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僕は孤独と向き合ってきた。

 僕は自分なりに孤独と向き合ってきた。陽キャ・リア充にもなれず、かといって陰キャ連中にもうまく馴染めずサブカルにもなれなかった僕は、周りには人がいたのかもしれないが、孤独を抱えていた。

 孤独と聞いて皆さんはどんな情景を思い浮かべるだろうか。確かに、日本社会は以前と比べると孤独に寛容になったように思う。「孤独のグルメ」と題した、おっさんが一人で昼食を取るだけのドラマが世間の耳目を集めたり、孤独とは少し違うのかもしれないが独身を貫く人に「結婚したら?」などと言うことは今やハラスメントとされている。

 しかし、孤独は社会において問題も生んでいる。老人の孤独死が近年社会問題となっていることは言うまでもない。更に、京都アニメーション放火事件の容疑者は、『治療に携わった医療スタッフに対して「人からこんなに優しくしてもらったことは、今までなかった」と感謝の言葉を伝えた』という。(京都新聞・2019年11月15日『京アニ事件容疑者「こんなに優しくされたことなかった」 医療スタッフに感謝、転院前の病院で』https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/74638)容疑者は『小説をパクられた』ことが事件の動機であると供述していたというが、孤独であり社会に居場所がなかったことも事件を起こす上での動機に繋がったのかもしれない。

 また、孤独は人を騙されやすくもすると思う。周りに比較対象となるような人物がおらず、自分を相対化しづらくなるため、自分が騙されていることを認識しづらくするのだ。またこれにネットが加わると、ネットのエコーチェンバー・フィルターバブルが騙されやすさに拍車をかけ、孤独な人はどんどん極端な考え方になっていくことも考えられる。大きく取り上げられてはいないが、2020年7月の東京都知事選に「集団ストーカー問題に取り組む」という候補が出馬した。集団ストーカーとは、心を病んでいる人が抱きがちな誇大妄想の一つであり、周りに全うな人がいれば「そんなの馬鹿らしい」と一笑に付されるほどの荒唐無稽な概念である。ただ、この候補は2,708票得票しており(朝日新聞都知事選特設サイト URL:https://www.asahi.com/sp/senkyo/tochijisen/2020/kaihyo/)、「集団ストーカー対策」なる政策が一定の支持を受けたと言えそうだ。また、退職後に何もすることがなくなった高齢者がネットに触れて、ネットにあふれるネット右翼特有の歴史修正主義(従軍慰安婦強制連行や南京事件の否定)、反中韓、反リベラルの思想に触れた老人たちが、ネット右翼化しているということも往々にして聞く(典型的な例としてデイリー新潮・2019年7月25日『亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか』URL:https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07251101/?all=1)。この現象も孤独に関連したものだと言えるかもしれない。

 孤独の問題は海外でも大きく取り上げられている。特にイギリスでは、2016年6月に殺害された労働党のジョー・コックス議員が孤独の問題に取り組んでおり、2018年には英政府が「孤独担当大臣」というポストを新設した。(BBCニュース・2018年1月18日『英政府、「孤独担当大臣」新設 殺害された議員の仕事継続』https://www.google.com/amp/s/www.bbc.com/japanese/42728308.amp)

 さて、僕自身は孤独にどう立ち向かってきたのだろうか。答えは簡単であり、明確だった。何かまっとうなものに打ち込み、熱中することである。僕は(自分なりに)勉強に打ち込み、(あまりアクティブなものではないが)趣味に打ち込んできた。絵を描いたり、4コマ漫画を描いたり、世界遺産や恐竜、動物について自分なりに知識を深めてきた。(今は閉鎖されている「世界遺産資料館」という世界遺産のコアな情報を扱ったサイトに入り浸っていたのが今も懐かしい。)つまり、「オタク」になるということが孤独に立ち向かうというとまでは言わないが、孤独を埋め合わせることはできるのではないだろうかということだ。ただ、何にでも丸腰で興味を抱き近づくことも考えものだ。オウム真理教を始めとしたカルト教団の勧誘は街に溢れているし、名大生で殺人を犯したある少女は、殺人犯に興味を抱き続けた言うなれば「殺人犯オタク」だったという。『凶悪犯罪にただならぬ興味を持ち、1997年に神戸で連続殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗や、2008年に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤智大を尊敬し、酒鬼薔薇に至っては、雑誌に掲載された顔写真を持ち歩いていた』し、(TOCANA・2015年10月14日『変わり者キャラ、動物虐待、人体実験...名大理学部女子学生が殺人に至るまでの真相』URL:https://www.google.com/amp/s/www.excite.co.jp/news/article-amp/Tocana_201510_post_7502/)『女子学生のものとみられる短文投稿サイト「ツイッター」には昨年(著者注:2014年)12月、「酒鬼薔薇君もタリウム少女も大好きですよ」などと書き込みがあった』という。(産経ニュース・2015年5月20日『タリウム事件に興味か 名大生 高1少女の殺人未遂』URL:https://www.sankei.com/smp/affairs/news/150520/afr1505200002-s.html)まっとうなもの、犯罪との距離があるものに興味を持つことが必要なのだと思う。

 また僕は、小学校、中学校、高校、大学時代に色んな人と話すようにした。多様な趣味や興味関心を持った者からは色んなことを学ぶことができる。他者に触れるということは自分が傷つき、また他者を不用意に傷つける恐れも孕んだものではあるが、痛みなくして得るものなど取るに足らないものなのである。若い人はどんどん他者に触れ、ヤバそうだ、まずいと思ったら縁を切ったり距離をとったりすればいいのだ。高齢者も他者にどんどん触れればいい。今はネットもある。先述したように、ネットに触れるとネトウヨ(ネット右翼)や、ともするとパヨク(ネット左翼)になる恐れもあるが、注意深く情報の取捨選択をして使えば便利なものである。町の文化セミナーのような、新たな出会いの場になりうる場も数多ある。そういった場を積極的に活用すれば、孤独感を和らげることはできるのではないかと思う。


 このように、孤独との付き合い方は容易ではない。アニメやマンガ、鉄道など、いわゆる「サブカルチャー」に分類されるような、一定のファン層のいる分野のオタクになれば、幾分楽なのだと思う。僕の挙げたやり方でなくても、皆さんは皆さんで自分なりの孤独への向き合い方を見つけて、実践を続けることが重要なのではないかと自分なりには思う。それぞれの方法で、孤独に向き合っていこう。


 


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