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ゆるい繋がりの中で見つける新しい自分

ZINEの取材で「みんなの公園愛護会」の椛田里佳さんにお話を聞いた時、「うまくいっている団体は、参加率が低いことをスタッフが引け目に感じないように心を配っている」ということを話していた。公園愛護会というのは、住宅街にあるような身近な公園を掃除したり、草取りをしたりして守ってくれている民間団体だ。

「それって大事なことだなー」と聞いていたのだけど、自分もちゃっかりその恩恵に預かっていることに今日気づいた。

今日は、地元の寺子屋活動(子どもの遊び場解放&こども食堂)をやっている団体のスタッフ向けイベントだった。私もボランティアスタッフに登録しているのだけど、今年1年は何もできなかった。

それでもまったく遠慮せずに参加ボタンをポチっと押して、娘たちと共に丸1日楽しみ尽くしてきた。

ここに来るといつも不思議な気持ちになる。
それはなぜだろうと考えてみた。

1つは、地域のゆるい繋がりで成り立つこのコミュニティが私にとって未知なる世界だから。

この活動には、私と同世代の人もいるのだけど、メインで支えてくれているのは60代70代の方だ。そういう先輩方がまったく対等に話してくれることがまず新鮮。自分の親以外のシニアの方の生活が垣間見えるのも興味深い。

ちなみに、私は自分が子どもだった時も含めて、出産するまで「地域」を意識したことなんてまったくなかった。

だけど、この寺子屋活動が立ち上がるのを聞いた時、「こういうのは作る側に回った方が絶対面白い」と思って仲間に入れてもらった次第。

正直、最初のミーティングに出た時のスタッフの年齢層の高さにはビビったけど、リーダーたちがこの場で大切にしたいことを丁寧に共有してくれ、実際にそれが寺子屋活動で実践されていく姿に虜になってしまった。

ちなみに、この活動にはサークル活動もあって、寺子屋をやる以外にも登山部や手芸部、トーンチャイム部なんかがあったりする。寺子屋で地域にちょっといいことをやりながら、好きなことを通じて繋がるコミュニティで、何より大人が楽しむことを一番大切にしている。

私が寺子屋への参加率が低くても引け目を感じず、フラッと参加できるのはこういうところにも理由があるのだと思う。私はごはん部とジャム部に所属していて、こども食堂のスタッフはしないのに、事前の調理実習だけ参加したりした1年だった。(みんなでごはんを作って食べるのは大人だって楽しい。)

ここに来ると不思議な気持ちになるもう一つの理由は、自分がどんな顔をしてここにいればいいのかがわからないからだ。

家にいれば母の顔、仕事の時は仕事の顔、実家に帰れば娘の顔。友人といる時ならそのコミュニティーでの自分の顔。それぞれにキャラがある。

ここは、母と個人としての私のあわいにいながら、時々娘の私もちょこっと顔を出す、そんな感じ。

今日みたいに子どもを連れて参加する時は最初は母の顔なのだけど、うちの子たちは割とすぐ他の大人たちの元に行って遊ぶし、先輩たちと話す時は個の部分が大きくなり、また子どもが私の元に戻ってくると母の顔になったり…。先輩たちの日々の生活を聞くと、母のことを考えたり…。

いろんな自分のグラデーションの中を漂っているのが心地よい。
ここはこんな自分、と決めずにフワフワとしていられる。
コミュニティーでの役割も特になく、ただここにいることを肯定されている。そういう温かさがある。

長女作のしめ縄。地域の方からいただいた藁、金柑。飾りも手づくり。

今日は朝からしめ縄を作り、作ってもらった豚汁とおにぎりを食べて、午後から餅つき。その後七輪でいろいろ焼きながら、お酒も入ってゆるっと忘年会。

私のハイライトは中学生のサポーターの子に肩を揉んでもらったこと。その力のたくましいこと。

この前、娘たちに肩たたきをしてもらって、長女の力がだいぶ強くなってきたなと思ってたけど、あと5,6年すればこんなになるのかと。あっという間に成長してしまうんだなとちょっと寂しくなった。

その頃には私も役割をもって、ただいるだけでいいお母さんの居場所をつくることが出来るかな、と未来に思いを馳せた。

竹筒&七輪なお燗。最高か。

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