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わたしの物語をわたしと話す 01

わたしの世界観とは
わたしが世界をどう捉えているか、という事

碇たみ子さんがラジオで確かそんな風に話されていたのを聞いて、すっきり共感した。
世界観を語る以前に、まずわたしが今感じる事、体験したこと、特にその中で感じてきたこと、わたしの物語を書こうと思った。まとまらずに詩のように、書き放つ事しかできない今のキロクでいい。


01

わたしのど真ん中
いのちのたった一点に
そと立てば
静かにくつろぎ
喜びに満ち
音は鳴り響き
踊り出す!
唄い出す!
見えない踊り
見える唄
流れる軌道を描く!
愛とか何とか全方向に放射して
ほかのどこを彷徨う暇もなく
ここで
無限の循環に委ねている



いのちの体感を
わたしが地球に表現するならば

静かに座り
その筆先に、指先に、髪の先に、
一挙手一投足に
全てを任せて表現したい
ぜんぶ投げ打ってくつろいでいたい


あーーーーもう

わたしがこんな感覚を思い出せるのは

妄想して次次と閃いている瞬間!
それをあなたと共鳴させているあの時!

唄舞や絵や編みに夢中な時
体のとてつもなく気持ちよいを味わう時

それは静けさと音が共存していて、俯瞰しながら全方向に集中しているような、淀みのない感じ

多くの時間をその感覚で生きることは
一見とてもわがままで勝手で自己中で

でもそれを続けていった得点を述べるなら

だれでもない自分との関係性、自己信頼が満ち満ちと満ちていくこと

その時こそ、ほんとうに共鳴する人と引き合い出逢う

そこには信頼のめぐりが生まれ

繋がっていった時の最大の喜びに結ばれる

本来のわたしとしての喜びの時
手放しで響き合える人と出逢っている
わたし自身がそのひとりだ



共鳴・共振

よく聞く言葉

でもほんとうに

繋がる喜びとはそんなふうに感じるよ

もちろん

ハレーションし離れる関係性もあった!

たくさん悩んで泣いた!

でもそれも全て完璧だった

あの子もわたしも完璧に

その時 今を全うしようとしてたんだよな

もう許してもいい

あの時のわたしを あの子を


いつしか、人と繋がり導くことがわたしの使命だとか思い込んでいた

わたしが唄や舞のワークショップを主催はじめたのは

運命的に出会った、まるでこの世をあの世に結ぶような音楽を生み出す音楽家の方の指導で唄って踊った時の

湧き上がる感動と思い出す衝動があったから。

涙があたたかく溢れて体の中の太く繊細な振動を感じて

ああ!もう生まれるずっと前からこんな風にしていたよ!!

眩い光に目がくらんで 思考は停止した。

(ちょうどこの頃からまた絵を描き始めたんだ。描く絵が変わった記憶。)

この感覚をシェアしたくって。

友人やそこからつながる人たちがたくさん来てくれるようになり、だんだん心合わせはじめ、ともに励むことは楽しくもあった。

でもそのうち、集ってくれる人たちの中に違和感を感じるようになって、同じ様にその違和感はわたしの中にあった。

それは、言語化するなら「わたしなんて」という隔ての感覚と、同時に「わたしの方が」という隠れた感覚。

誰かに導いてもらおう、誰かに楽しませてもらおうとしてない?

その誰かに責任をおわせてない?

人生を誰かに預けるって無責任じゃない?


「あの人だからできるんだよ」
先生と自分たちの隔て
できる人とできない人の隔て

合図がないと動けない

なんでみんな、自分を諦めるの?
わたしは諦めてるの?

唄は唄う人のもの?
踊りは踊る人のもの?

無意識に自分と「凄い存在」との隔てをつくってる。

アクセルとブレーキを一緒に踏んで方向性を見失っていくような

でも本当は自分の可能性信じたい。だからこうして集い、何かになろうと喘いでいる。

それはわたしの中に大いにあるからこそ、気づく違和感だったのだろう。

クッソつまんねー!

よっしゃ!
このリズムで唄い踊る機会を増やせば、きっとこの違和感なんてぶっ飛ばせる!

体の奥に眠るこの感覚を思い出しさえすれば。

みんなもっと地球で遊ぼう!!一緒に遊ぼう!!

その時のわたしは使命感すら持って、突き進んでいたんだった。


そうした集いを開く中で、結構な人との出会いがあったもんだ。ひとつひとつ大切な出会いだった。出来事だった。

でももう多くの人の名前も顔も、忘れてしまったな。


そんな日が続き、やがてわたしは自分をそんな立場に貼り付けて

そしてあの時の自分に見つけた違和感をどこかで手放せないまま、意識は使命や役割の方に偏っていった。

わたしという存在価値をそこに見出していたのかも。わたしの存在価値を、誰かの評価に明け渡してしまっていたのだと思う。

頼られたり、解決できたり、喜ばれたり、すごいねって言われたり。

そのうち、背負い込み、疲れ、孤独になり、

あの頃だって、変われない自分を相手に映し出して、認めてもらえない自分を苦しんで、その苦しみの本当の原因を見たくなくて、小さな淀みを隠せないでいた。

大切なものを失いながら、また一方では掛け替えのない体験をしていた頃。

(こうして書いていくと芋づる式に出てくるな。余白を持って思い出し、感じられる。)

でも、もうそれもぜんぶ、ただ愛おしい話だ。


つづく

二〇二三年 一月十五日

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