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退屈と戦う

夫に紹介されて、気になっていた番組をオンデマンドで見た。

著作が注目を集める3人の識者、独立研究者・山口周さん、経済思想家・斎藤幸平さん、医療人類学者・磯野真穂さんが、それぞれの考察を語っていく50分程度の番組だった。

話は、3人がコロナをきっかけに読み返した本、「モモ」を軸に進んでいく。

斎藤さんは、モモに出てくる灰色の男たちは、資本主義の資本だと言う。そして、私たちが退屈している時に、灰色の男たちはやってくると山口さんは話す。それはつまり、退屈を埋め合わせるために、生産と消費が繰り返される現状のことを指している。

そんな退屈と真逆の存在がモモだ。モモは、住処の円形劇場から夜空を何時間も眺め、荘厳な静けさにひたすら聞き入る。何もないことや、何でもないことをひたすら楽しんでいる。

私たちには、退屈にうまく対処する力が必要で、経済(成長)に依存しない豊かさ模索していくことが大切だという話が強く印象に残った。

私自身は、関東に10年近く住んでいたけれど、何をするにもお金が必要で消費してばかりの生活は気持ち的に苦しかった。地方に暮らしている今は、夏になると、草の勢いがすごいし、地域の役をやって忙しいこともあってそこそこ大変だ。

でも、畑で野菜を育てて自分で何かを生産出来たり、川や海へ気軽に遊びに行けるたりする今の暮らしの方がしっくりきている。消費に依存しない暮らしは気持ちがとてもラクだ。

磯野さんのお話も印象的だった。

(磯野さん)最近、”暮らし”っていい言葉だなと思っていて。暮れるって、日が昇って日が落ちるまでのことで、誰もコントロールできないんですよ。暮らしってコントロールできない状況の中で、精いっぱい生きることなのかなと。暮らすことは、他者と生きることなので、暮らしを大切にすることって他の人の小さな大切なことを大事にしようということにつながっていく。一人一人が暮らしを大切にすれば、他者に対する共感や想像力を持つことにつながっていくんじゃないでしょうか。(中略)
みんな何かあると、モモに話してみるといいよって言いますよね。モモは出会いの中でしか生まれない時間を生きている。人々は、そんな時間に出会うためにモモに会いに行く。でもそれは、モモだけが生み出したものではなくて、モモに会いに来た人たちと生み出した時間なんだと思います。

改めて思うけれど、便利になって生み出された時間は、自然の中で過ごしたり、誰かと会って、たがいの暮らしを詳しくたずねあったりするために使いたい。せっかく生み出された時間をNetflixやYoutbeやSNSに奪われたくはない。

私たちは消費して、経済を維持するために生きているんじゃなくて、経済はあくまで生きるための手段だ。

経済か命かなんて選ぶことはできなくて、そもそも選択を迫る社会自体が幻想だ。そんな枠からは意図的に飛びだして、第三の道を見つけたり、別の選択肢を出したりしながら生きていきたいと思う。

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