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家の明渡しで思うこと①

1年と2ヶ月住んだ家の明渡しの日、からっぽになった部屋に1人座って、不動産の人を待つ。

部屋の退去って、いつも思うけど、あんまり感情が動かない。なんというか「これで終わりでいいんか?もうちょっと感極まっても良いんじゃないか?」みたいに思う。そういえば、高校の卒業式もこんな気持ちだったな。

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部屋を見回してみる。
物がなくなって際立つけれど、ずいぶんきれいな部屋に住んでいたんだな。
立地も非常に良くて、最寄りを言うたびに「そんなとこ住んでんの?!」なんて言われていたけど、まあ私もちょっと自慢げだったけど、でもなんとなく、自分の力で住んでいるとは思えなかった。
「住ませてもらってる感」とか「住まわされている感」みたいなものがあった。(日本語として正しいかは怪しい。)

新しい練馬の家は、そんなに新しくないし、ところどころに不満もあって、部屋のクオリティは下がったなと思っているのだけど、でも、なんか、すごく気に入っている。
「自分で」住んでいるって、感じる。自分の家だって、より強く思う。(ちなみに、家賃は半分になりました、港区は頭がおかしい。)

それで、今までどれだけ地に足が付いていなかったか、みたいなことを思い知る。

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そういえば、ちょっと前にお母さんが「この部屋に住むの辛くない?」って聞いてきた。
うーん、たしかに、事務所は近すぎるよな。例の高層ビルは、できるだけ視界に入れないように歩いている。スーパーに行くときは、知り合いに会うのが怖くて下を向いてたりもする(かわいそう)。でも、家自体には別に何も思わないかな。
というようなことを答えた。

でも今日、「やっぱりこの家は時間が止まっている」と感じる。

私が働けなくなった日、体が動かなくなって直属の上司に連絡をした朝、「とにかく休んで」と言われて電話を切ったあの瞬間から、明確にあの時から、止まった時間がある。

「とにかく休む」ことが決まってから、どうして良いか分からなくて、とりあえずお母さんに電話した。とりあえず自宅の番号を押したら、数コールで出てくれた。なんか、反射的に涙が出た。
「もう働けなくなっちゃった」とだけ伝えた。「とりあえず帰ってきたら?」と言ってくれた。そのときの安心感、安堵感たるや。「そうだ、帰る場所があった」と思った。

ひと眠りしてから、その場にあった物を、ひたすらキャリーバックに詰め込んだ。
判断能力が、自分でも不安になるくらい低下していたので、「頭を使うな」とそれだけ思って、財布とスマホだけ確実に持って、家を出た。
完全に思考を止めて移動した。「東京駅 19時20分発」以外の情報を頭に入れないようにして、今思うとあの状態でよく帰れたなーと思うのだけど、まあとにかく仙台に帰った。

実家に戻って、自分の状況を話そうとしたのだけれど、怒り以外の感情が出てこなかった。怒ることでしか、伝えられなかった。
「さすがにこれはまずいなぁ」と思った。本音を話そうとすると、絶対に涙が出るから、他人には感情を出せないなぁと思った。

それで、普段から持ち歩いていたノートに、思っていることを書き始めた。とりあえず頭に浮かんだことをつかんで、文字にしていった。
それを数日続けていたら、すぐに感情が吹き出してきて、そっからは、本当にとにかく書いた。
寝るときと食べるときを除いて、ほとんどの時間書き続けた。散歩をしていても、頭に情報が溢れはじめたら、立ち止まって一通り書き留める。公園のベンチでもノートを開く。夜目が覚めたら、スマホを取り出す代わりにノートに感情を書き出す。

そうしていたら、1週間くらい経って、「あ、頭がからっぽになった」という感覚を得た。その後は、本を読んだり、インプットをすることができるようになった。なんとなく「回りはじめた」感覚があった。
ちなみに、今もノートは肌身離さず持っていて、頭に情報が溢れたらとにかく書いていてる。もう何冊目か分かんない感じになってきた。

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3週間が経ち、体調も落ち着いて、さすがに1人になりたくなって、一旦東京に戻ることにした。

夕方に仙台を出て、東京に着いたらしっかり夜になっていた。
最寄り駅で電車を降りて、いつもの駅のエスカレーターで地上へと昇っていく。
外に出ると、いつもの道が、見慣れた景色が、なんだか優しかった。
道に並ぶ低い電灯が、行き慣れたパスタ屋さんの明かりが、自分を受け入れてくれているような、そんな気持ちになった。
普段は耳につく人の話し声や車の音が、街の喧騒が遠く聞こえて、一生懸命に自分の家を目指した。

いつもの角で曲がり、鏡ばりのエントランスを抜けて、エレベーターを待つ。すごくドキドキした。「あの部屋は、本当にまだあるのか?」と思った。

エレベーターを降りてすぐ目の前の部屋、402号室。鍵を差し込んだら、吸い込まれるみたいに鍵が奥まで刺さって、右に90度回すと、思ったより大きな音がした。
いつもの日常が、いちいち新鮮だ。

部屋の中に入ると、もう、本当に、そのままだった。
冷蔵庫の上にはもらい物のマドレーヌが乗っていて、水を飲んだコップがシンクに置いてある。
すべて、感情を殺しながら部屋を出た日のままだ。空気ごと、保存されていたみたいだ。

何より心に残ったのは、自分が寝ていた跡だった。
あの日、疲れ果てて、もう布団を敷くこともできなくて、たたんだ布団の上に毛布を集めて、くるまって寝ていた。というか、倒れていた。
乱雑に置かれた布団の上に、自分の形がはっきりと見えて、本当に何とも言えない気持ちになった。
「いなくなった人の気配」みたいなものを、全身で感じた。
なんだこれ、遺品整理でもしているみたいだ。私は死んだのか。

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そのときの感覚が、退去日の今日、また戻ってきた。
この部屋に、あのときの私の気配は強すぎる。

まあそれでも、この部屋はとっても好きでした。「帰る場所」って、なんかいいよね。

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