ちーかまん

artist/作詞家/ラジオパーソナリティ このnoteでは今まであった出来事を 綴…

ちーかまん

artist/作詞家/ラジオパーソナリティ このnoteでは今まであった出来事を 綴ってますのでマニアな方のみご覧ください。

最近の記事

まこと君。

倒れていた男の子は向かいの棟に住んでいる 16歳の「誠くん」と言う子だった。 どういう経緯で仲良くなったのか もう覚えてすらないが、とにかく面白いお兄ちゃんだった。 普段から悪さをして、主に窃盗をしていたようだった。 その素行の悪さから先輩に目をつけられ 団地の前でリンチをされたらしい。

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    • 初めて覚えた電話番号

      「なんかあったらここに電話しいや」 交際相手が経営する居酒屋の仕事に 行く支度をしながら母がチラシの裏に マジックで書いた 携帯電話の番号を渡された。

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      • 連れ子。

        3年生に上がる頃、北野田へ引っ越した。

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        • 団地の鍵っ子。

          入学してから次の日くらいには ランドセルに紺色の紐で自宅の鍵を結んでもらい 「帰ってきたらこれで開けるんやで」と母から言われた。 自宅から小学校は徒歩20分くらい まぁまぁ離れている。 それでもワクワクが勝ってしまうくらい 毎日が新しい事だらけで楽しかった。 初めての筆箱、初めての授業 初めての友達、初めての登下校。 何より大好きな場所があった。 それは学童クラブだ。 その小学校では体育館の隣にちっさい プレハブの建物がある。 放課後にそこへ行き宿題をしたり 本を読

          泣き喚く。

          離婚の理由は知らないが 後に15歳の頃、母から聞かされた 「あのままやとあんた殺されてたで」と言う言葉で きっと虐待されていたのだろうと気づいた。

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          平成二年十月十九日。

          僕が生まれた生年月日だ。 ちなみに産まれた病院すら知らない。

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          平成二年十月十九日。

          「ちーかまん」の作り方。

          「ちーかまんって言います!よろしくお願いします!」 僕が色んな関係者に挨拶するときに使う台詞である。 「なんでちーかまんなの?」これは 必ずと言っていいほど理由を聞かれるので この辺で説明しておきます。 17歳の冬に同級生の紹介で 地元拠点にしてsoundをしてる アッチ君という人に出会った。 年齢は忘れてしまったが30代後半の大男だった。 当時の僕からすれば遥かに年上で レゲエに関する色々な事を教えてくれた。 「Riddimは〜」とか「パトワ語で〜」とか 丁寧な口調で

          「ちーかまん」の作り方。

          【歌詞】おとん

          おとん 元気してん?調子どうなん実際 伝えたいことあるから聞いてやいっぱい あんたの息子は胸張って歌うたい 連絡とれやんかわりにちゃんと心から歌いたい おかんと俺らを置いてどこいったんよ? 最後 いつ会った?遊園地?海沿い? 笑ってる写真見て幸せなアホヅラ きっと家族って奴は暖かい 「最低な男やったわ」っていつも 酔っぱらったおかんが俺にぶつけてくる言葉 「笑った顔があの男そっくり」って 嬉しくもないわ 顔も知らんし覚えてへんし なぁ幸せっていつから崩れた? 大人の都合

          【歌詞】おとん

          ボールペン。

          Oからの助言もあり、形にすることにした。 すごく心が楽になったというか 荷が降りたというか。 症状が治ったわけでもないが しっかりと目を背けず 向き合うことが出来た。 つくづく音楽があって良かった。 自分にはマイクがあって良かった。 もしなければ絶望したまま 視野が狭くなり間違った選択を 選んでしまっていただろう。 書き終えたその「歌」を 「ただただ…」という題名をつけた。 時は流れ今。 ほとんど症状はマシになった。 飛行機乗る前に薬を飲むくらいになった 周りの理解も

          ボールペン。

          向かい合わせ。

          パニック障害と診断された僕は 生活がガラッと変わってしまった。 務めていた仕事場を辞め 家に居る日々が続いた。 夜寝るときは電気を消して寝れなくて 怖さを紛らわすために携帯で ラジオを流しながらじゃないと 寝れないようになってしまった。 誰かが喋っていると一人でいるような 感覚ではなくなるから当時の僕は本当に 救われたのだ。 電車も乗れない。 エレベーターも乗れない。 美容院も行けない。 彼女とのデートも人混みや映画館で 発作を起こすので迷惑と心配をかけてしまった。 情け

          向かい合わせ。

          「典型的なパニック障害ですね。」

          メンタルクリニックのお医者さんが僕に言いました。 「え?」と言うより「やっぱりか」って感じだった。 23歳の夏。当時働いていた工場では 夜勤、日勤と週ごとで働いていた。 ある日の夜勤明けに寝ようとベッドに入ると 突然、激しい動悸と息苦しさに襲われ すぐに立ち上がってしまった。 「なんやこれ」とテンパりながら 落ち着かせようと部屋の中を ぐるぐると歩きまわった。 当時実家だった為、異変に気付いた 祖母が声をかけてくれたのだが その言葉すらも全く耳に入らず 「やばい死ぬ」と

          「典型的なパニック障害ですね。」