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性行為と同意について思うことを3400文字も書きました。

直接的な表現で大変恐縮なのですが、きょう付き合っている人が家に来て、性行為をした。1か月半前くらいに付き合ってからすでに何度かしているのだけれど、かれは同意に対するスタンスが本当に素晴らしい。

えー、この記事は性的ともとれるエピソードを含んでおり大変恐縮なのですけど、この素晴らしさをぜひ世界に伝えたいと思ったし、最近ずっと考えている「同意」の本質を見た気がしたのでここで言語化させてください。

伝えたいのは「同意に対するスタンス」とは「性行為に対するスタンスそのもの」であり、行為の満足度や長期的な顧客ロイヤルティに直結するだけでなく、ひいては二人の関係性や個人のアイデンティティの根幹をつくるような種類の、極めて重要な価値観であるということです。

当事者の人間には内容を見せて公開許可をもらっていますが、さすがに赤裸々すぎる気もするので、恥ずかしくなったら有料公開にします…。

01:きょうのエピソード

かれは毎回きちんと同意を取る。明らかにそういう雰囲気のときも身体を触る前には「良い?」とワンテンポ置いてくれるし、こちら側のモチベーションが分からないときは「自分はしたいと思っているけど、あなたが嫌なのだったらしない」的なことをわりとはっきり伝えてくれる。

今日は後者で、正直なところ自分でも自分のモチベーションが分からなかった。でも別に「積極的に嫌だ」というわけでもなかったので「私は『したい』という感じではないけど、したいんだったら別にいいよ」と伝えてみた。すると「あ、無理をさせたいわけじゃないから、お互いに気分が乗ったらしよう」と一旦引き、「もちろん気分が乗らなかったら乗らなかったで問題ないので、そのときは別のことしようね」と言ってくれた。その言葉に安心したこともあって、しばらく時間が経ったら自分のモチベーションがしっかりと分かったので「あ、やっぱりしたいです」と伝えて性行為に至った。(文字にするのシュールすぎる。)

これについて、いくつか思うことを書く。

02:NOと言える余白がYESの質を上げた

まず、今回かれは「嫌だったらしない」とはっきり伝えてくれて、こちらが「(うーんちょっと気分は乗ってないけどめっちゃ嫌ってほどでもないし)まぁいいよ」と答えたのを、「本心では望んでいないんだな(嫌なんだな)」と考えて引いてくれた。そのおかげで、私はなんというか、すごく安心した。あ、NOって言っていいんだなという安心感があったし、本心でYESと思えたらYESと言おうと思った。つまり、NOが言えるようになったことでYESが本当のYESになったのだ。もっと言うと、NOと言える余白がYESの質を上げたのである。

私としても「今日はしないよりも、自分も『したい』と思ってするに至るのが一番いいな」とは思ってはいたんが、でもなんというか相手と自分では「性欲の速さ」が結構違うから、ちょっとまってよ!となる。(これわりと男女で一般化できると思っていて、ここに関する理解が足りないから様々な問題が生じているのだと思っていますがどうですか???つまり「性欲が速い」ほうがちゃんと待ち、パートナーのモチベーションがしっかり上がった状態ではじめることが重要だと考える。)

今回は、相手がしっかり引いてくれたおかげで、自分の矢印を相手に向けることができ、それをはっきり伝えることができた。

03:同意とは、性行為の質そのものである

それから、自分は(とくに付き合っていると)性行為を断ることに罪悪感を持つ、ということに初めてはっきりと気付くことができた。なんとなく、相手を拒絶してしまったような気分になる。だから今まで付き合ってきた人とも、気分が乗っていないのに「まぁ別にいいよ」くらいのスタンスで応じて性行為に至ることがままあった。でもそういうときはやっぱり気が乗りきっていないから楽しくないし、そんなスタンスじゃ最中に「嫌だな」と思うことがあってもはっきり伝えられなくて、結果自分が充足するような性行為にはなり得ない。終わったあとに死ぬほど疲れたり、身体に違和感が残ったり、「あーなんだかなー」と思ったりして「次またしたい」と思えないようなことが結構あったなと思う。

