鈴木家の日常⑪「この時間、誰のものですか?」

「普通」の基準は一人一人違うから、「普通」という言葉をあまり使わないように生きてきた。これは父の教えだ。今思えば、その教えに都合よく言いくるめられていたのかも知れないが、おかげで私は人と違うことに違和感を覚えることなく、「ちょっと違う」人や行動、出来事に対して比較的柔軟だった。そんな私に、どうしても納得できない衝撃的な事が起こった話をしようと思う。

時間とは、皆に平等に与えられている権利だと思っている。だから一人一人の時間は自分で使うものだ。何に使うのか、誰に使うのか、決めるのは自分だ。私の時間を使うのは私、どう使うか決めるのは私だということが当然の権利だと思っていたのは、鈴木家の中でどうやら私だけだった。
鈴木家の面々は自分の予定がある日でも、平然といくつもの予定を入れ込む。常に約束がブッキングする。それでもひょうひょうとする。
なぜならば、代行がきくものは自分以外の誰かが対応できると勝手に思っているからだ。
だから私は、自宅と事務所の入り口付近にスケジュール表を置いている。
縦40センチ横60センチのなかなか目に付く代物だ。そこに一カ月の自分の予定を書きこむ。誰が見ても私の空き時間が解るようにと。

今朝の出来事。
夫「今日って9時に家に居てくれ」
夫が無造作に言うが、今日は朝8時半から通院の予定だ、ちゃんとそのようにスケジュール表に記している。私は指を玄関の方へ向け「今日は病院だから間もなく家を出る」と答える。夫は少し苛ついて「いや、それは困るんだ」という。なんでも、日時指定したインターネットで購入した自分のものが届くらしい。
私「それは自分で受け取れるでしょう?」
夫「俺はちょっと約束がある」
日時指定をしておきながらその日時に受け取れないというのは、私個人としてはよくないことだと思っている。夫は私のそういう性格を解ったうえでやっている確信犯だと思う。
夫「医者なんて予約通りに診てくれないんだからちょっとくらい遅れたっていいじゃないか」
夫の言い分。しかし、午前の指定は9時という確定ではなく、9時から12時という枠だ。宅配業者が概ね9時くらいに来るだろうという憶測の時間を夫は私に押し付ける。私は無言で家を出ようとするが、夫はその行く手をふさぎながら、自分のスマートフォンで通院先に電話をかけ、私の予約をキャンセルする。こんな横暴が日常的に起こるのが鈴木家だ。

過去にはこんなこともあった。
ある日昼休みを過ぎたころ、ふらッと事務所にやってきた義父が言う。
義父「ちょっとね、お母さんを浅草のおばさんのところまで送ってやってくれ」
私「帰りはどうするんですか?」
義父「そのまま近くで待ってるに決まってるだろう、お母さんに一人で電車で帰れっていうのか」
私「どの程度の時間でしょうか」
義父「そんなのは行ってみないとわわからないよ」
私「息子の習い事の送迎までに戻れるでしょうか」
義父「そんなのは知らん、勝手に行かせればいい」
私「そういうわけにはいきません」
スケジュールを指してやんわりと断るが、義父は引かない。
義父「あのね、グダグダ言わずに黙って行けばいいんだよ」
私「お義父さんかユウタさんは行けないんでしょうか、私以外に確認しましたか?」
義父「行けないから頼んでるの、お宅に頭なんて下げたくないのに下げてるの!これからちょっと床屋に行くって言っちゃったんだよ、だからダメなの!いいから行きなさいよ」
私の名前は「お宅」じゃない、「ケイコ」だ。もはや名前すら出てこないほど、義父母との関係はどうにもならない。声を荒らげる義父に従業員の注目が集まり、結局私は行くことになる。私は息子の習い事仲間のママに連絡をして、行きだけ車に乗せてほしいとお願いをする。浅草のおばさまの家まで送り、企画のコインパーキングに停めて連絡を待つ。いつ連絡が来るのかもわからないまま、その辺をふらつくこともできずに。

