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夢はかなわなかったけれど①〜小さな体で大きな夢(?)をかなえた話〜

こんばんは。
ちっちょ@OIです。

突然ですが、私は今年の2月に40歳になりました。

自己紹介にも書きましたが、私は「骨形成不全症」と言う難病のため骨が発達せず、身長100cmもありません。

今でこそ「見た目は子供、頭脳は大人!」という、どっかの名探偵が言ってるような言葉をネタとして拝借し(人はそれをパクリと言う)言えるようにはなりましたが、そんな私にも見た目通りの子供時代がございました。


子どもの頃には夢がありました

私は子供の頃から、負けず嫌いで、好奇心旺盛な女の子でした。

「ミーハー」とは言わないでください(笑)

当時、私には2つの夢がありました。

夢その① 漫画家

漫画家には少し憧れを持ち、家にある大きなカレンダーの裏紙を程よいサイズに切ってもらっては、お絵描きをしてよく遊んでいました。

夏の大三角をモチーフとした漫画を描いてみようと物語を構想しようと思いましたが、比較的すぐに挫折しました(笑)

お母さんに漫画を描く道具を買ってもらったりした事もありましたが、すぐに使わなくなってしまいました。

夢その② 声優

声優さんにも憧れました。
ガッツリ憧れました(笑)

最近テレビドラマにも時々ご出演されている、声優の三石琴乃さん。

アイドル声優全盛期、ローカル放送で「部活しよッ!」というラジオ番組を聴いて、彼女の親しみやすいキャラクターや芯のあるコメントに憧れを抱きました。

山寺宏一さんと二人で司会をされていた伝説的(?)テレビ番組「声❤遊倶楽部」という番組も全て観ていました。

放送期間は1995年10月5日から1996年3月28日まで・・・もう30年弱も前の話なんですね。

声優さんが歌ってる楽曲やアニソンなどのCDを買ってはヘビロテしたり、土日の夜には齧り付くようにアニラジを聴いたりしました。


当時、好きだったことをただただ純粋に追い求めていた自分のことは、本当に好きでした。

今でもあの頃の自分のことを「好き」と、誇りを持って言える気がします。


私は、声の大きさ(笑)と、特徴的な声質には少し自信がありました。

また、声優さんへの憧れが先かどうかはハッキリ覚えていませんが「お芝居」も大好きでした。

養護学校時代、私のテンションのピークが来るのは2年に1度の「学習発表会」の演劇の日だったと思います(笑)

将来、声優さんになれたらな・・・と、思うこともありました。

だけど、私は子供の頃から物事を現実的に考える癖があり、声優さんになるには?と考えると、色々な壁にブチ当たりました。

  • 活動は東京?どうやって暮らす?

  • 台本って、紙の本でしょ?私、本を持ちながらモニターを見て喋るなんて出来ないよ💦

  • そもそもあのマイクスタンド、車椅子の高さまで下げてくれたりするの?

  • てゆーかマイクスタンド以前に収録スタジオってバリアフリー?

  • ただでさえ声優さんって健常者の人達の中でも狭き門なのに、私もっと無理じゃね?

記憶は定かではありませんが、母親にも「声優さんになるのは無理だよ」と言われていたようにも思います。

私の思考回路は、現実的なビジョンが描けない事となるとすぐさまその道に進むことを止めます。

有り体に言えば「障害を言い訳に、自分の夢をあきらめた」という話です。

夢はかなわなかったけれど

散々「夢」というワードを使ってはいますが、漫画家になりたいという気持ちも、声優さんになりたいという気持ちも、大した「夢」ではなかったのかも知れません。

本当になりたいと思っていたならば、もっと努力すべき事もあったはずと、今となっては思います。


だがしかし。


私がいま生きているこの「世界線」は、ちょっと夢のような世界線に立っている。

心底、そんな風に思っています。

次回は、なぜそう思うか?という部分についてお話をします。


今日も読んで頂き、ありがとうございました。

明日もどうぞよろしくお願いします😊

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