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つながるためのコトバを取り戻す

いのちの政治学という本を読みました。

哲学者の井筒俊彦さんは、言語によって伝えられる「言葉」とは別に、その人の態度や存在そのものから、言葉の意味を超えた何かが伝わってくるようなものを「コトバ」と呼んだそうです。

ここ数年は、話したことが守られなかったり、書類が簡単に改ざんされたり、SNSで強い言葉が飛び交ったり。言葉が壊れていくなあと感じてしまう出来事に直面することが多いような気がします。

そんな中で、過去を生きたリーダーたちのコトバを振り返りながら、これからの政治とか、リーダーについて考えてみようというのがこの本です。タイトルだけ見ると強い感じを受けますが、書いてある内容はとても優しい。

歴史とその時代を生きた人たちのコトバにふれることで、私たちは何を得て、何を失ってきたのか、自分たちの現在地を少しずつ確認していけるような本でした。

ー聖武天皇、空海、ガンディー、教皇フランシスコ、大平正芳ー

冒頭で触れたように、言葉を超えたコトバを持っていた人たちが登場します。

誰でも何かを与える人になれる


聖武天皇は大仏を建立しようとした際、参加者の主体性を大事にし、

一枝の草や一握りの土でもいい、問題は量ではない、どんな少しのものでも捧げてくれるのであれば一緒にやろう

と言っています。差し出すのは、自分のもっている何か(一枝の草や一握りの土)でいい。金銭や労働でなくても、祈りでも、心からの賛意でもいいと。

現代の価値観では、100円よりも1000万円の寄付のほうが価値があるということになりがちだけれど、量よりも質的な意味において、自分のもてる中から、どれだけのものを分かち合うことができたかというのが真の価値だという、若松さんの指摘。

人は誰でも、助ける側にも、助けられる側にもなれるという固定化されない場所は、居心地がよく、安心を感じられるような気がする。そういった場所はどんなもので、どうやって作っていったらいいのかなと考えながら読み進めました。

私ではなく、器になる

言葉を超えたコトバを話せる人は、他者の声を受け止める器であるというのも印象的でした。本の中では、メルケル首相や教皇フランシスコについて触れられていたのですが、日本のリーダーのように、「私が考えていることを国民に伝える」のではなく、「あななたちが思っていることを、私が言葉にして伝える」からこそ伝わり、政治やリーダーに対する信頼が生まれるんだろうなと思います。

生かされている感覚、見えないものを見る力を取り戻す

自分が選択できないものによって、社会が成り立っているということが、自分とは異なる状況で苦しんでいる人たちへの想像力や謙虚さにつながり、リスクを社会化していこうとする方向性につながる。(中島さん)

私は自然に関わる仕事をしているので、天気予報とにらめっこする機会が多いです。でも、天気って本当にどうにもならない。祈ることしかできません。あの花がいつ咲くかも分からないし、渡り鳥がいつやってくるかもわからない。

私たちにできるのは、じゃあどうするか?っていうのを考えることだけ。自然にかかわる仕事を続けてきた中で、コントロールできないことをできるだけ早く手放せるようになってきました。

本の最後に出てくる大平正芳さんは、ちょうど私が生まれた年の総理大臣だった人(初めて知った・・・ちなみにこの2代前が田中角栄さん)。要職から外され、時間がぽっかり空いてしまった時、たくさんの本を読み、死者たちとの対話(これまで自分の周りで亡くなっていった人たちの生き方を振り返る)を深め、”生かされている”という感覚を強くしています。

こうした時間が、精神的なものも含めた豊かさを追求していく、田園都市国家構想の着想につながっていったようです。(1年半の首相在歴で、急逝されしまったのが残念・・・)

APUの学長をされている出口さんも同じように、大企業で要職から遠のいた時に、自分だけが不幸だという思いにとらわれることなく、その時にできることをやっていたと話されていたのを思い出しました。

生かされている感覚や、見えないものを見る力は、待つチカラと言い換えてもいいのかもしれません。

いずれ、すべてのタイミングが整うときが来ることを信じて、あきらめずにできることやっていく。誠実に生きることが、世界をちょっとずつよくしていく近道なのかもしれないと信じて、がんばってみたいと思います。

ここでは書ききれなかったけど、たくさんの発見と希望に満ちた学びあふれる本でした!

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