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【ショートショート】Nonーtitle

ぽたり、と紙の上に雫が落ちた。
読んでいた本の1ページに、その雫が吸い込まれていく。
 
サキははっと息を飲んだ。
夢中で読んでいたから、自分が泣いていたことに気がつかなかったらしい。
 
「この人、わたしにそっくり……」
 
サキは、手に持った本を一度閉じ、表紙をそっとなでる。
 
その本に題名はない。
無題のそれは、見知らぬ男から押しつけられたものだった。
 
 
その日は、サキは朝から気分が良かった。
なぜなら、今日はサキの21歳の誕生日で、夜は彼氏がアパートまで来て、サキをお祝いしてくれる予定だったからだ。
 
ピーンポーン。
玄関のチャイムが鳴り、サキは勢いよくドアを開けた。
普段なら、のぞき窓から相手を確認する。
だが、今日に限ってそれは必要なかった。
 
時刻は午後6時過ぎ。
来たのは、彼氏であることに間違いないのだから。
 
「……えっと…………?」
 
サキはぽかんと口をあけて固まった。
 
なぜなら、見知らぬ男が玄関に立っていたからだ。
年齢は20代後半から30代始めくらいだろうか。
中肉中背、特にこれといった特徴のない男が、営業スマイルを浮かべてサキを見ている。

(最悪……、訪問販売だったんだ!)
 
サキの心が急速に覚めていく。
 
「あの、わたし、特に何かを買うつもりはないんで……」
 
インターネット回線の開通から、よく分からない健康食品まで、アパートの一人暮らしを尋ねてくる人の目的はただ1つ。その商品を相手に買わせることだ。
 
『ああいう人たちは、最初からそもそも取り合わずに放っておけばいいの』
 
思い出したくない声が、サキの頭に木霊する。
 
(お姉ちゃんに言われなくとも、わたしだって危機管理くらいできるんだから)
 
サキが男に追い打ちをかける言葉をつむごうとしたそのとき。
男は背広の内ポケットから、何やら取り出した。
 
「いや、だから、わたしは何も欲しくな……」
「あなたにこれをお貸しします」
「……は? 貸す?」
 
サキは男の言葉に目を丸くし、彼が差し出した物に視線を向けた。
 
(……本?)
 
茶色い表紙の本には、金色の縁取りがしてある。
だが、なぜか本の題名がどこにもない。
 
いや、装丁が立派なだけのノート、ということも考えられる。
 
(でも、ノートを『貸す』なんて言わないわよね?)
 
サキが反応に困っていると、男は内ポケットから今度は栞を取り出す。
 
「返却期限はこの栞に書いてありますので」
 
そう言うと、男はサキに本を押しつけ、踵を返して去っていった。
 
「…………えっ、あ、ちょっと!!」
 
あまりのことに呆然としていたサキは、我に返って男を捜す。
サキの部屋は2階だから、目の前の通りのどちらかに男の背が見えるはず。
 
「………………いない?」
 
玄関から飛び出し、渡り廊下から通りを何度も見返したが、男の姿はどこにも見当たらなかった。
 
 
 
「気味悪っ」
 
サキは身震いすると、すぐに玄関のカギを閉める。
誕生日なのに、出鼻をくじかれた思いだった。
 
念のためにのぞき窓を覗くが、さらに誰かが来る気配はない。
 
「……ヨウジ、まだかな?」
 
サキがぼやいた矢先に、部屋の方で携帯が鳴った。直ぐさま携帯を確認する。
 
『ごめん。好きな人ができた。別れよう』
 
「……え?」
 
簡潔なメールでの別れ。
あり得ないくらいの急展開にサキは言葉を失った。
 
ヨウジとは上手くいっていたはずだ。
 
彼の好みの黒髪ロングにしたし、彼の言うことは何でもよく聞いた。
興味の無いバンドの曲を覚え、彼の行きたいところにはどこへでもついていっていたのだ。
彼の気持ちが離れる要素はどこにもない。
 
勝ち気で、すぐ何でも口に出てしまうサキにしては、今回は大人しくしていたはずだったのに。
 
サキはその場に崩れ落ちた。
携帯が手からこぼれ落ち、床を回転して何かに当たった。
 
先ほどの男が置いていった謎の本。
その本がサキの日常に我が物顔で居座っていた。
 
(せっかくの誕生日だったのに……。あいつがこの本を押しつけていったから、こんなことになったのよ、きっと!!)
 
