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「死にたい」は、死にたいわけじゃない

いやはや。ここ数日つらくてつらくて。

喉元がぎゅーっと締まるような感じで苦しくて、首が凝ってしまいました。


嫌なことを嫌と言えない。もやもやしたまま溜める。溜めて溜めて、限界が来て相手に指摘することも出来ないのでその場から逃げる。そういうことを昔からずーっと繰り返してきたので、もう無理だなこれは、自分は生きるのが向いてない、死のう、、

自分だって知らぬまに他人を傷付けているだろうし、何より生き永らえるために他の生き物の命を犠牲にしてる。なんてことだ、、

そんなことばかり考えると余計に動くのがしんどくなり、いたずらに時間ばかりが過ぎてゆき、お金はどんどん無くなっていって、いよいよ追い詰められて更にパニックに拍車がかかる、思考停止、、という絵に描いたような負のスパイラルでもってぐるんぐるん堕ちてくわけです。


臨死体験のお話厨な人間としては、向こう側の世界のほうが愛に溢れて至福の状態なんだったら、さっさとあっちに行きたい気もするのですが、痛いとか苦しいのはやはり嫌で。

どうやって死んだらいいの…どこで死ぬ…荷物どうしたらいいのかな(片すの面倒くさ…)とか色々なことが頭を堂々巡りしてしまい。独り身つらい。


それでいよいよやばい、ってなったときに「やっぱ死ぬの無理そう」って、必死に足掻き始めたんです。

こういうときどうすればいいか。よく聞くのが「今あるものに感謝する」というやつで。最低と思える状況の中でも必ず感謝すべきことはある。たとえば屋根があるとこに住めて風雨を凌げる有り難さとか、まだスマホもあるじゃないとか。病気もしてないんだしとか。

あとは、さっきのコンビニの店員さん親切だったな、優しくしてくれて嬉しかったなとか、可愛いねこちゃんに会えたなとか。綺麗な景色見られて感動したよねとか。小さなしあわせを見つけること。

なのでそれらをちみちみやってたら少し気持ちが緩んで、「そうだ、カメラがあるじゃないか。あれを売ればいいんだ」と閃いて。

元々ジョブリストとかいう、バイトのチラシの写真一枚投稿するごとに50〜100円分のアマギフをくれるアプリで15万円くらい貯めて買ったカメラでした。1ヶ月くらいで貯めたのすごいでしょ、ドャア。まぁ、そんときニートだったんですがw

最近全然使ってないし、死ぬ死なないとか言ってたくらいなら売ってもいいかなと思って。新しい機能のカメラは次々と出てくるからね…

それでお金が出来て、更に心にゆとりが生まれました。カメラちゃん、ありがとう…


「死にたい」というのは、死んだほうが楽になる→楽になりたい、なのですよね。

元々は、生き物は「生きよう」とするもので。


鬱の何が良くないって、視野が極端に狭まること。周りに素敵なことがあっても、可能性があっても、気付けない。

アニータさんが前によく言っていたたとえ話を思い出しました。いま自分の周囲にある赤いものを記憶して目を閉じて。さて。あなたの周りにある青いものを思い出してください。思い出せますか?そう言ってアニータさんは笑う。ほんとそうなんですよ。


なのでわたしが言いたかったのは、本当に死にたいと思って、誰にも相談出来ずに悩んでいる方、どうか少しでも心が温かくなることを探してみてください。身の回りに何かしらあるはず。そしたら心がすっと楽になる。ちょっぴり緩んでくるはず。

すると、さっきまで考えつかなかったことを思い付くかもしれないし、ダメ元で他人に相談してみたら(わたしも数回しか会ったことのない方や、殆ど面識ない方に頼りましたw)、明かりが見えてきたりします…きっと…

個人的には自殺がそんなに悪いことだとは思っていないのですが。自殺から臨死体験した方々でも愛に包まれる体験をした人たちはいるし、かと言って勧めるわけではありません。この世でやろうと計画してきたことを放棄してしまったら、再度生まれ変わって同じテーマのやり直し、なんてことも聞くけど、どうなのかな。。わからないけども。

つらいのはね、やだよね。いつか死ぬ日は絶対来るんだろうけど、案外、もう万事休す!と思っても、そうでもないのかも…と思ったのでした。。