で、「二リットル」という具体的な数字が効果的に働いています。

恋人の日傘を出でて釣りはじむ  斎乃雪

昨年の夏、女性の日傘に入れてもらっている男性を見かけて、一句にしたいと思いましたが、平凡な句しかできませんでした。掲句の下五「釣りはじむ」を見て、自分の作った句との違いを思い知らされました。この下五によって、海や釣り堀といった場面や、男性の動きが見えてきます。さらに恋人と日傘の中で語らうよりも釣りをしたいという男性の気持ちまで伝わってきます。


まだまだすきな句がありました。取り逃している句もきっとあるかと思います。


<蒼海俳句会>

https://soukaihaikukai.com


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