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「家族が大事」ってみんな言いすぎてて言いにくい

逆張り族で、斜に構えすぎているあまり、みんなが当たり前に「Aは大切だ」と言っていることに頷けない。「Aは本当に大切なことだったんだな」と思うまでは、どうしても逆張りしてしまう。たとえば「お金ってほんとに大切?」「感謝する必要ある?」「みんな、なんのために仕事を一生懸命やっているの?」みたいな具合に。(A=お金、感謝、仕事)

ずっと逆張りを続けているものの一つに「家族は大切」がある。みんな当たり前のように「家族は大切」(A=家族)と言う。「大切な人は?」と聞かれると、みんな口を揃えて「家族」だと言う。はて。言わされていないか?自分に言い聞かせていないか?「なぜ家族が大事なのか」「自分はマジでそう思っているのかな」を本気で考えたことがあるのか?

よく考えた上で、もしくは考えるまでもなく、自分の中の真理として「家族が大切」と言っている人が相当程度いることは理解している。しかし社会の中で「家族は大切」が「模範解答」である以上、私はどうしても「オリジナルな理由づけ」というか「『家族は大切』と言うのが模範解答だけど、ありふれていると言われても、これがわたしの回答だ」と言える納得感がないと、言いたくない。というか、斜に構えすぎていて、言えない。

「家族についてどう思うか?」と聞かれると、発問者に他意が無いのは分かっていても、どうしても「価値観が違いすぎて、大切なことは親に相談はしないかも」とか「いろいろ思うところはあるけど、子育てに100点は無いので」みたいな、すごく含ませた感じの回答をしてしまう。(まあこれも、ほんとに思ってることではあるのだけど。)

含ませ回答をしてしまう理由①として、「当たり前(テーゼ)」みたいなものが大きくなりすぎているとき、確固たる自分を持たずにそれに乗っかると、自分の言葉が喋れなくなり、窮屈さを感じてしまうから、それを避けているというのがある。だから「大切とは言い切れない」という、守りのアンチテーゼを展開する。言わされている感、無言の圧力みたいなものを感じ続けた結果、自分ではどう思っているか分からないまま、模範解答に対するアンチテーゼを自分の中から引っ張り出す。(綺麗事に対抗するのも全く同じ原理である。)

それから理由②として、こういう「当然の問い」に対して発問者が想定する答え(今回なら「家族は最も大切な存在だ」的な回答)をすると「あーうんうんそうだよね、こう思うよね」って周りの人に勝手な解釈をされてしまい、下手すると「うん、みんな家族が最も大切だね」みたいに大きく括られてしまい、ディテールが殺される感覚が気持ち悪くてこういう「それってどういう意味?」と聞かれるような答え方をしているのかもしれない。間違っても「みんな同じ考えだね🎵」なんて言われたくなくて。

それで、じゃあなぜ今日このテーマで書いているかというと、最近この「逆張り」をやりすぎて、なんならnoteでも生い立ちの不穏な部分ばかりを切り取って書いているせいで、家族関係に問題がある人間だと思われ始めていることに「いやそれは違う!!!」と思い始めているからである。

う〜〜〜〜ん。それは違うんだよな……。「家族関係に問題がある人」というレッテルは正確ではないし、そう思われるのは結構嫌だ。わりと私は「育ちが良い」と言われるのが嬉しいし、家族と「適度な距離感」でやれていることに自信がある。「家族が大切だ」って直接言ったりハグしたりするような家族じゃなくて、父方の親族は好きじゃないし、幼少期に印象的で嫌な出来事もあったし、結婚観とか仕事観は「まじで話通じない」と思っているし、強者の理論を展開されるたびにうんざりするけど、親のことはわりと好きだし、関係性はまあまあ良好だと思っている。

では、箇条書きで「家族のことはわりと好きだな」と思ってる理由とか根拠を挙げてみる。

・一緒にいる時間はできるだけ楽しくいられたらと思う

・風邪をひいたら一番に「風邪ひいた」と連絡する

・うまく料理が作れたら家族のグループLINEに写真を送る

・母の日も父の日も「ありがとう」と文章で書くのは照れ臭いなと思いながら「thank you」のメッセージと一緒に毎年プレゼントを送る

・七草粥とか柚子湯とかお月見団子とか夏至みたいなものは体に染み付いている

・GWと大晦日には毎年ゲーム大会をやる

・一番お気に入りの指輪は母が若い頃に父から貰ったもの(それを私が貰ったことは父には内緒)

・母が水引で作ってくれたイヤリングをよくつける

・貰った手紙は全部取ってある

・そんなに「会いたい」と思うこともないけど、やっぱり会ったら嬉しい

・家族で食べるご飯は一人で食べるよりずっと美味しい

・誰かの誕生日のたびにお気に入りのフランス料理屋さんに行く

・母の愛読書は年々好きになっていくし、いつの間にか父のお気に入りのクラシックを聴くようになった

・実家のある駅に降り立つと嬉しくなる

・家族の一部が知らない話にはちゃんと注釈を入れる

・そういえば「学校に行きたくない」と言ったときに「行かなくていいよ」と言ってくれたし、働けなくなって「職場を辞める」と言ったときは、事情を聞いた上で「それは辞めるしかないな」と言ってくれた

・そういえば、選択の周りを固めるようなことはされたことがない。いつでも退路が残されていた

・わりと昔から、歳をとるのが怖くないのは、父と母のおかげだと思っている。会うたびに「この人たち、ほんとに楽しそうだな」と表情から伝わるし、母は趣味の生花やら水引をほんとに楽しそうにやっていて、父は最近定年してほんとうにイキイキしているから、わりと私も「何歳になっても、常にその時が一番楽しいんだろうな」と思っている。

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という感じで、今日は逆張りの逆張りをしてみました。ほんとうは、こういう話がしたかったんだよなぁ、と思いながらも、なんかやっぱり素直じゃない書き方をしてるよな、今日も。ちょっと前に先輩から「ちいむさんて、デレツンって感じだよね。ツンデレの逆」て言われたけど、これまじで芯を食っている気がしていまして。親しくなるほどツンとしちゃうの、ほんとうになんで???

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