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インナーチャイルド(寂しがりな小さなあたし)


昨日気付いたあたしの中にいる
"寂しい"で溺れた小さなあたしの存在


~インナーチャイルド(小さいあたし)との対話~
本当は気づいてたあたしは寂しさを抱えてる


"寂しさ"に気付いてしまうと
本体のあたしまで"寂しさ"に溺れてしまいそうで
溺れてしまったら もう戻って来れない気がして怖くて

寂しさに溺れる小さなあたしの存在に
気付かないように振舞っていた。

"インナーチャイルドとは"

自分の内側にいる子供のような素直な感情を持った存在。

引き寄せの法則とか潜在意識とか
思考は現実化する を意識すると

"思ったことや感じたことが実現してしまう"
と、思って

"寂しい"や"悲しい" "辛い"に蓋してしまいがち。
だってそれが現実に起こると辛いもん。

だから"寂しい"に蓋をして"幸せ"を感じようと
務めて意識して努力してた。

けどこれはちゃうんよね。
この状態で居て引き寄せられるのは
"寂しさを受け止めて貰えない更に寂しく感じる現実"なんよね。


感じてる感情そのままが反映されるのが
言わゆる引き寄せの法則のルール。

だから認めることにした、

《あたしは一人でいる寂しさを感じている》
《あたしはパートナーが居ない孤独を感じている》
《あたしは将来に対して不安を感じている》

認めるまではめっちゃ怖いけど
文にして感情を冷静に感じてみると
不思議とそれまであった

"寂しいの中で溺れてる自分"から
"寂しいを感じている自分"を
外から見れるようになる感覚に変化する


まだまだ気を抜くと
"寂しい"の中に入って溺れそうになるけど
「あ、あたしは今寂しさを感じてる」って
客観的にみれると 少し楽になる。


寂しさや孤独を感じてる自分に気付くは怖い
その感情を受け入れてしまうと、
それが現実になってしまいそうで怖いけど

この感情が生まれるのは

《寂しいや孤独を受け入れて認めてくれる"安心できる"現実》

が目の前に現れてくれるんよね。


寂しさも孤独も 誰だって持ってる感情だから
それを"感じてはいけないもの"として蓋するか

"感じるものだから大丈夫"と認めて受け入れるか


この違いはきっと大きいんだろうな、


この半年 蓋をし続けていた
"悲しい" "寂しい" "孤独に感じる"

この感情にまず改めて気付いてあげて
それから「そーやって感じてもええよ」って
認めてあげる。


それが出来て そうしようと思えたR5年5/24の昨日。

そして文に書き留めた5/25の今日。

そして《寂しさや孤独を受け入れてくれて、安心出来る現実》が引き寄せられてくるであろうこれから。


を、リアルタイムストーリーで記録として残していく。



あたしの理想の人生

▶息子二人を養う為の安定した収入を得る
▶息子二人が大学に行きたいとなった時
それを叶えてあげれる収入と貯蓄を得る
▶穏やかで清潔で明るく快適な生活が出来る空間で生活する
▶互いを思い遣り、尊重出来きて"安心"できる人生のパートナーと共に生きる


あたしの人生まだまだこれから

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