悲しみが怒りに変わったサキは、その本を捨てようと手に取ろうとした。
だが、狙いがそれたのか、本の表紙部分だけが持ち上がった。その拍子に、中のページの一文が目に飛び込んでくる。
 
 
『わたしの人生は、姉の監視の中で完結していた。』
 
その1文がサキの心にすっと入り込む。
 
『両親が死んだ後、姉は確かに親代わりとしてわたしを育ててくれた。だが、それがわたしにとっては、重荷以外の何物でもなかったのだ。』
 
その次の文にも目が吸い込まれ、サキは思わず本を自分に引き寄せる。
なぜなら、本の内容がサキにも覚えがあるものだったから。
 
 
 
サキが13歳のとき、両親が交通事故で亡くなった。
9歳上の姉ユキノは当時22歳。社会人1年目で、新生活を始めたばかり。
 
父方の叔母がサキを引き取ると申し出てくれたが、ユキノはサキは自分が育てるとその提案を突っぱねた。
 
結局、ユキノが実家に戻り、サキと一緒に暮らすことになった。
 
ユキノは面倒見が良い上に、仕事もできる。家事も仕事もテキパキとこなし、サキの勉強すらも見てくれた。ゆるゆるとウェーブかかった茶髪のボブに垂れ目のユキノは文句なく美人。
友だちからも、ご近所からもうらやましがられる年の離れた姉を、しかしながら、サキは大好きで大嫌いだった。
 
勝ち気さが前面に出た釣り目のサキは、周囲と衝突することも多く、その度にユキノが仲裁に入っていた。容姿も普通で、勉強もそこそこ。『お姉さんはよくできる人なのに、妹さんは……ねぇ?』と、影でこそこそ言われていたこともあり、サキはユキノにコンプレックスと抱いていた。
 
『もう少し、優しい言い方をしたら? そうしないと、サキの言いたいことが相手に伝わる前に、喧嘩になっちゃうでしょ?』
 
ユキノはサキが何かをやらかす度に、やんわりと諭した。それがサキのコンプレックスにさらなる追い打ちをかけるとは知らずに。
 
サキが18歳になったとき、大学を薦めるユキノと、就職を押し切ろうとするサキで大げんかになった。両者一歩も引かず、家にいる間は、ずっと言い合いをしていた記憶がある。
 
結局、ユキノに内緒で隣県にある会社の内定を取りつけたサキは、卒業式と同時に実家を出たのだった。
 
それ以降、ユキノとは連絡を取っていない。元気にしているのか。それどころか、今何をしているのかもサキには知る由もなかった。
 
 
 
サキが見知らぬ男から押しつけられた本には、サキとまったく同じ境遇の女性が主人公の小説が綴られていた。
ページをめくる度、主人公の気持ちが痛いほど分かり、その度にサキは涙ぐんだ。
 
良くできた姉と比較される妹。
 
よくある話かもしれないが、当の本人にとっては死活問題なのだ。他人にとやかく言われる筋合いはない。
 
 
 
サキは本を半分まで読み終わった。
気がつけば誕生日はとっくに過ぎていた。日付が変わった窓の外は、しんと静まりかえっていた。
 
 
 
もともと本を読む習慣のないサキは、誕生日の日から本の続きを読めないでいた。
 
失恋の痛手を埋めるように、営業の仕事に力を入れていたからだ。
 
ちょうど、二週間の返却期限がもうすぐ迫ってくる。だが、読む時間がないのは事実。
 
(ま、いいや。泣いたらすっきりしたし。続きが気になるけど、あの男に延滞料金とか取られても困るし)
 
そもそも、あの男が本の貸し出し料をとるのか。また、どのような返却方法を望むのかも不明だ。
 
サキは営業先から直帰するために駅方面へと足を進めた。
 
すると、目がある一点から離れられなくなった。
 
ゆるゆるとウェーブかかった茶髪のボブに垂れ目の美人。3年前から変わらないその容姿を持つ姉らしき人が、道行く人を引き留めて何かを尋ねていた。
 
サキは反射的に踵を返し、来た道を引き返していた。
 
どくん、どくん、と。
心臓の音が、まるで後から迫ってくるかのように、大きくサキの全身を駆け抜けていった。
 
 
 
気がつけば、サキはアパートに帰ってきていたらしい。
どこをどういう風に帰ってきたのか。営業先はアパートの最寄りの駅から2駅離れていたから、タクシーでも使って帰ってきたのだろうか。
 
自分のことなのに、他人のことのように感じる。
 
張り詰めていた緊張を解くかのように、サキは部屋にぺたりと座り込んだ。
自然とうつむいたサキの目に、この2週間で見慣れた、茶色い装丁の本が目に入る。
 
あの主人公は、実家を飛び出してからどうしたのだろうか?
 
