見出し画像

自分も他人も救う魔法の言葉「なんもだよ」

WAKKA NEWS LETTER 2024.3

「なんも」という北海道弁が好きだ。「大丈夫だよ」「問題ないよ」「気にしなくていいよ」的なニュアンスの言葉で、北海道の人のおおさらかさをとてもよく表していると思う。

2018年に発生した胆振東部地震の影響で北海道全体が停電してブラックアウトしたとき、近所からBBQの肉を焼く匂いが漂ってきたことをよく覚えている。緊急時にBBQする行為を能天気に思われるかもしれないけど、道民は日常的にBBQをするし、冷凍庫にストックしている肉が停電でダメになるぐらいなら火を起こして食べてしまったほうがいい、という「なんも、別にいいしょや」的な発想が道民らしくて好きだ。

東京で東日本大震災を経験したときは、電車がストップした影響で帰宅困難者が道に溢れかえり、コンビニから食糧が消えた。地震自体の恐怖よりも、カオスな状況に置かれたときの「群衆」が一番怖かった。

道外の人と話をしていると、北海道はあまり商売っけがなくて、資源の豊富さに胡座をかいてる、と言われたりもする。だけど、北海道で暮らしていると、人の力の及ぶ範囲なんて小さい、ということをいつも思い知らされる。吹雪でホワイトアウトしたときは死の恐怖を感じるし、すぐ目の前にある流氷にひょいと飛び乗ってしまったら、流されて帰ってこれないかもしれない。数m先の藪の中に熊がひそんでいるかもしれない。電波の届かない山奥でもしガス欠してしまったら、急に飛び出してきた鹿と車が衝突したら…。

こういう厳しい自然がある土地で、みんなが助け合わないと生きていけない。だからこそ、「なんもだよ」と声を掛け合う精神が育まれたのかな、と思った。自然は豊かさだけじゃなく脅威ももたらす。いろいろ厳しいこともあるけど、そんな中でも助け合って、受け入れあって、寛容になって、楽しく暮らそうよ、というのが北海道なんだな、と。

なんでも望めば、お金を払えば手に入ってしまう東京という土地を、東日本大震災がきっかけで卒業したいと思って北海道に戻ってきた。このまま豊かさに寄りかかって生きていたら自分がだめになる。スゴイ人がたくさん居て、自由でなんでもあって、どこまでも突き抜けられる最高の場所だったけど、東京も会社も手放して、後ろ盾がなくなって「自分」として生きるようになってから、本当に大事なものがなにか気づいたし、執着を手放したからこそ、手に入れられたものがあった。自分が何者になれなくても受け入れてくれる家族、信頼できる仲間、安心できる居場所。「なんもだよ」と言い合える関係性を育める北海道という場所が大好きだ。

自分よりできるデザイナーはたくさんいるし、私の存在意義ってなんだろう、と思うときもあるけど、「今この瞬間にここに居る」ということが最大の価値だと気付いてからは、健やかにデザインと向き合えるようになった。人にはそれぞれ役割がある。自分の役割を見つけて、それを全うしよう、と思う。

このnoteを書くために考えたことをメモしているnotionの今月の下書きは7800文字だった。けど、今月はうまく書けなくて短くなってしまった。
なんも、そういうときもあるよね。

【今月のお仕事進捗】

  • 観光パンフレット(28P冊子)下版

  • 街歩きマップ(A3両面)下版

  • 店舗ロゴデザイン提案&確定

  • 新聞広告作成

  • ロゴのブランドガイドライン作成

  • ノベルティデザイン&下版

  • 北九州小倉の案件スタート&イラストレーターさんと打ち合わせ

【今月の困りごと】

  • Apple Watchを購入→ペアリングするためにはiPhoneにiOS最新版を入れなければいけない→ソフトウェアアップデートをしようとするとエラーになる→Apple Watchの設定ができず文鎮化している

  • 引越しの準備が進まない(4/25に札幌から釧路へ引越し予定)

【今月の表紙】
カフェで数時間作業していたら、3月なのに吹雪いて雪下ろしをするはめになった愛車・プロ子の写真

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

今月の振り返り

もし少しでも琴線に触れたらスキをしていただけたら嬉しいです。励みになります。