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旅の話:ワルハラ神殿(南ドイツ)

6月某日、南ドイツ、レーゲンスブルク郊外のワルハラ神殿に行きました。

バイエルン州作成のパンフレット。


ワルハラ神殿はバイエルン王ルートヴィヒ1世(在位1825年〜1848年)がまだ皇太子だった1807年構想し、建築家のレオ・フォン・クレンツェが建設しました。

ルートヴィヒ1世はルートヴィヒ2世の祖父です。
ルートヴィヒ2世はノイシュヴァンシュタイン城などを建設し、作曲家リヒャルト・ワーグナーの大スポンサーだった『メルヘン王』です。

完成は1842年10月18日。

神殿の裏山から登りました。
神殿全体の模型がありました。
神殿に架けられた橋は車椅子用。


神殿の模型を前から見たところ


神殿を後方から見たところ


木の向こうに神殿が見えます。
右側に見えるのはドナウ川


神殿から見たドナウ川


内部に入ったところ。
『1807年1月に建設決定』とあります。
正面奥に鎮座するのはルートヴィヒ1世の像。


バイエルン王ルートヴィヒ1世の像

ここにはドイツの歴史に残る著名人の胸像131と銘板65が収められています。
と言っても、「ドイツ語を話す」というのがまず基本で、出身はドイツに限りません。
例えばオーストリアのマリア・テレジア女帝もあります。
女性は13人。

堂内に入って右側、まず目を引いたのがゾフィー・ショルでした。
ショルはナチスに抵抗したミュンヘン大学の学生たち『白バラ』の代表で、ナチスによって死刑に処されました。

ゾフィー・ショルはナチス抵抗運動の代表として2003年におさめられました。


ブルックナーの胸像は1937年6月6日、ブルックナーを愛するヒトラーがおさめました。


ハインリヒ・ハイネはこのワルハラ神殿を嘲笑しました。
ルターがここに入っていなかったことも嘲笑の理由とされています。
2010年7月28日、ハイネも殿堂入りしました。


ワルハラ神殿を下から見たところです。
2015年、ルール・トリエンナーレで、テオドール・クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナによるワーグナー《ラインの黄金》のセミ・ステージ形式上演を観ました。演出はヨハン・ジーモンス。
オーケストラの前には川状の美術、後方には階段を備えた美術だったのですが、
その時にこのワルハラの階段を思いました。

ワルハラは元々北欧神話に基づいています。
ワーグナー《ニーベルンゲンの指環》の『序夜』《ラインの黄金》の最終場は、神々がワルハラに入っていく『ワルハラ入城』です。

同じく《ニーベルンゲンの指環》の『第一夜』《ワルキューレ》の第3幕の冒頭『ワルキューレの騎行』は《地獄の黙示録》など映画にも使われ、とても有名です。ここに登場するワルキューレたち(日本語では戦乙女と訳されています)の役目は、戦争で死んだ英雄たちをワルハラに連れていくことです。これは北欧神話に基づいています。

ワルハラ神殿の端に腰掛ける「現代のワルキューレ」(?)。
ワルキューレはヒマな方がいい。
誰も戦争で命を落としませんように。


FOTO:©️Kishi

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