「応援」の見返りを「勝利」に求めてはいけない、とはどういうことか。
https://note.com/chiiiiii0tm/n/n8e583e8e3cf4 の続きといたします。
「応援」の見返りを「勝利」に求めてはいけない、とはどういうことか。
逆に「応援の見返りを勝利に求めている」とはどういうことだろうか。
色々と考えを巡らせたが、
「応援したのだから試合に勝ってほしい」
になるのではないだろうか、と自分は考える。
文字にした時、純粋な願望のようにも見えるが、「したのだから」という言葉が問題になってくる。
特に「から」である。
この「から」にはいくつかの意味があるが、その中に「命令/依頼」というものがある。
つまり
自分は「応援」をしたから、クラブは「勝て/勝ってください」
ということになる。
自分には、どこか傲慢さが垣間見える印象を受ける。
繰り返しになるが、辞書的な意味では、「応援」とは「声援や拍手を送って選手やチームの気持ちが奮いたつように元気づけ、力づけ、激励すること」である。
命令したり依頼するような意味は無い。
仮に、「自分は応援をしたから、クラブは勝て」と思っている人がいるとしたら、その人は勝てなかった時に罵詈雑言を浴びせるような人だろう。自分はお近づきにはなりたくない。
では「応援の見返りを勝利に求めない」、とはどうなるだろうか。
自論はこうだ。
試合前/中/後は、
選手を鼓舞し、讃える。
勝った時は、
選手や監督が頑張ったから、と考える。
自分が応援したからだ、ではない。
勝てなかった時は、
自分の応援が足りなかったから、と考える。
選手たちはよく頑張った。と讃える。
もちろんこれは綺麗事だ。
自分が勝手にそう思っているだけにすぎない。
一方で、この考え方をするようになって以来、試合後のメンタルが安定してきたような気がしている。
特に「勝てなかった時」、比較的早く気持ちを切り替えられている気がしている。
ネガティブな気持ちを引きずらず、「また来週」と次に矢印を向ける。
応援の見返りを勝利に求めない考え方を思うようになることで、自分は応援している時に
「ネガティブな言葉を言わなくなり」
「ポジティブな言葉を言い」
「より一層チャントを歌い」
「チャンスの時には旗を振り」
「勝った時には「ナイスゲーム!」」
「勝てなかった時は「次だ次!」」
と振る舞うようになった。
「言霊」ではないが、実際に口に出した言葉が自分に跳ね返ってきたり、周りに伝播する、影響を与えるような事は少なからずあると思う。
仮に言霊が存在するとして、それがポジティブな言葉ならば、きっと周りはポジティブな空気が広まるだろう。
応援の見返りを勝利に求めないことで、周りにポジティブな気持ちが伝播するならば、カンセキスタジアムやグリーンスタジアムが、一層熱を持つようになるかもしれない。
そうなれば、栃木SCのサポーターが出す雰囲気、持つチカラが、ワンランクレベルアップすると思う。
ちーとも 拝
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?