「嫁」という呼び方

結婚して約1年。
私には愛する嫁がいる。

嫁という呼び方は会社の憧れてる先輩が奥さんのことをそう読んでいて何となく影響されて使っている。

なんとなく響きも好きだ。

先程Twitterで「嫁」という呼び方を毛嫌いする方の呟きを見つけた。

その呟きには「嫁」と呼ぶことをなぜそこまで嫌がるのかは書いていなかったので検索してみたところ、
嫁というのは女を家に迎え入れる的な意味合いが強く、古い考えに基づくものだと書かれていた。

辞書にも、むすこの妻を呼ぶときの言い方と書いてありそもそも間違っていると。

そしてその記事には妻のことを嫁と呼ぶ人を見るとどんなにそれまでの印象がよくてもがっかりする。古い考えの持ち主なんだと思う。などと書かれていた。

上記のようなネット記事が「嫁」と検索するだけで上位に出て来ることを考えると、世の中に一定数こういう考え方の持ち主がいるんではないかと思われる。

正直理解できない。

言っている意味はわからなくはない。ただあまりに浅はかと思ってしまう。

妻のことを嫁と呼ぶ人に対して、家制度の生き字引とも言わんばかりのレッテルを貼り付け、いにしえの価値観の持ち主としてカテゴライズするのはあまりに短絡的すぎやしないだろうか。

確かにフェミニズムについて勉強を重ね、嫁という呼び方の語源はこうだから、呼ばないほうがいいという結論に至った人もいるかもしれない。そもそも言葉の本来の意味も知らないで使うなんて勉強不足だと言われるかもしれない。

しかし、これではあまりに形式主義に囚われすぎている。

その人が実際にどういう考え方をしているのかはその人と向き合い、よく話を聞いていかないとわかるはずがない。

ある言葉を発した時点でレッテルを貼り付けていくのは簡単だし、あまり考えなくて済むから非常に効率的だ。

ただそれはダイバーシティに逆行する考え方である。

ある言葉を持って、その人がどういう人かについて、仮説を立てる段階のきっかけ程度にはなりうるとはおもう。ただそれは決め手にはなり得ないし、それだけを持って断定的に人を規定する論調には不快感を覚える。

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