それで付き合って時間が経ってくると「もうしたくないかも」と思うことがままあって、これは時間が経ったせいで恋愛感情が薄れてきているのか?と思っていたけど、多分それが一次的な原因ではないなと感じる。「嫌だ」と言えなかったり、内容に関してもなかなか思っていることを言えなかったりして、普通に居心地が悪くて、なんとなく不快でイライラして「あーもう行為自体をしなければいいのか」みたいになっていた。

04:言いたいことを伝える重要性

世の中のセックスレスって、だいたいがこの「言いたいことを伝えられていない」→「充足できない・不快感がある」→「行為自体が嫌になってしまう」という流れで始まるのでは?と思った。

モヤモヤと思っていることを伝えるのって本当に大切だ。わたしは今までなんとなく「NOと言うこと=相手に『拒絶された』と思わせること」という印象を持ってしまっていたが、(もちろん伝え方は大事だけど)NOということ自体は、相手を傷つけることではならない。これはすべてに通じるけれど、本心を伝えてこそいい関係性が築ける。そして「NOと言っても受け入れてもらえる」「相手は本心で話してくれる」という実感を持ち合うことが大切なんじゃないかと思った

05:かれの「同意観」から学ぶ

話を戻すが、私は今日かれのその「同意観(同意に関する価値観)」に感動した。「同意」が真意を発揮したというか、正真正銘の「オーセンティックな同意」が生まれる場面に立ち会った気になった。これまで関わってきた人とは、レベルというか前提が全然ちがう感じがした。

冒頭で述べたように、身体に触る前にはしっかり同意を取ってくれる上、身体への侵襲が段階的に大きくなるタイミングごとに「良い?」とか「痛くない?」みたいなことを逐一聞いてくれる。(わりと痛いことがあるのでマジでありがたい。)

もしかして、お家の教育方針が素晴らしいのかな?と思ったりして、ピロートーク代わりに「わたしは今日あなたの『同意に対するスタンス』に感動したのだけれど、一体どこでその価値観を培ってきたの?」と聞いてみた。すると、ちょっと驚いた顔をしながら「えーと、ちょっと前に『不同意性交等罪』の改正があったじゃん。その勉強をする中で『同意』の概念について学んだ」と。えっっっっ、刑法?

さらにかれはこう続けた。「条文上、同意には『形成→表明→全う』という段階があるからね」えっっっっ、刑法の条文からこんなに本質的な性教育ってありえるの……?と、さすがに笑ってしまった。刑法で同意概念を学び、それに納得したので自分自身の価値観としてしみついたらしい。さすが令和の法律家というか、なんというか。

かれは学習能力が高すぎるとしても、マジでルールや教育って重要なんだなと思った。

07:後日談(この記事を見せてみた)

さすがに今回の内容は事前に検閲してもらおうと思い「この間話した『同意』についてこんな文章を書いたんだけど、世界に公開してもいい?」と聞いてみた。ちょっとびっくりするくらい、すんなりご許可くださった上、以下のご感想までいただいた。

「自分にとって『全う』は簡単だ(言うことを聞けばいい)けど、『形成』と『表明』は難しいと思っていて、嫌と思えるか、嫌と言えるかは常に気を遣う必要がある。そうすると相手が嫌と思える・嫌と言えるチャンスが必要だから、そのチャンスを作るために同意を求める行為があるのかなと思った。あと、嫌と言えるようにするために『ダメならダメでいい』という態度でいることが大切なのかも」

重ねて感心してしまった。なるほど。同意というのは、お互いが性行為OKであるという確認行為ではなく、性行為を望んでいるのか、それとも望んでいないのかをそもそも考えるきかっけなんだなと。


ちなみに刑法上の「形成」「表明」「全う」の考え方はこんな感じです。(参照:法務省HP

形成=性行為に同意するか同意しないかの意思を持つこと。

表明=同意・不同意を相手に伝えること。

全う=同意・不同意のとおりになること。

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