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「当たり前」を疑うことで、自分の人生を生きる

考えてみたら「当たり前」とか「普通」と戦ってばかりの人生だ。

「そんなの当たり前じゃん」「ここでは、これが普通だよ」そんな言葉を聞くたびに、中身が空っぽの箱を思い浮かべる。一見立派に見えるその箱の、その中には何も入っていない。この人は、一体何を守っているんだろう?

差別や偏見の前身はなんだろうって、考えたことがありますか?それはいつだって、敵意のない思考停止なのだと思う。「当たり前」や「普通」が、時間の経過とともに「差別」や「偏見」へと名前を変える。

毒を見て「毒かもしれない」と思える批判能力。誰かにとっての毒を「もしかしたら毒かもしれない」と思える批判能力。死ななくてよかった人が、死ななくてすむ。


さて本日は、わたしが人生をかけて大切にしている「哲学」について、あつーーーくお話したいと思います。60字程度で要約すると、以下の通りです。

「当たり前」を疑わないことは、「普通」に従って生きることは、思考を止めることだ。そんな人生でどうする!すぐにガタがくるぞ!

一つ目のエピソードが印象的かもしれないけど、ほんとに伝えたいことは後半にあります。伝わりますように……。

「当たり前」と戦い始めた頃の話(長いです)

父方の祖父は「女の子なんだから」と言う人だった。楽しいことがあってはしゃいでいると「女の子なんだから、おしとやかにしなさい」と。ボソッとした冷たい声で、私にだけ聞こえるように言う。とにかく嫌だった。とにかく嫌だったけれど、当時の10歳くらいだった私に、この嫌悪感を言葉にすることはできなかった。でもきちんと、自分の内臓が抜かれていくような感覚があったことは覚えている。

父方の家系には「本家」とか「分家」だとかいう序列があって、親戚の集まりでは席順が何よりも大切とされていたし、家系図を本気で書いちゃうような人たちだった。

父方の祖父母がすごく嫌いだった。母に対してずいぶん無下に接するし、すぐに機嫌が悪くなるところも嫌いだった。小学生の頃、腕の血管を見ながら、ときどき本気で自分に流れる血を恨んだ。「この血を抜きたい。あいつらの血を、自分に流れるあいつらの血を、きれいに抜いてしまいたい。」と。

祖母が認知症になって、家の中がめちゃくちゃになって、私が高校2年生のときに(逃げるようにして)母と姉と私の3人で隣学区にあるアパートに引っ越した。(ちなみに父とは別居となったが、関係はずっと良好で、祖父が施設に入った後で母は元の家にまた住むようになった。)

私が大学2年生の頃に祖母が亡くなり、ついに昨年末、祖父が亡くなった。母からグループLINEにメッセージが来た。「おじいちゃんが今日の12時頃に亡くなりました」と。一瞬思考が止まった。その後で「人って本当に死ぬんだな」と、祖母の葬儀で見かけた祖父の姿を思い出す。腰を90度近く曲げて、全体重を杖に乗せるような歩き方をしていた。その後で「やっと終わったのか」と安堵する。そんな自分に少し驚く。

葬儀に出た。きれいなエピソードをかき集めて、きれいな弔辞を淡々と読んだ。父のために。

親戚一同は私たち姉妹の進路を何も知らなかったようで(父が一切言わなかった点に好感を持った。)私の大学やら職業を知った連中はずいぶん驚いてから、案の定「女の子なのにすごいね」と言った。もう何も言わなかったし、何も感じなかった。

葬儀が終わり、家族で軽く打ち上げをして、部屋で一人になったら自然と涙が溢れた。びっくりするほど酷い場所だった。でもなんだろう、自分が暖かいものに包まれているような気持ちになった。自分が連中を「異常だ」と思っていることが嬉しかった。「あの『社会』に染まらなくてよかった……。あれを『当たり前』だと思わなくて、本当に良かった」と。そして、私の人格が祖父母からきっちり離れた場所で育っていることに気が付いた。両親は、特に母なんてかなりキツかっただろうに、ずっと私を荒波から守ってくれていたのか。なんだ、守られていたのか。

連中の心無い言葉を当たり前と思わなかった。当たり前にしなかった。だからといって「悔しさをバネに」するなんてこともしなかった。私のしてきた重要な選択は、連中の差別と偏見の外にあると思いたい。取り除けない影響があるにしても、私の中には内在させなかったと思いたい。

