愛すること

弘中アナウンサーおすすめ、オードリー若林にラジオでお土産として渡したという〝愛するということ〟という本を購入して読んだが、活字は拾えるが全く頭に入ってこなかった。何言ってんだよっ!状態で、愛について考えるのを拒否している感じ。いや、ただ単に言い回しが難しいだけなのかもしれない。

途中で断念し、今は積読の仲間入り。いつか読める日が来るといいな。

そんな話をした人が、覚えていたのか、ふとLINEが来る。

仕事ファイトというメッセージと共に、作家平野啓一郎が愛することについてプレゼンするYouTubeが添付されていた。

ここから先はネタバレになる。YouTube見たい方は見てからをおすすめする。



YouTubeの中で、平野啓一郎は愛の中でも自己愛について取り上げて愛についてをプレゼンしている。『愛とは誰かを好きになることだ。そこにつけ加えたい。愛とはむしろ他者のおかげで自分のことが好きになることだ。』と述べている。

その人の前にいる自分が好きかどうか。その人の前にいるときの自分はまんざらではないと思えるかどうか。

なるほどと妙に納得してしまった。

他者を経由して好きになるのイメージが自己肯定感の搾取のように感じていて抵抗があった。自分の弱さを曝け出すことで、そんなことないよって言ってもらうのを待っている感じがしていた。

その反面、大好きな友達の前で、他人の評価から離れた時、のびのびとリラックスできる自分に会えた時、ほっこりと暖かい気持ちになれることは確かにあった。ちーちゃんまたですかーはいはいと話を聞いてくれたり、時に愛のある説教をしてくれたり、ダメな自分もいい自分も出しても付かず離れずでそばにいてくれる友達の存在にずいぶん助けられてきた。(そういう関係性になるには相当時間かかるけども)

他者のおかげで自分を好きになると言うことは、さっき言ったような自己肯定感低い人にありがちな他者からの好意で自己を肯定することではないのだ。他者の目を気にしすぎたり、褒められたくて背伸びしたりすることなく、その人の前だとリラックスできたり、そのままの自分を表現できる存在に出会えた時に起こる事だというのも頷ける。

そして、そんな人との出会いの中で、好きな自分を1つ見つけるたび、1つの足場ができる。好きな自分の数を数えていけばそんな何十個もいらないのではと述べている。

多くの人に好かれなくとも、まんざらでもない自分が出せる人が1人でもいれば生きていけるのだ。

そして平野啓一郎は誰かのおかげで、自分を愛せる。他者を経由して自分を好きになれる。おそらくこれが自分を愛する入り口となり、やっぱり我々は他者をかけがえのない存在として愛すると逆説的にまとめている。

持論として愛するということは、自己犠牲することなく相手のことを受け入れられる事だとか考えていたのだけど、まぁ、出来た試しないんだけど、平野啓一郎のプレゼン聞いてからだと陳腐に見えるけど。

自分を主にすると、すっと入ってくる。こうしなきゃ感がなく、なるほどーと思える。他者のおかげで自分を好きになるか。

願わくば、子どもたちもしかり大人もしかり、その他者になれたらなぁと。それよりもまず、自分からか。







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