孤独な生き物人間。
先日、聞いたラジオ番組の内容が頭から離れない。
ラジコプレミアム(有料、月額385円)を登録して、
タイムフリーで何度も聞いた。
今日の23時までなのでまた聴いてるw
お話していたのは舞台芸術監督の宮城聰氏。
申し訳ないが存じ上げなかった。
静岡の劇団SPACの総監督らしい。
正直、話してるのは誰でもいいのだ。
内容がとても興味深かった。
土曜日の19時から放送の
「宮城聰の頭のなか」より抜粋させて頂く。
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UMAも霊も昔、江戸時代の頃は当然いると思われていた。
それは、確認できている動物が圧倒的に少ないので
いても不思議ではないということが前提になっているからだ。
それが近代では人間が地球上に存在するすべての動物を
確認しているということが前提になる。
この世の中にあるものは全て見える化できる。
見えるものだけが存在している。見えないものは存在しない。
それが近代のスピリットになっているので、
UMAも霊もいるはずがないとなる。
UMAは私もいないだろうと思ってるけど幽霊はちょっと違う。
幽霊はいないとは言い切れない。
幽霊は死というものが間に入っている。
死については人間は決して解明できない。誰にも説明ができない。
たまに死後の世界はこうだったと言う人がいるが、
そのことを証明はできない。
またそれがまちがいだということも証明できない。
死によって人間の意識は、本当に無くなってしまうのか。
念とか思いとか魂とかが肉体という入れ物から出て変容していくのか
果たして一緒に無くなってしまうのか、確認しようがない。
死は人間の内側にあることなので確認しようがない。
全ての人間が死ぬのだから。
人間の外にあるものは研究しようと思えば確認できる。
UMAは徹底的に調べれば、ないことがわかる。
人間の手の届く範囲ならではある。
宇宙の果に何があるのかは死と同じで、誰にも確認できない。
UMAも幽霊も人間の想像力の賜物。
人間は、自然界に自分と似たようなものを見つけ出す。
自分が見ようとするものを自然界に発見していく。
本当にあるものではなくて、見たいものを発見していく。
言い換えれば、人間は自分を自然界の中に
鏡のように映し出そうとしている。
自分と似た何かを見つけよう見つけようとしている。
そこは他の動物とは違うところ。
自分の顔や、姿と似ているものを見つけ出そう見つけ出そうとしている。
とても孤独な生き物なのかもしれない。
自分と似たものを見つけたくてしょうがない。
それが人間なんですね。
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部分的に割愛しながら書き留めてみたけど
特に最後の部分が頭から離れず、何度も聴いた。
もう、この記事を書き終える頃には聴くことは出来なくなっているだろう。
自分と似たようなものを見つけ出そうとする孤独な生き物、それが人間。
類は友を呼ぶと言うしね。
確かに、考え方や趣味、好みなど自分とにている人と交流するほうが
きっと楽しい。
違う人とは合わないわけで、つまらない。
近年のSNSでの交流は、まさにそれ。
自分と似ている人を探すのにうってつけだと思う。
自然界じゃないけど。。。
そして、霊の存在のはなし。
霊というか私は意識という言葉が好きだ。
肉体は意識の器であると思ってる。
肉体から離れた意識がどうなるのかはわからないが、
霊というのは肉体から離れた意識が、また何か地球上の違う物質、
例えばガスのようなものとかに入り込んで存在し、
それを肉体を持つ人間が自分と似たような物を見つけだし、
質量がちがうので幽霊に見えるのかもしれないなと漠然と思った。
私がここに存在するのは私という肉体を通して私の意識が存在している。
肉体が死を迎えた時に、意識はどうなるのかが知りたくてしょうがない。
誰にも解明できないことだけど、想像することはできる。
地球上の物質は全て分子原子でできているわけで
おそらく意識はエネルギー体なのだろう。
物理も化学の知識も乏しいので99%想像の域を出ないが、
過去に少し量子力学の本を読んだりしたこともあるので
自分なりに考えてみる。
エネルギーとは運動することができる能力のこと。
光、運動、位置、水、生命と全てのものに存在する。
きっと、人間の肉体、血液、リンパ液などを使って存在しているのだろう。
肉体が動かなくなったらエネルギーが発生しないから死なのか。。。
肉体からエネルギーが離れるから肉体が動かなくなり死なのか。。。
今、うちにお骨がある。先日亡くなったダーリンの弟さんのお骨だ。
神棚にお水を上げる際に手を合わせているがそこにはエネルギーはない。
何も感じない。
後、数日したらお骨は埋葬される。
それまでは魂は浮遊してるとか言われるが、
我が家の中でその気配を感じたことは一度もない。
きっとここにはいないのだと思う。
ダーリンの弟さんとは生前、全く交流はなかった。
亡くなったときも、私の感情は驚いただけで悲しみなどはなかった。
ただ、その日から今まで封印していた意識とか魂とかエネルギーとか次元とかそういったものへの関心が再び蘇り、自ら接触したくなっている。
もう20年以上も昔のことだ。
意識が肉体を離れた時に、自分がたどり着く場所を
より高次元に持っていくために、何をするべきかを
必死で学んでいたときのことを、思い出させられている気がする。
このまま進むべきなのか、今まで通りの平穏な日々にもどるべきなのか
自分がどうしたいのか、そんな思いで日々いっぱいいっぱいになってる。
起こることには意味があるし、
制御すること無く進んでみてもいいかもしれない。
この、NOTEを書いているのも、自分の気持の整理のためなんだな。
いくつかの記事を書きかけて止まっている。
弟さんが亡くなった記事も途中になってるが、そのうち公開しよう。
成り行きに任せてみるのもいいかもしれない。
きっと、なにかにたどり着くだろう。
あのラジオ番組を聴いたのも、大きな意味があるのだと思う。。。
見えるものだけが存在する世の中。
死は人間の内側にあるものだから確認しようがない。
人間は自然界に自分と似たようなものを見つけ出す。
自分と似たものを見つけ出したくてしょうがない孤独な生き物。
ラジオから流れる言葉に突き動かされて
とりあえず、思うままに動いてみる。
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