息子がまだ小学生だったころ、サッカークラブの練習会に、一時帰国しているユキオ夫婦の一人息子ランマル君が参加したいと言い出した。普段は息子一人で通っているから私は同行しない。保護者への説明や簡単な書類の記入があるし、当然ユキオかミドリが行くものだとばかり思っていたが、そんな考えは甘かった。鈴木家は普通じゃない。
ミドリ「興味ないんだよね、ランマルが何やろうと。私たちがやりたいことじゃないから。お義姉さんが連れて行えば済むでしょう?」
いや、興味はなくていい。しかし、保護者としての責任は果たしてくれないと困るが、親の無責任とは裏腹にランマルはやる気満々で私の顔を見る。
私「ごめんね、こればっかりはパパかママが行ってくれないと」
ランマルが泣き出し、義母がものすごい剣幕でこちらに向かってきた。
義母「こんな小さい子に何を意地悪するんだろうね、いいじゃないサッカーくらい、ボール転がしてるだけでしょう?どうせお宅ヒマなんだから行ってやれば」
こうなると私は、もう何もかも面倒になる。
ランマル君を連れて行きながら「サッカーの先生がダメと言ったら今日は見るだけね」何度も何度も言い聞かせた。
サッカークラブの監督に事情を説明すると、万が一怪我をするといけないのでという理由で、今日のところは見学ということになった。監督からランマル君に話をしてもらったが、彼はそこでも泣きじゃくり困り果てた監督が渋々練習に参加させた。練習の終盤に差し掛かったころ、ミニゲームが始まり、ちっともシュートが決まらないことに苛立ったランマル君が砂を蹴ったタイミングで風が吹いた。宙を舞った砂ぼこりはランマル君に降りかかり、彼の頭は埃だらけだ。
砂を被ったままのランマル君を家まで送り届ける。ランマル君は不機嫌そうに無言で歩いた。
翌日、朝から義母とミドリが事務所へとやってきた。
ミドリ「昨日、ランマルずいぶんとひどい目にあったみたいね」
何のことやらと、私は目を丸くした。
ミドリ「私たちのことが気に入らないのはしょうがないけど、ランマルはまだ子供でしょ?なんでランマルにつらく当たるわけ?」
私「なんでしょうか?」
ミドリ「砂、すごいかけられて帰って来たじゃない!ランマル泣きながら『サッカーなんか楽しくない』って言ってた。すごくかわいそう!そんなことまでして私たちから何か頼まれるのが嫌なんだ!本当、冷たい人!」
怒鳴るミドリに、私はもう説明する気すらしなかった。
私「サッカークラブ、入らないってことね。それはよかった」
私はそっぽを向きながらそう呟きつつ、ランマル君の将来が少しだけ不安になった。

月末は経理が何かと忙しい。そんなときに夫が私のデスク横にずっと立っている。
私「なに?」
夫「ちょっと頼まれてくれないか?」
私「至急ですか?」
夫「うん、今すぐ」
私「なに?」
夫「あのさ、スーツを取ってきてほしい」
私「は?」
夫「スーツが出来上がってきてんだよ、もう2週間前に。早く取りに来てくれってさっき連絡があった。金払ってないから建て替えといてくくれ」
私「それって、オーダーしたやつでしょ?」
夫「そう」
私「だったら本人が行って、試着しないと」
夫「いや、俺忙しい」
私「私も末締めで請求書出さなきゃ出し、支払い済ませなきゃだし、結構忙しい。5時過ぎじゃダメ?」
夫「いや、今すぐ」
私「だったら自分で行くか、こっちの仕事変わってよ」
夫「俺はダメだって。大学ん時の友達がこっち来てるからこれから会いに行くんだよ」
私「月末って時に?仕事中に?だったらそのついでにスーツ取ってきてよ」
夫「もう時間ないんだよ」
夫はスーツの受け取り控えをひらりと私の方へ投げて出て行った。

10年ほど前のゴールデンウィーク、私は息子のサッカーの試合観戦のため菅平のホテルを予約した。もちろん、夫にも事前に相談の上のこと。サッカークラブのママ友3人で。当日の朝、子供たちを大型バスに乗せ、私たちは乗用車。3人で運転を交代しながらワイワイと移動時間も楽しむ。午前に1試合、午後に2試合の観戦を終えホテルへと向かう車内、夫からの電話。嫌な予感しかしない。
夫「明日何時に帰る?」
私「試合の延長とか、道路の込み具合とかあるからわからない」
夫「いや、聞くのはちゃんと理由があって。さっき自転車のチェーンが外れちゃって、明日自転車屋が取りに来るんだよ」
私「あなたがいればいいじゃない」
夫「ダメなんだよ、俺さっき約束しちゃって」
私「知らないよ、私『はいそうですか』って帰れるところにいるわけじゃないし」
夫「じゃあいいよ、別の日にする。明後日?明々後日?いつならいいのよ」
私「スケジュールに書いてある、それちゃんと見て」
私は電話を切った。
何度も言うが、私の時間は私のものだ。どう使うかを決めるのは私で、ほかの誰かに支配されるものではない。
10年経っても、20年経っても鈴木家の面々は変わらない。予定の入れ方もスケジュール表の見方も教えても理解できないまま。ずっと同じことを繰り返す。懲りずにちゃんと伝えようと考えた時期を超えてしまうと、そんなことに時間を割くことが億劫でならないと思ってしまう。

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