葬儀後に書いた自由律の何か。題名は「訃報に接して」

当たり前を疑うことは「他人に自分の人生を委ねないこと」

松村圭一郎さんの『くらしのアナキズム』という本で、こんな疑問が提起される。

「なんのために、ぼくらは生きているのか、働いているのか。どんな社会で子どもを育て、仲間とともに暮らしていきたいのか。…そもそもへの問いかけは、かならずしも自分の内なる思いや身近な他者の生きる日常が既存のルールや理想と一致しない現実をあぶりだす。そのとき、ぼくらはなにに真面目であるべきなのか?」

松村圭一郎『くらしのアナキズム』 p227

松村さんは「当たり前を疑う」を「そもそもへの問いかけ」と表現するのか、好きだな。

そして、次です。

だれかが決めた規則や理念に無批判に従うことと、大きな仕組みや制度に自分たちの生活をゆだねて他人まかせにしてしまうことはつながっている。

松村圭一郎『くらしのアナキズム』 p227

これです。私が伝えたいことは、これです。大切なことなので、ぜひ10回声に出して読んでください。自分以外の人に「無批判に従うこと」は「自分たちの生活を他人まかせにすること」に直結している。

なぜ、わたしは一人の部屋で泣いたのか?

自分の中に毒を溜めないよう戦ってきたことを実感したから。飲み込まれないように、できるだけ自分の力で人生を歩いてきたから。それができる環境を作ってもらっていたから。自分たちの生活を、誰にもゆだねなかったから。他人まかせにせず、必死で守ってきたから。そして、それに気付いたから。

「仕事」と「生活」を自分なりにカスタマイズし始めたら、いきなり生きやすくなった

続いて、もう少し生活に根付いた話をします。

先日「うちの睡眠はフレックス制です」という記事を書いた。生来睡眠を苦手とする人間が「早寝早起きが常識で健康だ」という価値観を手放してみたら、めっちゃくちゃ生きやすくなったと言っている。

できる限りゆるく働くこと」という記事では、ゆるーく働くことを命題としている人間が、週3で働く日常の「幸せ」を文字にして、「週5かける8時間で働くなんて一体誰が決めたんだろう」などと言っている。(ちなみにこれは、ゆるーい日記です。)

こうして見返してみると、わたしの書く文章は「『当たり前』に実を詰めよう」というテーマが多い。

たとえば、多くの人に読んでもらった「【恋愛論】付き合うを本気で考える」という記事では、現代の恋愛の仕組みに疑問を持った人間が「恋愛のゴールは『結婚や付き合う』だ、という考え方が『当たり前』になっているけど、なぜなのか?」「言葉や制度が暴走した弊害ってなんだ?」ということを考えている。

じゃあ具体的にどうすればいいのか?

思いついた方法は3つある。

まずは「①自分の違和感を肯定すること」。その後で「②構造の外に出ること」もしくは「③ルールを変えること」。

対策①:自分の違和感を肯定する

自分の感じた小さなモヤモヤの積み重ねを「個人的な、身勝手でわがままな感情ではなかった」と知ること。この実感に何度生かされてきたことか。

自分の持った「違和感」を言葉にしたり、他にも同じことを感じている人がいると知ったりすることで「この状況で違和感を覚えるのは自然なことだよね」と自分を肯定すること。SNSなどで見かけるマイノリティ的価値観のムーブメントは、ここに意義があるんだと思う。(もちろんそして、これまで関係なかった人たちに「毒」を教えること)

救われたエピソードがある。数年前、YouTubeで、内田舞さんと中田敦彦さんが対談する動画を見た。そこで初めて内田舞さんという方を知った。ハーバード大学で精神科医をされているらしい。朗らかで穏やかな話し方をする、チャーミングで素敵な方だった。何気なく見始めたのに、途中から瞬きができなくなった。

たとえば内田さんは「しずかちゃんは優秀で、優しく、能力があるのに、リーダーシップを取ることはなく、いつものび太を応援してばかりいる。この背景には、能力がありながら、それを発揮せずに生きるのが女性の美徳として賞賛される日本の文化がある」と話していた。

どうしようもないほど共感して。そう、これを、こんなふうに、あっさりと、ナチュラルに伝えてくれる人が、欲しかった、と思った。内田舞さんの日本社会に対する違和感は、その経験談は、私にとっては身震いするほどの「肯定」だった。(URLを貼ろうと思ったが、公開が停止されているようで咽び泣いている。代わりに神作『ソーシャルジャスティス』を貼る。でもやっぱり、喋っているところをぜひ見てほしいので、YouTubeで検索してみてください)