知りたい欲求が勝ったサキは、本に手をかけた。
 
『わたしは何を間違えたのだろうか。妹には、わたしができる最大限の愛情を注いできたつもりだった。けれど、彼女はわたしの前からいなくなってしまった』
 
「え? あれ? 本の内容が変わってる?」
 
サキが開いたのは本の最初のページ。冒頭では、サキと同じ境遇の女性が自分の姉からの重圧を独白した1文で始まっていたはず。
 
サキが本の表紙を確認するが、2週間前に読んだ本で間違いない。
その続きも、以前読んだ内容ではなかった。ただ妙に聞いたことのある内容を主人公の女性が話し続けているのだ。
 
『わたしは両親に大学へ行かせてもらった。けれど、両親がいなくなったからといって、妹から学ぶ機会を奪っていいのだろうか? たとえ両親がいなかったとしても、両親がいる子と同じ環境を妹に与えたかった……。』
 
 
「それで自分が無理したら、意味ないんじゃないの?」
 
 
この主人公の女性は姉のユキノではない。
例のごとく、本にはタイトルがなく、主人公の女性の名前も小説の中にはまったく出てこない。
 
けれど、姉とは無関係だと思いたいのに、姉とまったく同じ状況の主人公の女性。その女性に姉の影を見てしまうのは、仕方がないことではないだろうか?
 
サキはその後、一気にその本を読み終えた。
 
結局、その女性の妹が実家から家出をした後、その女性は妹を探し続けていた。
仕事をしながら、人伝に情報を聞き、休日ごとに妹を捜し回る。結婚間近の恋人とはそのために別れたという。
 
「…………お姉ちゃんは彼氏と別れてないよ……ね?」
 
サキのそのつぶやきだけが、がらんとしたアパートの部屋に転がって消えた。
 
 
 
「サキ! やっと見つけた!!」
 
その声に、サキは身体を強ばらせた。
振りかえると、黒髪ショートの中年女性が少しだけ恐い顔をして、こちらを見ていた。
 
「……おばさん」
 
息を飲むサキを余所に、父方の叔母が大股でこちらに近づいてきた。
 
「もう、ユキちゃんがどれだけ心配してたか……。あんた、せめてあたしにだけは連絡寄こしなさいよね!」
 
逃がすまいとつかまれた腕が、いろんな意味で痛い。
 
(おばさんに言うと、アパートへ絶対お節介しに乗り込んできそうだったし。……お姉ちゃんから逃れたのに、別の監視がつくなんて嫌だったからなぁ)
 
父方の叔母は良い人だ。ただ、ちょっと、いやかなりお節介な人で、そのうえ、はっきり物を言う分、ずけずけと人様の事情に乗り込んでくる。ありがた迷惑、と言う言葉を頭に刻んでほしい。
 
「ここじゃなんだから、近くのカフェに入ってでも、今までの話を聞かせてもらうわよ?」
「いや、わたし、用事があるから今日はこれで……」
「逃げようったってそうは行かないわよ? あたしの伝を総動員して、職場やアパートまで抑えたんだから、観念しなさい」
 
(観念って。わたし、罪を犯した逃亡者じゃないんだけど?)
 
迫力の欠ける垂れ目でにらんでくる叔母に、サキは白旗を上げた。ここまで乗り込んでくるときの叔母は絶対後には引かない。
 
仕方なく、観念して叔母をアパートへと誘う。
サキの部屋をじろじろと見た叔母は、少しだけ息をついた。
 
「ちゃんと生活できてるみたいで良かったわ」
「わたしだって、そのくらいの能力はあるよ。……そりゃ、お姉ちゃんみたいにバリバリ働いて、上に行くような向上心はないけどさ」
 
知らずにすねた口調になったサキに、叔母はあきれ顔になった。
 
「そのひがみ根性は健在ね。ユキちゃんにはユキちゃんの、サキにはサキの良いところがちゃんとあるわよ。比べても仕方ないでしょうに」
「……でも」
「はいはい。そんなことより、あたし喉が渇いたわ。ここのカフェはお茶すら出ないのかしら?」
「うちはカフェじゃないんだけ……」
「……」
「……今、出そうと思ってたところよ」
 
叔母は、サキの部屋で勝手に寛ぎ始めた。
サキはそれを見てため息をつく。叔母のこの図々しい性格は今に始まったことではない。
 
(まぁ、その分だけ何でも言いやすいし、わたしの物言いに激怒することもないからやりやすいのもあるけどね)
 
