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あくまで、キッカケは①〜小さな体で大きな夢(?)をかなえた話〜

こんばんは。
ちっちょ@OIです。

高校時代、私は商業科を専攻していました。

養護学校(肢体不自由教育)に商業科があるのは割と珍しいようなので、肢体不自由者でありながら高校の内に簿記やPCのスキルが身に付いたのは幸運な事だったと思います。


高1〜2年の担任

時は遡ること1999年、年末。
ちっちょ高校2年生。

2000年問題と言う、近い将来に起こりうるやや都市伝説的な要素を含んだプチ騒動がありました。

この問題、今でこそプチ騒動と言えますが、何かと危機管理対策が功を奏したという説もあるようです。

こんなオカルトちっくな話題を、道徳だかなんだかの授業1コマ分を使い力説していたのが、当時の高1〜2の担任の先生でした(笑)

先生は、コンピュータ系の授業の担当で、人としてはやや上辺だなぁと思う所もありましたが、フラットで親しみやすい雰囲気が私は好きでした。

進路相談においても、私に関してはPCの作業は問題なく出来るという理由もあり、PC業務をメインとする作業所へ行く事を薦められました

私もその道しか無いだろうなぁと思っていました。

ただ、確か施設側の空き枠が1つしか無かった点と、同級生でもう1〜2人が同じ進路を選択する事になるだろうという点から、道筋はやや不透明でもありました。

高3でまさかの担任交代

2000年、春。

高3になった途端に襲いかかる事件。
このタイミングで、まさかの担任交代・・・。

えっ!?
進路を決める大事な年に、何故!
2000年問題を力説していた彼は一体何をやらかしたんだ!!!
(まさかそれが原因ではあるまい)

そして現れた高3の担任。

第一印象の時点で「あ、もう生理的に無理」という最悪のスタートだったのです。

  • 圧倒的顔圧

  • ザ・熱血教師キャラ

  • 体育会系な割に、地味にお腹がポヨってる

  • 生徒の名前を下の名前で呼び捨て

私にとっては全てが無理でした。

私は小学1年〜高校3年まで、同じ養護学校に通っていました。小中高一貫の学校だったのです。

お世話になった担任の先生は、高2までに6人居ましたが、全員好きでした。
私は担任運に恵まれている、とさえ思っていました。

なのに・・・
最後の年に限って、何故・・・orz

そしてやってくる転機

「この人とは極力関わりたくない」と、なるべく遠ざけるように日々やり過ごしていたと記憶しています。

ただ、私の人生の転機は、悔しくも高3の担任の声かけと共に訪れたのです。

なんのタイミングだったかは、最早よく覚えていません。

私の前で真正面に立ち、両膝に手をついて腰を屈ませ「顔ちかっ!ウザい!」となりながら、担任から一言、こう言われたのです。

「ちっちょ(下の名前呼び捨てで腹立つ笑)

大学目指してみる気ないか?」

・・・は?

高3になって今さら・・・え?

何を言ってるの、この人は。

おそらく、今の私ならこう言うでしょう。
「すみません、ちょっと何言ってるか分からないです」と(笑)

ですが、あの時の私はまだサンドウィッチマンさんに出会っていませんでした、残念!

フツーに「いや、今からそんなん無理ですよね、勉強してませんもの」といった受け答えだったと思います。

推薦入試があるから」と。

すいせん・・・スイセン?
推す的な意味の、あの推薦?

高校最後の一年間が始まったばかりの時に、先生のなんだかよく分からない思惑で突然人生の選択肢を増やされてしまったのです。

いや、行くわけないよね、大学なんて。
そもそも大学に行ってまで勉強なんかする気がない。


でも本当は、心のどこかで少し迷っていました。

実はその時の私には、ここではまだ一切お話していないある重大事件が同時進行していたのです。

この続きは、また次回!


今日も読んで頂き、ありがとうございました!

明日もどうぞよろしくお願いします😊


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