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直す人にとっての、心の養生

これは、金継ぎや漆芸をする側からの見方になるのですが、本当に、心の養生であり、修行・
修養であり、冒険の旅でもあるな、と、日々思います。
 
「直す」という行為は、とても心地のいいものです。
過程の大変さとは別に、壊れて、存在意義を失ったものを、自分の手で直し、また命を吹き込む、
というのは、直し手にとっても、心の養生となります。
 
さらに、「漆で」なおす、と、そこに、ままならない相手、のようなものが現れます。
 
漆は、合成のペンキや、安定した絵具とはちがって、本当に気ままで、わがままで、ままなりません。
その日の気候、漆の状態、何ミクロンかの塗りの違い、道具の状態、ちょっとした手順やタイミング、
すべてが出来に作用し、手を尽くしてもなにかひとつでも準備を怠ると、全部が水の泡になります。
漆のために、信じられないほどの手間をかけたり、何時間、何日間も様子を見ながら作業を進めたり、
見方によっては、ひどい振り回されようです。
 
漆で直すためには、漆という、ままならない素材の声をよくよく聞き、それが一番美しさを発揮できる条件を整え、観察し、それによってまた条件を調整し、を、日々、続けなくてはいけません。
それがうまくいって、漆が力を存分に発揮してくれたとき、心を打つような美しい結果が現れます。
 
でも、ミクロの世界で漆の酵素が行う魔法ですので、結局、人間には、よく観察し、条件を整える、しか、できることはないのです。
酵素(タンパク質)、と酵母(カビ類の一種)の違いはありますが、さながら微生物を使った発酵とも
似ており、また、天候や土壌と作物を扱う、自然や農業とも似たところがあるように感じます。
 
まるで命を持った相手と駆け引きをするような、スリルや手ごたえがあり、それらと関わりながら
生み出していく、という行為は、人間にとって本当におもしろい冒険であり、修養だなぁと思います。

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