お茶をテーブルの上に置くと、叔母は自分の鞄からお菓子をどんどんと取り出していく。どこに隠し持っていたのかと思うくらいの量だ。
 
「いやぁ、もうさぁ? あんたが急に家出してから、そりゃあ大変だったんだから。ここを突き止めるのも何年もかかっちゃってねぇ。最初は東京か大阪にでも出て行ったかと思ったけど、まさかこんなに近くとは……」
「いいでしょ? 就職決まったの、隣の県だったんだから」
 
都会に出る勇気が無かったことはあえて言わないでおこう。サキは心に決めた。
 
「それにしても、これでユキちゃんもようやく自分のことを考えられるわね」
「……?」
「あ」
「…………何?」
 
叔母がまずい、という顔をしたのをサキは見逃さなかった。
睨みをきかせていると、叔母がぽつりぽつりと話し出した。
 
サキがいなくなった後。
 
ユキノはサキを探し、一時ノイローゼ気味になったらしい。付き合っていた恋人ともそれを機にわかれたそうだ。結婚を控えていたはずなのに、その話も勿論消え失せた。
 
あまりに衰弱するユキノを見ていられなくて、しばらく叔母がサキたちの実家で過ごしたこともあったらしい。
 
今は元気を取り戻し、サキに謝りたい一心で探し続けていたそうだ。
 
そこに、叔母の知人がサキを隣県のとある会社で見たという情報を聞きつけ、さっそくこうして叔母自らが探しにきたという訳らしい。ユキノは今日は会社があるらしく、叔母の捜索結果を待っているところだという。
 
「お姉ちゃん、別れちゃったんだ。あの彼氏と」
 
サキとしては、あまり好きではない男だったが、姉が幸せになるならと目をつむった過去を思い出す。
その男と別れた理由を思うにつけ、その気まずさにうつむくサキを見た叔母は、励ますように口を開いた。
 
「良かったのよ、別れて。あいつ、別の子と浮気してたってことが後で分かったのよ。だから、サキのことがあってむしろ助かったと思うわよ、あたしはね」
「……でも、結婚式の日取りとか、案内状とか用意して……」
 
『もしかして、わたしの結婚が妹を追い詰めたのだろうか? たとえ結婚したとしても、妹を大切に思っている気持ちに変わりはないのに。』
 
本で読んだ女性の言葉がぱっとサキの頭に浮かんでくる。
 
「結婚したとき、わたしがいたら邪魔かなって思って……、だから」
 
思わず漏れ出たサキの本音に、叔母は口元をゆるめる。
 
「そんなことだろうと思ったわよ。ユキノもサキも、お互いに反発しあいながらでも、芯のところは大切に思い合ってる。あたしにはそれが分かってたから、絶対このままじゃいけないって思ってたのよね」
 
そして、サキの肩をぽんと叩いた。
 
大学は実家から通える地元の大学しか受からなかった。
だが、それだと新婚の姉たちの邪魔になる。そのことが、サキの心に引っかかったのだ。
 
今まで、経済面でも、生活面でも苦労をかけてきた姉の、これ以上重荷になりたくはなかった。それが、サキが家を出た、本当の理由だった。姉の監視が嫌だった、というのは表向きの理由だ。
 
その後、叔母と話をした後、彼女は帰っていった。姉のユキノにサキの無事を知らせるつもりらしい。
 
サキは今までにぎやかだった部屋を見渡す。
叔母が去っただけで、アパートの部屋が随分寂しく感じられた。
 
姉と実家で過ごしていた頃は、喧嘩も多かった。
 
だが、寂しいと思ったことはまったく無かった。
 
口うるさいことを言っても、姉はどこまでもサキに優しかった。どんなに反抗的な態度を取っても、決して見捨てることはない。その見えない信頼感が、サキから寂しいという気持ちを取り除いてくれていたのかもしれない。
 
それに気がついた。
 
「……お姉ちゃんの馬鹿」
 
サキはぽつりとつぶやいて、目を閉じた。
するとそのとき、ぱさり、と紙がめくれる音がした。
 
「あ、返却期限!」
 
随分前に返却期限が過ぎた本のことを思い出す。テーブルの上には、いつの間にかあの本が置かれていた。
 
最初のページが開かれたままになっている。
 
「えっと、あれ? わたし、テーブルに置いたかな?」
 
 
少し怖さを覚えながら、サキは本に近づく。
 
『二人の姉妹は生まれたときから仲良しだった。それが特に分かるのは、両親が交通事故で急に他界した頃からだろう。当時、妹が13歳、姉は22歳。この二人は両親が他界後は喧嘩しながらも、寄り添いながら暮らしていた。』
 
