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大切にする

漆を使って器を修繕すると、とても手間(=労力)+ひま(=時間)がかかります。
「最先端の技術で、魔法みたいに、一瞬で器をなおすことができたらいいのに」と、早ければ早いほど、より価値がある、とされるのが、現代社会の常識です。
 
でも、そんな世界に生きていながらも、人間は、ずっと昔から、人間です。
手間やひまをかける、ということは、合理性とは別の、何かに対して、「大切にする」という行為そのものだと感じます。
 
たとえば、「聖地」と呼ばれるところに身を置くと、その場所が、長い年月にわたって、人々に「大切にされ」てきたということが、無言で伝わってきます。
 
石造りの教会の静謐な暗がりへ、高い天井のステンドグラスから光がこぼれるのを見た時。
日に何度も欠かさず祈りをささげる、数学的な幾何学曲線美がちりばめられた大きなモスクで、人々がずっと体を預けてきた、赤いチューリップ柄の絨毯のどこまでも続くのに触れたとき。
日々のお勤めで拭き清められ、色味が深まったお寺の板敷の光沢を、足の裏で感じたとき。
どれも、私は、とてもうつくしい、と感じました。
 
人が「大切にする」という行為は、モノの物質的な状態にとどまらず、「ケアする」「守る」という、なにか「祈り」や「気持ち」のような、形には現れないうつくしさも、はらんでいる気がします。
 
漆で、手間ひまをかけ、器に対して、またはお客様の悲しい気持ちに対して「大切にする」をする。
目に見えない部分も含めて、気持ちの中でも、うつくしさを感じてもらえる修繕をしたい。
 
日々、たくさんの修繕に追われる中でも、忘れないようにしたいと思っていることです。

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