ここで伝えたいのは「この違和感は、思っていいことだったんだ。自分が特別ナイーブなわけじゃなかったんだ」と思えることの重要性だ。

この動画をきっかけに、次々と連鎖的に「あれも変だった」「自分はこの言葉に傷ついていたんだ」と理解していった。その上で、この違和感をどう表現したら「伝わる」のか、自分はどうやって社会と繋がりたいのか、自分の役割ってなんだろう、そんなことを自然と思考するようになった。たとえば数学の大問で、小問⑴の答えが当たっていることが分かって、安心して小問⑵に取り組めるようになったみたいに、迷わず思考できるようになった

対策②:構造の外に出ること

わたしは、日本の社会というものを、会社みたいな組織を、もうすでに諦めている。「諦めないことの意味・意義」を考えた上で、もう諦めることにした。抵抗しても疲れちゃうだけだから、外に出て、もう期待しないことにした。一人で楽しく生きていくことにした。

誤解しないでほしいのは、これは決して「行動する人を否定しているわけではない」ということ。理路整然と絶望している人よりも、一歩でも行動している人の方が偉い。これは絶対にそうだと思う。

自分の生き方として「他人」に、特に「人の集合体」に、もう期待しないことにしたのだ。

でもこれは(何言っているのか分からないと思うので読み飛ばして大丈夫です。)逆説的に「諦めないこと」に繋がっているような気がするのだ。わたしが窮屈な世界を抜け出して、それを視界からできるだけ外して、楽しくのびのび生きることで、規模に関わらず自分で一から世界を組み立てることで、結果的に「旧体制と戦ったとき」と同じような成果が、いや、むしろそれよりも大きな成果がもたらされるような気がするのだ。

対策③:ルールを変えること

まずは民主主義的な方法の例として、中学生が学校の校則を変えようとする取り組みを紹介する。「お、いいぞ」と思ったが、ここで一番大切なのは「ルールは絶対ではなく、適切な方法で変えることができる」と、子どもたちの中に落とし込むことだ。ちなみにそれが「法教育」なのだと思っています。

続いて、民主的な手続きが保障されていない場合のより現実的な方法を。またもや松村圭一郎さんの『くらしのアナキズム』からの引用です。

よりよいルールに変えるには、ときにその既存のルールを破らないといけない。サボったり、怒りをぶつけたり、逸脱することも重要な手段になる。それなら、ぼくらにもできそうな気がする。自分の思いに素直になればいいのだから。

松村圭一郎『くらしのアナキズム』 p226

そうなんです。破っちゃえばいいんです。怒ったらいいんです。苦しい現実を目の前にして、変に大人になっちゃだめだ。

正しい理念や理想を掲げて一致団結して進むのではなく、たえずそれぞれの「くらし」に立ちもどりながら、能力に応じて貢献して、必要に応じて与えられる状況をつくること。そのために異なる意見をもつ他者との対話をつづけること。そのコンヴィヴィアルな対話には、向かうべき方向があらかじめ決まっているわけでも、ひとつの正解があるわけでもない。

松村圭一郎『くらしのアナキズム』 p226

向かうべき方向があらかじめ決まっているわけでも、ひとつの正解があるわけでもない」本当に大事なことだ。価値観に「正解」なんてない。あるわけがない。

そして「異なる意見をもつ他者との対話をつづけること」。これって、場合によってはすごく辛いことだ。ものによっては、自分のアイデンティティをゴリゴリ削られるような気持ちになる。

でもやっぱり、他者を想像すること、物事を色んな角度から見ること、組織が成長を続けること、これにはやっぱり異なる意見を持つ他者との対話が必須だろう。「走り続けないと自転車は倒れる」ってどこかの偉い人が言ってたけど、たしかに価値観のアップデートがない個人や組織に明るい未来があるとは思えない。

大切な言葉はすべて自分で定義したい

自分にとって大きな意味を持つ言葉を、自分の「人生」を構築する言葉を、自分で定義したい

「言葉」って本当にすごく大切だと思う。私たちは、言葉なしに思考することができない。言葉なしに他者と話し合いをすることができない。

他人の言葉を使って生きると、いつの間にか、自分の人生が乗っ取られてしまうんじゃないかと思う。自分で自分の人生を操縦できなくなってしまう。

「幸せ」も「愛」も「成功」も「感謝」も「貢献」も。「仕事」も「働く」も「家族」も「友達」も。自分の経験を踏まえて、自分の人生が滲み出るように、忘れちゃいけないことをずっと覚えておけるように、一からコツコツ定義するんだ

そうやってキリキリと「言葉の精度」を絞り上げて、自分で決めた言葉にあふれる人生は、きっと素敵なものになる。

大切な言葉は、時間をかけて人生をかけて、すべて自分で定義したい。そして、自分の内側にない言葉を鵜呑みにせず、社会に溢れる「当たり前」を疑うことで、自分の人生を生きたい。

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