 
「……また内容が変わってる」
 
 
本の装丁も同じだから、本自体は同じもの。だが、内容がまったく違っている。いや、もしかして、これは……。
 
「これ、同じ人たちのことを違う視点で書いてあるだけじゃない?」
 
しかも、どう考えてもこの姉妹は……。
 
本に挟まれた栞がすっと本のページの隙間から伸びてきた。
返却期限は明日の日付に書き換わっている。
 
「……明日までに読めってこと?」
 
栞は何も答えない。
けれど、サキはそのまま本を手に取り読み始めた。
きっと、自分が見落としていた何かがそこには書いてある。そんな気がしたから。
 
 
 
「月に一回でもいいわ。元気にしてるかどうかを確認したいから、顔を見せに実家に帰ってきて」
 
3年ぶりに会った姉ユキノは変わらず美人。だが、少しだけ疲れた様子なのが気にかかった。
 
「分かった。……けど、わたしも条件出していい?」
「……何?」
 
ユキノが小首を傾げる。彼女の垂れ目が困惑したようにサキを見ていた。
 
 
「わたしのことよりも、お姉ちゃんはお姉ちゃんのことを第一に考えること。それができないんだったら、月一で実家には帰らない」
「何よ、それ。ちゃんと考えてるわよ」
「考えてないよ。考えてないから、目の下に隈ができても気にならないんじゃ無いの?」
 
サキが指摘すると、ユキノは鞄から手鏡を取り出す。
そして、決まり悪そうに唇を噛んだ。
 
ユキノはいつもそうだ。サキのことを第一に考えてくれる。
 
けれど、ユキノの幸せは誰が考えるのだろうか?
 
大嫌いで大好きな姉の幸せを、姉自身に一番考えてほしい。それを伝えることが大切なのだと、あの本が教えてくれた。
 
「わたし、お姉ちゃんの重荷になるのが嫌だったの。美人で仕事のできるかっこいいお姉ちゃんが自慢だからこそ、わたしがその足をひっぱりたくなかったんだ」
「……サキ。そんなこと考えてたの?」
「でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんで事情があったんだね?」
「……うん?」
 
ユキノは何を言われているのか分からないと言った風に、さらに首を傾げた。
 
『両親を早くに亡くした姉は、妹までいなくなってしまうのではないかという不安に常に脅かされていた。それが恐くて、彼女を手に届く範囲に置いておきたかった。それが過保護や過干渉に繋がったことを、妹の家出で彼女は思い知らされることになったのだ。』
 
 
昨日読んだ本の内容が、サキの頭に浮かんでは消えていく。
 
 
「だから、約束!」
 
サキは小指を差し出した。
 
「自分を大切にすること!」
「……分かった。あ、サキも自分のことを……」
「大切にします! そして、大切にしてくれる彼氏も見つける!!」
「……あ、さては最近別れたんでしょう?」
「…………はぁ、そうなんだよねぇ」
「サキ、けっこう物言いがきついから」
「う、うるさいな! この前はちゃんとそこは気をつけてたの!」
「はいはい」
 
姉妹は顔を見合わせ、そして弾けるように笑い出した。
 
その瞬間、サキのアパートのテーブルから、茶色い装丁の本がすっと空間に溶けて消えた。
 
 
 
『仲直りのできた姉妹は、3年間の空白を埋めるように笑い合ったのだった。』
 
男は本の最後の部分を読み終わると、戻ってきた茶色の装丁の本を閉じた。
そして、一面に本棚のある部屋の一角に、その本を収める。
 
その背表紙には
 
『サキとユキノの物語』
 
と金色の文字で刻まれている。
 
「人生は一冊の本。どういう見方をして生きるかは、本人の選択次第。さてさて、あなたたちは今後、どういった見方で生きていくのでしょうね」
 
男はにやりと笑った。
 
「まぁ、わたしの役目は誰かに本を届ける。ただ、それだけなんですけどね」
 
男がその部屋を出て行くとき、部屋の窓の止まり木に止まっていたオウムが不思議そうに顔を傾げた。


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ジャン・パウル(ドイツの作家)
『人生は一冊の書物によく似ている。愚かな者はそれをパラパラとめくっているが、賢い者はそれを念入りに読む。なぜなら彼は、ただ一度しかそれを読めないことを、知っているからだ。』

上の名言を本で読んだとき、
唐突に物語を思いついたのですが、

何だか、
思いついただけでそのままになって今に至ります。

せっかく思いついたのだから、
とりあえず形にしておこう、と思いたち、
このような【ショートショート】にしてみました。

長い文章を書くのはそこまで得意ではないのに、
小説を書くとなぜか長編になってしまう不思議。

今回は短くできた方かな、と思います。

休憩がてらに読んでもらえたら嬉しいです^ ^

ではでは。

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